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弱音を吐いて強くなる

達成と学習の狭間で

チーム開発において、透明性が担保されているというのは重要なファクターだ。
朝会、ファイブフィンガーで状態を可視化し、モブプロでサイロ化を防ぐ。
そんなやり方を始めてからずいぶんたつが、それでもスプリントの終わりに「もっと手前で助けられたのに」と思う出来事はなくならない。
周りから助け舟を出そうとしても「もう少し自分でがんばりたい」となるメンバーがいる。心意気自体は悪くない。だが、現実問題として前に進まない課題があるのだ。それはなんとかしたい。

少し掘り下げて聞いてみると、そうなってしまうのにはいくつか理由があるようだ。

・他の人に迷惑をかけているような感覚がある
・やりきれないことへの焦燥感がある
・これを他人に手伝ってもらったら、自分はそれができるようにならないのではないかという不安がある

誰でもこういう感覚はもったことがあるのではないか。
私は、あった。
だがしかし、徒手空拳で巨人と立ち向かうやり方なら学び成長があるかというと、そうではないだろう。
ある程度の手ほどきを受けながら成長することは可能だ。というか、そのほうが学びの筋はよいはずだ。なぜ義務教育が9年間もあるのか、ということからも伺いしれよう。

経験し、省察し、概念化し、行動する

コルブの経験学習モデルで考える。
下記の図は、アジャイル開発で動くソフトウェアに対しフィードバックがあった際に、それを学びへと消化させる経験学習の例だ。

普段の開発においても、なぜそこで詰まってしまったのか、教えてくれた人が知っていて自分が知らないことは何か、差分を省察することで学習するべきポイントは見えてくる。
その学びを概念化し実践し、効果のほどを見る。このように行動してゆけば学んでいくことができるし、1人でウンウンうなっているよりも早い段階で気づきが得られるだろう。

最終的にコンフォートゾーンを抜け出すのは自分の意思

学びの観点からも、そしてもちろん成果を求められるタイミングで出すという観点からも、手詰まりを共有し助けを求め、そのぬかるみから早めに脱出することが望ましい。

とはいっても、結局はそのぬかるみにハマった人間が自ら意を決して行動しなければならない。

客観的にみて心理的安全性が担保されているチームであろうとも、その個人にとってはそうではないかもしれない。周囲は「なぜ助けを求めないのだ」と北風のような態度で接するのではなく、「助け求めたほうがいいことあるぜ」と太陽作戦で接するのがよいだろうが、それもそのメンバーのパーソナリティ次第だ。

ここは、個人の性格や考え方が色濃く反映されるところだ。無理強いしてももとの行動にすぐ戻る。
周囲は気長に見守り、個人は意思をもつための行動変容を試みよう。弱音を吐きちらしながら強くなるチームになるために。

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ソフトウェアエンジニア、3児の父。 プログラミングなど具体的なインプリメンテーションではなくチームビルディングや自己の成長戦略など、経験から語れることを語ろうと思います。脱線もしていきたい。
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