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陽毛

体毛が薄い。
全く生えない訳では無いが、毛の密度や細さを見ても、同年代の人よりは薄いと思う。

乾燥肌かつ敏感肌であるため、毛穴は目立ってしまうが、毛自体は光に透かすと見える程度だ。

そんな体毛の薄さは陰毛にも及ぶ。
たまに温泉へ行くと、周りの人の陰毛の濃さに驚く。生命力や力強さを感じる毛量は、同じ生き物として尊敬に値する。毛の無い猫より、毛のある猫のほうが強く見えるのと同じである。

自分は、下腹部のさらに下のほうが軽く覆われている程度で、密度はスカスカ。肌の弱さゆえ下着に擦れると簡単に抜ける。パンツを脱ぐたびにハラハラと落ちる陰毛を見ると、桜吹雪を眺めているときのような儚い気持ちになる。

(理想的な密度はこれくらい。)

ここ数日、下着の蒸れによって下腹部が痒くなりポリポリとかいていたら、病気の野良犬と見間違えるほど陰毛が薄くなってしまった。

こんな薄さは、陰毛が生えはじめた中学一年生ぶりくらいで少し懐かしい気持ちにもなったが、それよりも大人として恥ずかしい気持ちが勝った。

いつも以上にスカスカでサバナ状態の下腹部を見つめ、真ん中にかき寄せたり、毛を立たせたりしてみたが、何も変わらない。

今まで、頭頂部が薄くなってきた中年男性が髪の毛を集めてワックスで固めているのを見て、「往生際が悪いな。潔く剃ってしまえばいいのに。」と思っていたが、「少し毛がある」のと「全く毛がない」のとでは心持ちが全然違う。

既存のものを自らの意志で無くす勇気は相当なものだ。ハゲに抗う人がダメなのではない。ただハゲを受け入れて、剃る人が凄すぎるだけなのだ。

そんなわけで、薄くなった陰毛と小一時間睨めっこをしていたが、見つめるだけでは毛は増えない。自分に残された選択肢は2つ。「薄くても残っている毛をなんとか育てる」か「まっさらに仕切り直して、またイチから育て直す」か。

しばらく悩んで悶々としていたが、ふと気がつくと自分は手にハサミを持って、ヘタった陰毛を短く整えていた。切り終えて鏡を見てみると、陰毛は病気の野良犬から死にかけの野良犬になっていた。

こんなはずではない。髪型で言うならば、スポーツ刈りのような爽やかなフォルムにしたはずなのに。

絶望に絶望を上塗りしてしまい、朝の6時半に途方に暮れた。昼夜が逆転し、夜中から朝まで起き続けていた自分の手さばきは正常でなかった。

貧相な下腹部を見つめて虚しい気持ちになっていたところで、電気シェーバーが視界に入った。

判断力も正常でなかった自分は、次の瞬間電気シェーバーを手に取り、一心不乱に陰毛を剃った。

大人としての威厳とか、常識とか、そんなものは全部とっぱらい、自分はパイパンになった。

剃った直後の爽快感。小学生ぶりに完全露出した下腹部のあまりの可愛らしさに、思わず「こんにちは!」と声をかけてしまいそうだった。

数十分もの間、久々に生まれた空白を鏡で眺めて悦に入っていたが、その後満足して昼過ぎまで数時間寝て起きたら、急に後悔の念に駆られた。

あるべくしてあるものを消すという愚行。目先の欲望を満たすために、大切なものを失った。そんな気持ちだ。

今のところ陰毛が無いメリットはなく、精神的なものを含むとデメリットしかないが、剃ってしまった以上、いつまでもグチグチは言ってられない。

失ったものを如何にして取り戻すか。また、落ちぶれた現状から如何にメリットを見出すかが大切だ。

陰毛が自分のことを、陰部を照らす太陽のような毛、すなわち陽毛だと思えるくらい、力強く自己肯定感の強い毛に育てたい。

陰毛は、人生だ。


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