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24時間テレビって、子どもの頃どう見てただろう? #1979 0010

24時間テレビ。
自分たちが子どもの時はどうだっただろうか?と
ふと思い出していた。

リゲインの24時間戦えますか?
今でも覚えているあのフレーズ。

黄色のリゲインの大きな旗と
24時間テレビのイエローが
ダブって見えてしまうのは
自分だけだろうか

小学校へ行くと
「24時間テレビ見た?」と
そんな話をしていたのを覚えている

夜更かしなど許されない小学生にとって
24時間、テレビが流れ続けていること
それは一大イベントであった

お色気や、爆裂した番組を
寝ずに見ること
テレビの前にかじりくこと
「お前、よくやったな!」
「完徹してみたの?!」
「英雄じゃん」
みたいな、空気が流れていたのを思い出す

バブルの勢い
頑張ることが当たり前
暴力もエロも
万歳な時代

そして2024年
テレビに映る
やす子を複雑な思いで見る

どうしてこんなに
苦しいんだろう

苦しい気持ちになってしまうのは
なぜなんだろう、か

24時間テレビ
この時間軸、
この企画は、
今の時代に合っているのだろうか
ふと思う

やす子さんは走る
ひたすらに走る
彼女の生い立ちや
子ども達を思って

正直、ゴールした時
ああ、本当によく走り抜いた
倒れなくて良かったと
こちらも涙が出る思いだった

そんな
頑張り抜いたやす子さんの
気持ちを否定したいのではなく
応援したい
がんばれと言いたい気持ちがある

その一方で
なぜか苦しい

もう、いつでも足を止めて
いいよと思ってしまったり

にこやかに応援するスタジオ?の
人びとを見て
違和感を覚えてしまうのは
自分の感覚が間違っているのか、
と思ってしまう
(上田氏は、ただ黙ってモニターを
見つめていたのが印象に残った)

そう思うのは、

コロナだったり、
パワハラだったり、
ジェンダーだったり、

いろんなことが起こって
いろんな価値感があって

頑張りすぎることへの
抵抗感がどこか
あるように思って

頑張りするぎるというよりは、
頑張りを強いているからなのか
(やす子さんの責任感や、頑張りを
頼りすぎている?
何だろう、この違和感
もっと有名になりたいとか
お金が欲しいからとか
そういう方が視聴者は自分は見やすいのか?

人生を背負っている分
無理してほしくなかったのか
走るプロではないから
体を壊してしまうのではないかという
危惧か

彼女なら嫌と言わないだろう
リタイヤしなさそうだからこその
心配なのか、

これは勝手な想いで・・・)

お笑いも
毒舌もいいけれど
コンビ仲を大事にして欲しいと願う
ファンがいたり、

人を傷つけないお笑い
みたいなものが
求められている部分があることなども
無関係ではないかもしれない
(もちろん、それが王道ではない)

やす子さんが選ばれたのも
求められている
キャラクターだったり、
今の時代に愛されるタレントだからだろう

実際、疲れてしまって
会社を休んだり
学校を休んだり
足を止めてしまう人たちもいて

頑張りたくても、頑張れない人たちが
いることは事実で
それを抱えながらも
生きていかなければいけないこともあって

ガンガンいくことへの怖さ
ヤバさみたいなものを
周りが認識したり
実感してきているからか

これでもか、
これでもか、
という演出に引いてしまう
視聴者が一部分ではあるのではないかと
思う。

24時間テレビじゃなくて
思い切って
12時間テレビとか、
してしまうのはどうだろう

あるいは、20年かけて
1時間ずつ減らしていくのは
どうだろう?

23時間テレビ
22時間テレビ
21時間テレビ・・・

ググってみると
24時間テレビが始まったとされるのは、
1978年

もう45年以上経っている
スタイルを貫くカッコ良さもあるだろう

だが、時代に合わせて
そのスタイルを変化させていく
勇気もアリ?なんじゃないか

先日、ネット記事で
ネットフリックスのドラマは地上枠の5倍
キャストへのギャラも破格
などという記事も上がっていた

テレビは今後どういう方向へ向かっていくのだろう
私たちの世代が熱狂して
愛したテレビ

あなたは、どこへ行く?

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