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Tabi. #1979 009-10

Tani 009から続く。

旅の話に戻ろう。
そんな訳で自分は、道なき道を進んでいった。

悪運がいいとでもいうのか、
視界が開いたところで、グーグル先生との連絡が途絶えた。
携帯の電波は一切入らない。

紙のマップを取り出す。

自分は登山はほぼ初心者に近いのだが、
石の上に、黄色い→が書いてあり、
それに沿って歩いて行かねばならない、

驚きつつも、
アドレナリンが出た(と思う)

表だとか、
裏だとか、
砂漠と名のつく
場所に着く。

真夏の登山。
遮りものもない。
人もいない。


妙な違和感があり、
そこで、気がついた。

「無音」
なのだ。

人は、いない。
鳥も、いない。
風さえも、
吹いていない。

完全な無音状態。

屋外にいて、こんな経験は
初めてかもしれない、と思う。
東京に住んでいると、
人間がいなくても「音」は存在するものだ。

エアコンの室外機であったり、
冷蔵庫のジーっという音だったり、
ネットを接続している
ルーターの機械音だったり、
道路近くに住んでいれば、
どんなに真夜中でも、
車は走る
酔っ払いの声がする。
事故は起きる。

自分は深夜の
人が寝静まった時間が好きだ。
多くの人は、意識が閉じて
夢の中にいる。
静寂。

中学生の頃は、
そんな時間に起きている自分を
誇らしく思ったものだった。
(ただ、寝不足になるだけなのだが)

当たり前のことなのだが
あんなにも日中の
人々の活動が嘘何じゃないか
と思うほど、人は寝る。

みんな、どこかへ行ってしまって
自分1人がいる感覚。

海の底にいるようで、
そこから太陽が昇っていく。
深海の色から、
紅に染まる、
夜から朝へ浮上していく
グラデーション
人々が再び、日常に顔をだし
呼吸を始めるそんな瞬間。

そんな時間が、妙に好きだった。

なぜか、その中学校の頃の
気持ちを思い出す。

山の頂上付近にいて
音がない。
生がない。

惑星にもし、たった1人で降り立ったならば
こんな気持ちになるのだろうか
そんなことも思ってみたりする。

無音。
やっぱり、音がないと寂しい。
この島に来てよかったかもしれないな、
などと自ら声を発しながら
呟きながら、
歩き出す。

頂上はもう、すぐ。

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