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石田さん×クラフト工房La Mano

 こんにちは。東京藝術大学 Diversity on the Arts Project(通称:DOOR)受講生の小出です。受講生有志とトリーチャー・コリンズ症候群の当事者である石田祐貴さんと一緒に、実習を進めています(詳細をこちらにまとめています)。

 令和元年も残りわずかとなった12月20日、石田さんを町田の地にお迎えし座談会を開催いたしました。会場は町田市にある就労継続支援B型施設クラフト工房La Mano。一般就労が困難な方たちが手仕事(刺繍、染め物、織物など)を中心とした就労を行う施設です。座談会は、そこで利用者さんたちとともに働く職員・スタッフが対象で、今回の参加スタッフは13人、すべてのスタッフがトリーチャー・コリンズ症候群を持つ方とは初対面です。

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 1日の作業が終わった染め場で、当法人の理事長と施設長、スタッフが石田さんを囲みます。

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 理事長と施設長が石田さん来訪に感謝の言葉を述べたのち、石田さんご自身に自己紹介をしていただき、石田さんの生い立ちとトリーチャー・コリンズ症候群の概要を共有します。事前に記入してもらった「石田さんに聞きたい3つの質問」のアンケート内容を大別し、テーマごとに司会者から投げかけました。

子どもの頃のことについて

 親や友だちがありのままの自分を受け入れてくれたから今の自分があります。帰る場所がある、安心できるところがあるから頑張れたんです。

自分のことが好きですか?

 自分には至らないところがまだまだたくさんある。今の自分に満足してしまうとそこで止まってしまうから。好きかどうかは……難しいなぁ。

今の活動はいつからどんなきっかけで始めましたか?

 トリーチャー・コリンズ症候群の協会などからの、伝手でメディアや本に関わることに。最初は自分から発信しようとしたわけではありません。そういうところに出ることには最初から抵抗はありませんでした。

なぜ活動をしているんですか?

 僕が役に立てるのならば。僕が出ることでトリーチャー(トリーチャー・コリンズ症候群)のことを知ってもらって、同じトリーチャーの子たちが嫌な目に合わないのなら。

トリーチャー・コリンズ症候群の方はどのくらいいますか?

 日本での統計はないけど、医学的に試算すると3~5万人に1人程度。遺伝子疾患なので遺伝子治療ができれば障がいはなくなるかも。僕は遺伝子の突然変異での発症でしたが、遺伝子疾患なので僕の子どもは高確率で障がいをもつかも。

他のトリーチャー・コリンズ症候群の皆さんはどんな方ですか?

 表に出たくない人もいます。風貌が似ているので、間違われることはあります。「○○さん!」と知らない人に声をかけられます。母がトリーチャーの親の会を立ち上げたので、その関係から小さいときから他の方とも交流があります。

人に見られている意識はありますか? ご自身が障がいを意識したことは?

 大人になってからはないです。見た目に関しては小さなときは感じました。聞こえは中学生までは話の輪に入れなかったり。現在機能的に障がいで困ることはないですけど。人と関わることは「相手に慣れてもらうこと」からです。あとは僕の悪いところは、聞こえてないのにふりをしたり流してしまったり。

完全整形ができるとしたら、どうしますか?

 悩みますね。しないかなぁ。今までの人生は今の自分だったから。今がどん底だったら考えるかも。生まれ変われるならいいかもしれないけど。

今はどんなことを学んでいますか? 将来の夢はなんですか?

 聞こえない子たちの二次障がいに興味がある。そういう子たちの教育について研究してます。ん~……将来はまだわからないですけど。今の研究を活かせる仕事はしたいです。

グローバルな視点から……

 障がいあるなしに関係なくお互い認め合う社会。例えば知的障がいの子が電車でおかしな行動をしていても、その特徴を知っていれば「そういうもの」と理解できます。みんながそうなればいい。

「障がいのある人」という言い方についてどう思いますか?

 「障がい」っていうのはその人そのものではなくて、例えば僕が就職活動をしていて見た目を理由に排除され就職ができない、その状況が「障がい」だと思います。足の悪い人が2階に行けない、だけどエレベーターを作っていけるようになったら「障がい」じゃない。そういう考え方をすると、社会はもっと柔らかくなるんじゃないでしょうか。社会が見方を変えることが必要。

どうすれば社会が意識を変えられますか?

 まずは知識。人は違って当たり前という多様性。そしてそこに相手を思いやる気持ちがあれば。それは障がい者だけではなく職場なども同じように相手を思いやりながら生活しているはず。
 社会的には教育がいちばん。子どもたちは発達の中で「普通」という概念が作られていく。周りに障がい者がいないことが「普通」なのではなくて小さなときから障がい者がいて当たり前であればそれが「普通」になる。そうすれば「普通」の意味が大きくなる。地域との交流も必要ですね。

この施設のみんなが心に留めるべきことは何だと思いますか?

 僕はどうやって人と接してるかな、って考えると……。友だちが「あいつはこんなやつだ」って言われても他人や自分の価値観で判断しないで、その人はその人なんだと思うようにしています。そうすれば相手を受け入れられる。僕にその顔変えろって言われても変えられないように相手を変えことはできない。できないことはできないんだし。それは障がい者も健常者も同じですよね。

障がいを持つ人が働くことについて、どう思いますか?

(補足:この質問の意図について
 メンバーさん(利用者)が自ら望んで働いているというよりは、ここが福祉施設だから通っているのかな、と疑問に思ったため。自発的に働いているというよりはスタッフ側が仕事を提供しているようなスタンス。スタッフはメンバーさんが本当に自分から望んで仕事したいと思っているのか疑問だったり、本当は仕事したくないのかなと思ったり、楽しそうだなと思ったりしています。そのような思いからの問いかけです。)

 僕個人は生活するためだけではなく人のためになる、特に子どものために仕事がしたいかな、と。
 ここ(知的障がいの方たちが働く場)の場合でいうと、働くということは関係性を築くひとつのツールでもあるのではないかなと思います。楽しそうにやっている、今日は頑張った、何かができたときにこっちが「ありがとう」っていうと「にこにこしてくれる」人もいます。障がい者はしてもらうことは多いかもしれないけど、人の役に立てたと思うことでまた頑張ろうと思ってくれる人もいる。少しでもできることはやってもらうことがその人のためにもなる。そのやり取り、関係性を築くためのツールが「仕事」なのではないかと思います。

インクルージングについてどう思いますか?

 必要だとは思う。今のインクルージョンは、障がい者が入ることによって周りの子が学ぶ感じ。その障がい者の子も含めて高め合わなければ意味がないと思う。自分は「普通」に育てたいということで普通学級に行ったけどつらい思いをした。まずはその子の状況に合った場で学んだほうがいいと思う。それと共に学校にこだわらず地域や習い事で社会性を身に着けることもできると思います。

 最後には趣味や子どもの頃の夢、好きな食べ物など、お見合いのような(?)質問も投げかけられ、場もあたたまり最後に質問。

本をよく読みますか?

 読まない。テレビっ子。ドキュメンタリー番組が好きで「この人はこう考えるんだ」といろんな人の考えがあることを学びました。自問自答をよくしている。いつも自分に問いかけ、答えを言語化している。もやもやしたままだと次にも失敗しちゃう。中学時代不登校になってた時によく考えていた。考えて答えを出す癖がついた。

「今のあなたでいいのよ」を受け入れられるようになった?

 言われた時はよくわからなかった。誰かの役に立てていい関係性が持てるようになってからこういう事かなと思いだしました。中学校くらいまではしてもらうばかりだった。自己肯定感も低かった。できることが増えて人の役に立てるんだと実感し、「してもらう」側から「対等」と思えるようになってからだと思う。

 ここまで、たくさんのお話が聴けました。座談会は、講演会とは異なり、参加者の皆さんが知りたかったり聴きたいことを直接聴くことができます。マイクを通さない声の響きや息遣い、場の暖まる感覚は、少人数の座談会ならではでした。

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 さて、余談ではありますが……

 La Manoのメンバーとスタッフの手のぬくもりを感じる、石田さんによく似合うマフラーをお買い求めいただきました。今、各所でお配りしているチラシ『普通ってなんだろう?』のプロフィールの写真に、そのマフラー姿の石田さんが素敵に写っています。

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【石田さんチームのメンバー紹介】
● 工藤さん:療育施設で子供と歌って踊る元音大生。
● 小出さん:元は医療ソーシャルワーカー、
       今は障害者B型支援施設理事(この記事の筆者)。
● 藤田さん:福祉に関わりがないままDOORを受講した会社員。
● 細尾:中華料理が好きな医者兼ライター。


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