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山のよさについて

山にハマっている。

何かにハマると、割と短期的にとことん突き詰めて、その後すぐ飽きる、というのが今までの自分のパターンである。例えば、サッカー、釣り、物理、広告、マラソン、サウナ、写真などなど。

今回不思議なのは、そのよさについて、うまく言語化できないところである。ものすごく「体験的」なよさなので、いっしょに山にいくしかないのだ。とはいえ、そんなことばかり言ってたら記事にならないので、いかにして山に入り、沼にハマり、今に至ったのかを時系列で追っていきたい。自分でもよく分かっていない。山の何がいいのか。

大菩薩嶺から見える富士山。関東の登山では富士山が望めるのも醍醐味のひとつ。

初めて連れて行ってもらったのは、大菩薩嶺(だいぼさつれい)という山々。山ではなくて山々である。なんでも縦走(じゅうそう)というのをするんだとか。縦走とは、一つの山から、連なっている次の山へと尾根を伝っていくこと。日本の山は、それ単体であるわけではなく、たいていがいくつかの山と連なっている。(海外もそうかも)なので、A山からB山を経由し、C山から降りてくる、みたいな動きになる。

縦走中。次に登る山が奥に見えている。

縦走中は尾根を行く。そうすると何がいいか。まず景色がいい。ずっと頂上にいるかのような雰囲気になる。その上、傾斜が少なくラク。これはコースにもよるけど、一度登ってしまえば、その後はけっこうラク、というパターンが多いから、縦走はピクニック気分で楽しいことを知った。

登ってきた山々を見渡せるのも縦走の良さ。がんばったなー的な。

もちろん時間はかかる。今までに行った山行(さんこう)では、平均7時間くらい。だいたい朝4時とか5時に起きて、山に向かう。電車の時もあれば、レンタカーに同乗して向かう時も。そして7時くらいから登り始めて、第一の山、第二の山と登り、最後の方の山の頂上でお昼だ。そうすれば、だいたい14時から14時半くらいには降りて来れる。朝が早かったせいか早く下山してくるイメージだけど、7時間は動いていることになるのでけっこうな運動量だ。だいたい2〜3,000kcalは消費している。マラソンっぽくもある。最初は何もわかってなくて、カロリーメイトひとつ握って山に向かった。今の自分なら笑いながら注意するところだ。おいおい腹減って死んじゃうぞ、と。

分けてもらったパンとみかんと水筒。手ぶらで行った自分の無知を知る。
山で気づいたのは、苔がきれいだということ。なんかディティールが美しい。

α7sⅱというSONYのフルサイズミラーレス一眼カメラを持って山に行っている。このカメラは本体とレンズ、SDカード、バッテリー、ストラップ合わせてちょうど1kgくらいになる。山を行く時は、できるだけ軽量化したい。軽量化はしたいんだけど、こういう写真を撮って後で見るのがとても楽しい。山は、似たように思えて、どの山もぜんぜん違う。もちろん行くメンバーや食べるものも撮ってて楽しい。それにつけても、山は被写体として、とてつもなく魅力的だ。そこには木があって、立て看板がある。山小屋があって、葉っぱがあって、苔が生えていて、空があって、遠くにも山があって、人がいて、ギアや料理や、時には動物もいる。それは旅の非日常でもあり、山にとっては日常でもある。何言ってるか分からなくなってきたけど、とにかく写真がたくさん撮れて、それがとても楽しい。本当はもうちょい軽いカメラにしたいんだけど、一度レンズだけ軽くしたらなんだか満足できなくて、結局重くても写りのいい今のセットで行っている。参考までにレンズはSEL55F18Zという名機である。F1.8の明るいレンズによる溶けるようなボケと、くっきりとした解像感、色彩の階調が、α7sⅱの画素は最低限なのに暗いところから明るいところまでしっかり描写できる繊細さとあいまって、時に奇跡的にいい写真を撮ることができる。やめられない。たぶん自分には写真の知識も技術もなくて、ただただ趣味的にドキュメンタリー的になんか気になったら撮る、っていうのをしまくって、あとでグレーディングとセレクトの奇跡を願うだけなんだけど、それでも毎回100〜200枚の写真を撮ると1枚くらいはすんげえいいなあってのが撮れて楽しい。写真の話になってしまった。山に戻ろう。

青梅の名店「偕楽」のラーメン。地下で手打ちだとか。実はチャーハンが名物。

下山してからも、山は楽しい。最寄りの温泉(なければ何駅かいったところの)につかると、身体中が喜んでいることがわかる。そして同時に、冷え切っていたことも。足の先がじわじわと温まり、体の芯が湯にとろけていく。水風呂があれば入り、足腰のほてりをとる。サウナがなくたってお湯と水シャワーで十分ととのうことができる。というか山に行ってる時点でいろんなものがととのっている。そして、早めの夕飯となる。この時にはカロリー計算や糖質制限や大盛りごはんの遠慮や野菜も食べなきゃ的精神がゼロとなる。俺の胃袋は宇宙、または日本アルプスだ、という気持ちになり、本当の意味で食べたいものだけを食べる。この年になると(39)、野菜と魚食べて、ごはんはやめとこかな、とか、肉ばっか食べるても胃にもたれるしな、とか考えたりもするけど、下山後の自分は思春期の部活後とほぼ同じなので、心のリミッターをはずして食べる。こんなに幸せなことがあるだろうか。

初めての縦走。実はちょっと軽い高山病のようなものにかかり、吐き気と頭痛と闘いながらの山行であった。そんなに高い山じゃないんだけど、バスで1,500メートルまで一気にあがり、その間寝ていたのがよくなかったようだ(後で調べたら、あんまり高地についてすぐ寝ない方がいいとか)。それで、歩きながら思っていた。「なんかしんどいし、これはもう一度切りかな・・・」でも、降りてまず思ったことは「くやしい」だった。つまり、頭痛と吐き気がなかったら、もっともっと楽しめていたはずなのに、という気持ちである。これでは縦走のよさを理解したことにならない。次回は絶対万全の体制で挑みたい。そんな思いで、金時山へ行くことになった。

5人のパーティ。いろいろなバックグラウンドで楽しかった。

金時山というのは、「金太郎」で有名な山である。そしてこの記事のTOPにもあるような、富士山がキレイに見えることでも有名だった。そこから縦走して明神ヶ岳から降りてくる。そんな旅だった。この日は頭痛にも吐き気にも苦しめられず、無事に歩き切った。食糧もちゃんと準備し、体調的には完璧であった。しかし、またひとつ、心残りがあった。それは、歩くスピードがみんなより遅かったことである。完全にゼイゼイハアハアいってて、それを待ってもらうのが心苦しく、くやしくもあった。山はスポーツではない。競い合うわけではない。しかし、心のどこかについていけないことへの情けなさがあった。これもまたひとつの課題として、心に残った。また、このあたりから、欲も出てきた。つまり、自分のザックやギアが欲しい、という気持ちである。

この日に備えてカップラーメン、シェラカップ、スプーンは自前のものを用意していた

シューズについては、初登山の前に山の師匠であるサンドウさんと石井スポーツに行き、教えてもらいながらサロモンのを購入していた。トレラン用ではあるが、靴底の溝と硬さ、あとは独自の結ばないタイプの紐に惹かれた。春夏秋の低山なら十分であろう、というアドバイスがありがたかった。(気がつくと冬山にもチェーンスパイクをつけてこの靴で行ってしまっているが・・・)

そして、ついにザックを買ってしまった。(このタイミングで一気にギアが増える。ボトルも買い、カメラをザックに取り付けるための機材も買った。1週間後にはバーナーも、最近ではポールも買ってしまっている。というか山に関連するものしか買っていない。)

山と道 mini2 人気すぎてなかなか買えないガレージブランドのザックを運良く手に入れた

この頃から、ある思想に傾倒する。それはUL(ウルトラライト)と呼ばれる軽量化にこだわったトレッキングスタイルである。より思想を深く知ると、決して命にかかわる道具を減らしてまで軽い装備で行くのではなく、最低限の安全を守りながら、自分と自然との間にあるものを少なくしていくことで自然と一体になる、というものだった。自分はまだその領域に達していないが、とにかく軽くすることにハマっている。というのも、自分は12月末で会社を辞めて、来年のどこか、コロナが収まるタイミングで半年ほどの世界旅行に行こうとしているから。その際、LCCやドミトリーを基本とした滞在型の旅行を考えていて、そうなると軽量化は大きなテーマなのだ。どのLCCも機内持ち込み荷物は10kg以下。ULのパッキングでは食糧をのぞくと、5kg以下でテントや寝袋まで運ぶという、とてもエクストリームなスタイルなので、世界旅行にうってつけだ!と思ったのである。もっというと、世界旅行に耐えうる体力や、いざという時のサバイバル力や、トラブル対処、生活力などなど、すべてが山で身につくじゃないか、という、とても不純な動機から、登山への傾倒は加速していったのであった。

相模湾を見下ろしながら、世界旅行のことを考えた

で、気がつけば、旅行のための登山のはずが、登山のための旅行、というか、世界って山めっちゃあるよね、いろいろ登れるよね、みたいなことを考え始めてしまっていたので、完全に手段と目的が入れ替わりました。そして、そんなもんは入れ替わった方がいいような気さえしてきた。山という趣味、というか、ライフワークのようなものを見つけた今となっては。

地元の人しか来ないようなローカルな温泉を探すのも楽しい

どこまで話したっけ?山のよさについて。たぶんまだ何も話せていないと思うが、ちょっと思いつくまま良さを話したい。まずは景色がいい。これはいいですよね。頂上から見る景色は、そこが初登頂であれば、見たことのない景色が見れる。コロナの世界で毎日部屋とPCとスマホを見て2年間過ごした自分からしたら、初めて見る景色という事実そのものに感動していた。特にリアルに体を動かして、物理的にそこにたどり着いたという非日常感、トリップ感がヤバい。しかも季節によって、天候によって、時間帯によって、景色は常に移り変わり、日本の四季を讃えたくなるほどの美しさを見ることができる。そこに行くと決めて、その足で一歩ずつ行くだけで。たぶん言語化まだまだできてない・・・全然伝わっている気がしない。でもいいや、次行こう。

紅葉を遠くから見たり、その中に入ったり

そしてなによりも、飯がうまい。頂上で食べるカップヌードルは地上のちょうど5倍うまい。一つ星のレストランなら五つ星になる。これはまちがいない。世界一のレストランはどこかの山頂につくるべきじゃないか?とさえ思う。目黒のさんまをエクストリームに先鋭化させた思想かもしれないけど、うまいもんは体を酷使しまくってから食べるのがよいのでは、と思った。昔茶道の先生は「お茶っつうのは、いけずなもんで、わざわざ狭い入り口から入って、粉っぽいお菓子食べて、失敗せんように緊張しながら作法まもって飲みまっしゃろ?だからうまいんでっせ」的なことをここまで誇張されていない関西弁で言っていたが、そんな精神を感じる。山で食うメシに。

ナルゲンボトルとサーモスの魔法瓶。ホット紅茶を持ってくと天国

たまに聞く言説として「目的がシンプルで歩いてさえいれば必ず頂上について達成できるということがいい」「登っている時はしんどいが、故にそのことしか考えなくなって瞑想みたいでいい」「しんどいことやって解放される過程がサウナのようでいい」みたいなことを聞くが、正直言って、全部、「わかる〜!」と思う。わかる。ぜんぶそれ。そう思うよホンマに。

変なオブジェに出会えるのも登山の魅力。地方旅のB級観光地巡り的な・・

なんとなく感じたのは、しんどい思いして登って、頂上で景色よくて飯うまくて、縦走中は少しラクになって楽しむ余裕できて、くだりは怪我に注意して足腰がきつくて、温泉、ご飯最高、旅で仲間と楽しんでまた行こうぜって言って別れるっていうこの一連が、なんか仕事とかの長いプロジェクトとかの感じを1日にギュッと圧縮したような気がして、そういう良さがあるなーと思った。さっきと同じこと言ってるかな?なんかそんな感じがする。達成感というと何かが抜け落ちてる感じがするけど、「しんどくてやりがいあって楽しいこと」の圧縮パックというか。ていうかそれ人生やんけ、というか。とにかく人生に例えやすいし、気を抜くと例えてしまう。

山小屋のアイドル犬。このあと別の犬にめちゃくちゃ吠えてた
滝などの名所とセットになっているトレイルコースもある

あとはギアのかっこよさもある。これはキャンプとも通じるけど、機能を研ぎ澄ませた結果としての見た目がカッコいいものはなんか輝いて見える。ファッション全般が逆にダサく見えるというか。それはいいすぎとしても、機能的であることがデザイン性をまったく損ねていなくて、とても美しい。同じことを違う表現手法で二度言いましたね今ね。編集がいたらカットされる文章ですね。いないからこのまま書くけど。

登山を秋に始めたのは正解だったかもしれない

また、ハマる要素としてのアイテム集めというか、いろんなギアを集めるのがとても楽しい。それは、ほとんどがデジタル化され、挙句の果てにはメタバースだとか言い始めてる現代において、純粋な所有と使用の喜びを与えてくれる。なんらかの課題があって、寒い、とか、しんどい、とか、それに対して買ったら、即、役に立つ、っていう実際的な道具に、その機能に応じての代金を払って、それが命を助けたり快適になったりすることにプリミティブな喜びを感じる。横文字を使わずにいうと、根源的、体感的?知らんけど、とにかく集めるのが楽しい。でかめのボックスを買って、その中に山道具を全部入れてるんだけど、これを開けて準備する時が、何より楽しい。パッキングしてる時も楽しいし、重さを測って軽量化を突き詰めたりしてる時も楽しい。いま恵比寿駅の近くに住んでいて、恵比寿駅のそばにあるモンベルショップがホームショップみたいになっている。なんかあったらそこで買う。ほぼ5分で行けるので、欲しいと思った5分後にはレジに並んでて危険すぎる。

茨城のダンジャルム。岩の上で写真を撮る

服もおもしろい。山の基本はレイヤリングで、インナー、ベース、ミドル、アウターと重ね着して、着たり脱いだりする。たとえば今の時期(12月)だと、このすべてを着ていくことなる。寒いでしょ?なんて聞かれるけど、山登りは日帰りでも、7~8kgの荷物を背負って、強めの負荷で長く運動するのでむしろ体は暑くなり汗をかく。問題は休憩中で、その汗はすぐに体を冷やし、そこに風が吹いてきた日には一瞬で体温が奪われる。だから登山のレイヤリングは「保温・防水・防風・透湿」をバランスよく考える必要がある。特に重要なのが「透湿」で、かいた汗をいかに外にだすかが大切なのである。このあたりを理解した上で、適切なレイヤリングで登山に行けると、自分もけっこう慣れてきたな〜などと思うことができる。さらにその上で高機能なアウターを買ったり、ファッション性を楽しんだりは大人の遊びである。patagonia、ARC’TERYXあたりは高い。モンベルは安い。ワークマンプラスはもっと安い。NORTHFACEはバランスがいい。中古アウトドアショップを求めて吉祥寺や青梅あたりをうろつくようになったら重症だ。

高水三山という縦走コース。気持ちよかった

このあたりで、師匠であるサンドウさんとは別行動で、テイラーのTAKちゃんと単独?師匠離れ登山へ。いつもより短めな4.5時間程度のライトな縦走だった。初めての経験としては、常に地図アプリを見ながら道を確認すること。ペースを決めて休憩をとること。昼ごはんの後、体を冷やさないように、出発するかどうかを決めること。その場所は風が吹かないか、日があたっているかを考えること。(山付近の温泉とごはんを調べること)そもそも集合時間を決めること、などなど、いろいろとお世話になっていたことが改めてはっきりとわかり、より、単独でもできる装備と知識と経験を積まねば・・・と思いを新たにした。

傾斜がきついところにはロープや鎖などもあってアドベンチャー感を楽しめる
朝4時の登山道は恐怖でしかない

4.5時間の縦走は一般的にはけっこうな登山体験だと思うが、2人が感じたことは「物足りない・・・」だった。この頃になると登山経験も1ヶ月は越え、毎週末山に行っていたので4〜5回の経験値もあって、もっと体が疲れ切るような山をくれよ!という謎の精神状態に陥っていた。そして師匠であるサンドウさんに相談し、「じゃあ山小屋で一泊するか」という新たなステージに胸を躍らせたが、スケジュールなどの都合により、普通なら一泊で行くけど日帰りで行こうとなったのが東京一の名峰、雲取山である。標高2,017mを誇るこの山は頂上付近に積雪もあるという。「ゴクリ・・・こりゃあ俺たちにはまだ早いんじゃねえか?」「いや、いける!今の俺たちなら・・・」と盛り上がる俺とTAKちゃんを尻目に、淡々と準備を進めるサンドウさん。「ヘッドライト持ってきてね」

午前6時。日が昇る1時間ほど前

レンタカーで都内をAM2:00に出発し、4:30に登山口近くの駐車場へ到着。仮眠をとった後、登り始めた。今回のコースは全部で10時間。暗くなる前に戻りたいので、この早さでの動き出しとなった。ヘッドランプは初体験だった。そして、この雲取山はあまり写真が撮れなかった。その暇がなかったのだ。

途中、休憩所にいた猫。眼光鋭すぎた「その装備で大丈夫か?」

いつもより速いペース。息切れする。ついていけない。少しずつ遅れながら、休憩場所で追いつき、登りがきつくなると、また置いていかれる。しかし、登山を初めて1ヶ月。自分の体に急にイノベーションが起きる。登り方を変えた瞬間に、誇張でなく3倍ほどラクになった。界王拳3倍である。急についていけるようになり、ぜんぜん疲れなくなった。今までの登り方はなんだったんだろうか。これもまた言語化は難しいんだけど、要は腰を入れるというか、前足の上に腰が来るように、体全体を前に運び、重心の力を使って登るというようなやり方である。それまでは足の力で登り、重心はどちらかというと後ろで、それを無理やりひっぱって、腸腰筋が死ぬ、みたいな感じでゼエゼエハアハア言いながら登っていたのが、急にスイスイ登れるようになった。天啓が降りた、ともいうような登り方の変化に、自分自身がいちばん驚いていた。こんなことは人生でなかなか体験できない。記憶を遡ると、急に逆上がりができた、急に自転車に補助輪なしで乗れるようになった、そんな体験だった。この感じは、なんていうか、この登山だけでなく、スポーツ全般や、なんだったら趣味や、仕事や、人生のあらゆるところに反映可能なのではないか、というくらいの気持ちになった。「腰を入れる」「腰がひけてる」みたいな慣用句があるが、それを肉体的感覚的に理解することができた。

初の雪山登山。足の感覚が楽しい&寒い
初チェーンスパイク。安心感が違う
ポールがあると1.5倍ラクになる&バランスもとりやすくなる

そして早めに山頂に辿り着き、そこから20分ほど歩く山荘にも行ってみようとなりコースを延長して山荘へ。残念ながら営業しておらずそこで料理をいただくことはできなかったが、カップヌードルなどを食べてしばし休憩した。クリスマス的なBGMなどかけて。

山の木々に雪が積もり、自然のクリスマス感にはしゃぐおじさん達

山はいい。
それは、なかなか言葉で説明できない。
体で理解するようなことがとても多いから。
登りはしんどい。
景色は美しい。
空気はおいしい。
挨拶はきもちいい。
ごはんはうまい。
道は楽しい。
分解するほど、大切なものが抜け落ちる。
すべてのものを説明可能なモジュールにして、
分解した上で標準化したマニュアルに沿って
稼働させるのが近代資本主義であり、
その行く末が
AIとメタバースだとした時、
その正反対のところに山がある。
山には、実際的なものすべてがあって、
仮想的なものは何もなくて、
それがとてもいいのだ。

おしまい

・・・といいつつ、最新のアプリもあって、
YAMAPやヤマレコといったアプリとスマートウォッチを連動させることで
GPSで位置を把握し、みんなの足跡データを辿ることで、
道迷いが減り、遭難が減り、集合知によって
山はもっと楽しくなっている。
登山届けや保険もワンクリックでできてラクだし最高である。

あともうひとつ、ここ落ちると死ぬかも、ってことや、寒すぎて低体温症になるかも、みたいな苦難を乗りこえて、体と頭を使い切って山を行くのが、なんていうか、命のかたまり、みたいなものに自分がなってる感じがする。生きてるなーっていう強烈な実感が。煉獄さんは「命を燃やせ」と言ったが、10時間歩いて温泉に浸かった時は「命燃やしたなー、次はどこかなー」って考えてた。

山はいつでもそこにある。
一緒に行ってみたい人は、
いつでも行きましょう。

靴とザックと雨具さえあれば、
あとはなんとかなるから。

こんな笑顔するやつだっけ?な写真@茨城県北ロングトレイル

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