洞窟を抜けると、夏が終わりかけていた。
よさこい祭りが終わり、高知は夏のピークが過ぎようとしている。土佐山に来るのもこれで10回を超える。もはや、在住でない人の中で、最も土佐山に詳しい人になりつつある。
というのも、今回は菖蒲洞(しょうぶどう)に入ってきたからだ。高知三大鍾乳洞のひとつで、入場料を取る観光地的運用はしておらず、管轄は県だが、実質的には菖蒲地区の自治によって管理されている。つまり、普通は入れない激レアな場所である。
土佐山で育った人なら小学四年時に社会見学的に入ったりするが、高知県民の1%も知らないこの暗い穴に入った経験があれば、もはや土佐山の知識と経験は高知県民の上位1%に食い込めると踏んでいるのだ。
今回は年に一度の「菖蒲洞を楽しむ会」に、土佐山アカデミーのコネクションで参加させてもらった。中に詳しいガイド役の方に先導されながら。中には最低限のロープと鎖のみ。電灯はなく、皆ヘッドライトの光を頼りに洞窟を進む。ヘルメットは必須である。頭を108回は打つ。皆、痛くないのに「いてっ!」と言うから人間は面白い。飼い慣らされた痛覚。
洞窟は暗く、狭く、時に水が流れている。中には2、3箇所ほど、膝を濡らしながら、這い蹲って(はいつくばって)進まなければいけない難所があり、盛り上がる。人生で這いつくばることがあるのは、自衛隊演習か、運動会か、パチンコで全財産すった人くらいであろう。
菖蒲洞の中で、人が進めるのは全長300メートル程度。高知県の天然記念物に指定されており、古生代にできたものと言われている。弥生式の土器なども発掘されており、永い時の流れを感じることができる。ヘルメットがうっかり鍾乳に当たるたび「はい10年消えた」と言って遊ぶなどした。実際はけっこう硬いのであまり削れていないようで安心した。
中はひんやりと涼しく、夏であることを忘れる。すべる、こける、ぬれる、カメラを汚す、ライトを落とす、サワガニの死体にビビる、コウモリの襲来にパニくるなどなど、インディ・ジョーンズばりのスリルと興奮がある。
約1時間半ほどかけて往復し、外界に出るとむわっと暑い。暑いが、ちょっとした生まれ変わりのような爽やかなイニシエーション感がある。京都、清水寺の「胎内くぐり」にも似た感覚。
そうして無事現世に生まれ変わり、婦人会の方々が用意してくださった野草の天ぷら、イタドリの炒め物などいただく。ほぼすべての食材が土佐山産であり、贅沢な時間を過ごす。モンゴルで羊をその場で捌いてもらって食べた時にも感じたが、その土地のものをシンプルな調理で食べるのが最もラグジュアリーでありファビュラスである。
流しそうめんやスイカ割りなど、子どもが大喜びなミニイベントもあり、親たちの撮影タイムが始まる。千葉のサマーソニックではケンドリックラマーやニュージーンズにスマホを向けている人々がいる一方、ここ高知の土佐山では唯一のスターである我が子のライブに夢中な親たちがいた。
面倒役の方は「最近の子どもは賢くなった。スイカ割りでも棒の先でスイカを探してから割る」といっており、それはリスク回避と成功確率を上げる頭の良さだが、思いっきり棒をぶん回して天井にぶつけた子の方が思い出の純度は高くなる気がした。
ちなみに「菖蒲洞を楽しむ会」では、午前の洞窟探検の後、お昼ごはんが毎年用意されており、立派な公民館でいただく。このような地域イベントは片付けが終わってすぐに反省会を開き、よかったところ、悪かったところを挙げ、ブラッシュアップして来年に備えるという。秘伝のレシピはどんどん洗練され、調味料のグラム数まで記載されている。土地のイベントへの本気度がすごい。
その後、本分を思い出し、菖蒲洞のキャッチコピーを考えるワークショップをやるなどしました。高知県民の1%しか知らない鍾乳洞がある。的なコピーが刺さりました。マイナー気質。
流しそうめんやスイカを食べて、高知龍馬空港から羽田へ向かうと、なんだかもう夏は終わりかけているなと思い、センチメンタルジャーニーな気持ちになったのも束の間、東京はまだまだ暑かった。高知より2〜3℃暑い。ちなみに洞窟で服が泥だらけになってたので、下半身は水着とビーサンのまま帰宅しました。全然夏終わってない。