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vol.118/ 身体がSOSを発した時

先日久々に体調を崩してしまった。
流行病ではなかったことが本当に救いだったが、それでもやっぱり体調が悪いのは辛い。何を食べても胃がモヤモヤしてお腹がグルグルして、熱が出たわけではないんだけど頭はボーッとしているし、身体は変に火照っていた。


心と身体が健康でいられることって、なんて有難いことなんだろう。


実はこの体調不良の原因はアレだな、というのは分かっていた。プライベートで気を張らなきゃいけないことが数日続いた為だ。前々からこの数日間のことを考えてはズーーーンと重くなる、ということを繰り返していた。
そんな気分は誰だって嫌だ。だからこそ上手くいく様に、何事も無くスムーズに過ぎ去る様にとイメージしてイメージして…と準備を重ねる日々だった。



全て上手くいかせるためにはどうする?
今こうやって行動すれば、こう伝えておけば波風立たないかも知れない。



全て上手くいくように上手くいくように…誰も傷つかないように…と最大限力み、熱が入ったマインドで身体と気持ちを前へ前へと動かし、気を張ったままの緊張状態が続く。そしてその数日間が何とか終わった途端にこれだ、身体がSOSをガッツリ伝えてきた。そういえば身体中が痛むし、コリがすごい。気を張りすぎた心は身体をもガッチガチにしていて、でもこんな状態になっていたことにもこの時やっと気がつく始末。そして冒頭の一言に再度辿り着く。



心と身体が健康でいられることって、なんて有難いことなんだろう。
(2回目はもっとしみじみと)



私たちは時と場合で上手くいくように行動する場面があると思うし、これまでにも当然あっただろう。

失敗は許されない。
できる限りの負の状態は回避したい。

そして成功を思い描き、だったらこう行動しようあれを準備しようとするそれは、計画性も行動力もあり、目標を持って能動的になっている姿はとってもとっても勇まし見える。

だが、度を過ぎる力みはやっぱり自然じゃない、というかとっても不自然なこと。

自分の思い通りに何でもこなしたい、なんていう発想自体とっても不自然でとっても傲慢だと思わないか?私はこういう考えがまだまだうんとこびりついているし、それを少しづつ剥がしていきたいと思っているけど、これがまた中々に難しい。またこんなにも心と身体がリンクしてきたことにも驚いている。どちらかを無視し続ければし続けるほどにSOSを出してくるスピードが早まってしまった。(それはとっても良いことなんだけど)
要は嘘がつけなくなったということで、無理が効かなくなったんじゃなく調和を促され、そろそろ学びなさいと言われているようだった。



頭では分かっていてもそれを行動に落とし込めるかどうかで現実が変わる。大きく言えば人生が変わってしまう。

この件に関してのこの行動は、“恐怖心”からだったって自分でも分かっている。やはり上手くいかないことを考えたら怖くなるし、バラバラになっていく様はどうにかして避けたかった。だからこそ、自分ができる限りのことをしなくては…!と思えば思うほどに熱量は増えた。これら恐怖心は“愛”があるからだってことも重々承知。いつだって愛と恐怖は隣り合わせというか、向かい合っているのだ。

恥ずかしながら恐れていた数日は過ぎてしまえばそこまで考えなくっても良かったなとか、1人で何もかも抱え込みすぎたな、とかそんなことばかりだった。自分が想定していたことよりもとっても和やかで穏やかで、寧ろ拍子抜けだったじゃんか。

大体殆どのことがその程度のことやものなんだよな、案外そんなものなんだよ。


“心配事の9割は起こらない”という本を読んだのはいつだったろう?
誰かが“まだ起きていないことを想像・妄想しない”と言っていた気がする。

まだまだ全て流れに身を任せられるほど出来た人間じゃないし、心の広い人間でもない。全て愛からの行動で見返りは何一つないと言えるほどマザーテレサに近づきたいとも思っちゃいない。それでも少しづつ、少しづつでいいから流れに身を任せてあらゆることと調和していきたいし、出来る限り自然体でいたいし、そう“在りたい”と思うのは、傲慢だろうか。



9月が始まりました。
夏ももう終わりなのか、残暑が残るのか。
ただ夏の疲れが出始めるのも今だと思います。
自分の心と身体を労って、皆様軽やかに秋を迎えられますように。

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