天使とくまえるのこと
気がついたら、「おじさんの小人が見えたり妖精や天使が見える」と怪しいことをいう友人に言われたことが本当になっていた。
大人になって通信の芸術大学に行き始めた頃、芸大なんだから絵の描き方は丁寧に教えてもらえるんだよね?なんて呑気に思っていたら、私が選んだ情報デザイン学科は今や日常に溢れている情報をいかに多くの人にわかりやすく過不足なく効率よく伝えることができるかということをイラストを媒介にして伝えることを学ぶのがメインストリームで、だから絵は自分でなんとかしてねっという感じ。
もちろん、デッサンやアクリル絵具やイラレやフォトショの入門編みたいなスクーリング授業もあることはあったけど、駆け足で数日だったりするので、いきなり絵が描けるようになったりはしないわけで、でも、課題をこなすには絵が描けないと進まないということに入学してから気がついて慌ててパニクっておりました。
高校時代、美術部だったことを最後に絵を描いたり、イラストを描いたりすることからすっかり遠ざかっていて、何も描けない私は毎回、まわりの人たちがスクーリングでスラスラとしかも素晴らしい絵を描いていることにビビっていた頃、冒頭の怪しいことをいう元同僚の友人にランチをしながら弱音を吐いていました。
するとその友人が「大丈夫よ〜、あんたには天使が二人、後ろで見守っているのが見えるから」と言い出したのです。私がケーキを食べていると、あ、羽をパタパタして喜んでいるよ、天使たちも、とか言うわけです。
そう言われても、見えない私は安心できるわけもなく、なんだかねぇー、天使がいてくれるのは嬉しいんだけど、急に絵が描けるようになるわけじゃないしなぁ・・・・・・・お、そうか、ひとまず、天使、私も見えるように描いてみよう、これも勉強だ、とか思って、私の中にある天使のイメージで、天使は羽が生えていて、青い服をきていて、頭に輪っかもあって、前髪しかなくて(実はそれはチャンスの女神のことだったと後から気がつくのだけど笑)という天使の絵を描いてみました。その最初の絵は本当に下手くそだったのだけど、その天使が私の最初のモチーフとなりました。不思議なことにそれから少しずつ絵を描いて表現するということが楽しくなってきたのです。それまではただただ困り果てていたのに。
天使の絵を描き出してしばらくした頃、天使の部屋に何気なくぬいぐるみを描きたくなって、くまのぬいぐるみを天使の部屋の隅に描きました。それをFacebookに投稿すると友人たちからぬいぐるみがかわいいけど、犬?と聞かれたので、くまのつもりなんだけど・・・というと「くまにしてはなんか変」とコメントが来ました。よく見ると私が描いたくまの耳は三角耳。くまさんの耳は丸いってことに後から気がつきました。でも、この出来損ないのくまのぬいぐるみがなぜか好評で、出来損ない感も他人事に思えず、「くまえる」と命名。以来、この天使とくまえるはいい大人になってから絵を描きはじめた私の大切な相棒として、あの怪しい友人が言った通り、いつもいつも絵を描く私のそばで見守ってくれている、そんな存在になりました。
そんな天使とくまえるには、自分の中でいろんな設定が出来上がっていて、それを絵本にしたいという野望が湧いてきました。天使とくまえるはそんな次のステップも示してくれるのか?などとも思うけど、簡単なことではないなぁと思い知る今日この頃、難しいと知りつつ諦めないで頑張りたいです。
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