アメリカで就職するはずがお預けになった
昨年末に近くのコミュニティカレッジで面接を受けることになり、無事に学生支援課の窓口係の仕事をもらった(はずだった)。
しかし年明けに雲行きが怪しくなった。私が持っているビザはどの職種でも制限なく働ける種類だが、コミュニティカレッジではそれが通用しないというHRの判断だったそうだ。そこで私を採用したマネージャーさんは私がESLの生徒だということに目を付けて”学生枠”で雇うことに変更した。そうすると労働時間の合計が週20時間までという上限がつく。フルタイムで働きたかったのでがっかりしたが、働けるだけまだよい。
そうこうしている内に”学生枠”の学生とはコミュニティカレッジの単位を6単位分もっている学生のことを指すという説明がHRからマネージャーさんにあったそうだ。つまり私は単位にはならないESLを受けているので学生として雇ってもらえないことになった。これが3月半ば時点でのアナウンスだった。
とはいえまだ別の採用方法があるということでそれに賭けることになった。それは”コミュニティメンバー枠”つまり一般人ということである。この意味が分からなかったので今日マネージャーさんに会いに行った。結果としては”一般人として普通に応募してください、ただしすでに面接は通っているのでそのまま雇ってもらえるように推薦する”ということだった。げんなりした。面接を受けてここまで判明するのに5か月か。自分から毎週マネージャーさんに会いに通ったら話はもう少しついたのかもしれないが、どうやらHRも人手不足で回答が出てこなかった様子でもある。今更嘆いても仕方ない。そして仕事が欲しいならESLのチューター職に一般枠で応募するしかない。
ここで問題がふたつある。ひとつはESLの開講が夜間(18:30-21:30)なので平日夜は家を空けることになる。しかもチューターは17:30出勤なので夫と夕食をとることができない。もうひとつはこのチューター職は1年という期限付きなことである。チューター職に就きながらコミュニティカレッジの単位を取得して学生支援課の窓口係に就くことも可能である。さてどうしたものか。
急に日本に帰国したくなった。もう職もなく有閑といえる余裕もなく日本語を話す機会もない地方暮らしは1年経って”おなか一杯”状態だ。日本に帰りたいからといって”日本恋しさ”に日本人と知り合いたいという気持ちは一切ない。この辺りには日系企業どころか企業らしい企業がないことに心から安堵する。完全に農業で成り立っている街だ。ただ単に自分で切り開ける生活が懐かしいだけで、アメリカでそれができれば生まれた国でも恋しくはない。アメリカで仕事をみつけて働ける皆さんを尊敬する。そのバイタリティがあれば小さい島国では”収まらない”というのもいまやっとこさ理解できた。