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小学生で性被害  しゅこうの学ぶ教員 (for teacher) 11

 朝日新聞の10月5日の朝刊に「小学生性被害 息子と母の苦悩」の記事があった。この記事は、教員・保護者などで広く考える問題だと思える。
 これは、性に関する知識が不十分な為に起こることが多い。私は学校で教える「性に関する指導」について考える前に、社会の問題と思える。学校で教えるには色々制約や問題がある。もっと病院や公共施設等で広くしっかりとした知識の元、時間をかけて学んだ方がいいと考える。教員と児童や生徒の関係の中では、近すぎて問題になることがあると思っている。学校やクラスにとらわれない場所の方がいいと思う。

 今までの教育では、具体的なことはほとんど教えていない。性交渉と言うことではなく、それぞれの段階での悩みに答えることもなく、広く一般的なことで、もっと個人的なことが分からないため、ネットの情報やマンガやラノベなどの描写がいいものだと考えてしまうようだ。
 自分自身もよく分からなく、中学生頃には間違った知識だったと後で分かったことも多い。年齢を重ね経験したことで分かったこともあるが、よく分からないことも未だにある。
 今回の事件は、性に関する知識をどうやって正しく身につけるかが問題だと感じた。家庭でも子どもとして聞きづらかったり、親として教えづらかったりするだろう。学校でも同じような感じだと感じている。

 更に気になる点が、恋愛についてのことだ。相手を好きになる感情はあるだろう。これは、広い範囲で考えているが、仮に好きな人が出来たとしたら、その感情をどうしたらいいのか、付き合うとしたらどうしたらいいのかなど、ほとんど学ぶことがない。付き合い方のテクニックではなく、自分の感情と相手の感情をどう理解するかだ。ここにも、ネットやSNS等の情報を信じ、間違った方向に走ってしまう事が多い。
 身近なことを例にすると、告白された相手に酷いことを言ったり、好きなのに恥ずかしくて嘘を言ったりと、どう対処したら分からないためだったり緊張でうまく言えなかったりすることもある。これは教育とは言えないが、相手に対してしっかりと応えることが出来ないために、誤解を招いたり犯罪になったりすることもある。
 広い意味での心の教育なのだろうが、とても大切な気がする。
 何でも情報が手に入りやすい時代だが、真実ではないものや、個人的なものがある。その見極めなどほとんど出来ない。

 今回の事件は、昔から感じていた事を思い出させられた。自分も子どもの頃、性に関する正しい知識や恋愛についての心構えなどがあれば、苦しまなくて済んだ経験がある。それを、学校で教員として教えることは立場的に出来ないと感じる。それは、個人的な考えが混じり、どこまでが正しい知識かが分からないからだ。やはり専門的な知識は、その専門家に頼んで教えた方がいいと感じている。直接関わりのない方が教える方が気楽に聞けると思う。教員の不確かな知識で教えたくなかった。
 ただ、大切な知識の一つである。欧米のように具体的な場面でどのように自分は行動するのかなど、討論的な教育はまだまだ日本には無理かも知れないが、自分の身体について「性的合意」の意味も考えなくてはいけない。やはり、成人になってもこの知識や考え方の習得は必要だと思う。

 まだ先のことと思ってるだろうが、高齢者の自立機能の低下による性意識の変化も問題になってきている。



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