見出し画像

私の比較論

人と比べてもいいこと一つないよ。
みんな口を揃えて言う。

けれども人間は無意識のうちに日常の中で様々なものを比較している。

買い物するとき、複数の商品を比べる。
学問・研究をするとき、実験結果やサンプルを比較をする。
人を比べることもザラにある。
バチェラーとか複数の美女を比べてバラを渡してるし、
世の中の親たちはパパとママどっちが好き?という陳腐な質問で子供を困らせる。

人と比べない、なんて人間の特性からして不可能だ。



毎回大盛り上がりの留学仲間との長電話中のことである。
その時、私たちと同じように留学をしている同じ学部の友達について話していた。

ねねこの前の〇〇ちゃんのインスタの投稿見た?
見たみた!〇〇ちゃん頑張ってるよね。

出だしは問題なかった。

羨ましいなあ。やっぱ流石だよね。
〇〇に比べて私は。。。はぁ。

明るかった雰囲気がだんだんと重くなっていく。
そして不穏な空気を決定づけるかのように、いつも明るい人気者のAは彼女らしからぬ様子でボソッと呟いた。

最近、何もない日がたまらなく怖いんよね。みんなに置いていかれる気がして。

異様に寂寥感を帯びた彼女の声。
携帯を4時間以上握りしめた私の手から突然ふっと力が抜けた。
携帯をそっと机に置き、軸を失った体をベッドに委ねる。
シーツで汗ばんだ手が冷えていく感覚を覚えながら、私はただただ友人たちの会話をぼーっと聞いていた。

。。。前もこんなことあったっけな。  

大学受験の結果発表の日の記憶が、友人たちの会話を押し退けて私の脳裏を走馬灯のように駆け抜けた。

私の大学受験の目標。
それは、姉が合格した難関大学に自分も合格することでシスターコンプレックスを解消することだった。

みんなどうぞ盛大に笑ってくれ。
自分でも超絶ダサいなって思う笑

でも当時の自分にはそれが唯一自分を解放してあげられる方法に思えた。

だから自分の番号がなかったとわかった時、涙が止まらなかった。

ティッシュ三箱分泣くと流石に疲れる。
軸を失った体をベッドに委ねる。
シーツで汗ばんだ手が冷えていく感覚を覚えながら、
横に積まれた教科書のタワーを見つめる。

姉から受け継いだ教科書。
姉を真似した分析ノート。

随所に姉の存在があった。

視界が霞んだ。

ああ、姉に負けたんじゃなくて自分に負けたんだな。
そう悟った。

姉に比べられたくない。劣りたくない。
そうやって優秀な姉の比較対象にされる妹の宿命を恨んできた。
でも実際一番姉と比較していたのは他でもない自分自身であったし、
そうすることで自分と向き合うことから逃げていただけだった。
姉の通ったレールの上をなぞることに安心感すら覚えていたのかもしれない。

私自身で考えて行動したことが今までどれだけあっただろう。

そう思った瞬間、踏ん切りがついた。
涙もピタッと止まって気づいたらせっせと教科書たちを玄関に運んでいた。

この時が生まれて初めて、姉基準ではなく
自分がどんな人生を歩みたいかちゃんと考えられた瞬間だったように思う。





大人数で仲良くしている様子やもうその土地に馴染んでいる様子をSNSで見かけると自分だけうまくいっていないという気持ちになる。人と比べてる自分が惨めになる。留学生あるあるだ。

でも人と比べちゃうの当たり前だから。
比べて自己嫌悪に落ちちゃうのハッピーセットだから。
でも最終的に自分はどうなりたいかっていう問いに帰着できればなんの問題もない。

なりたい自分像。

それは楽しく遊ぶ友達がいて、
パーティーによく出かけて、
なんらかの勉学、活動で成果を出せる
ありふれたリア充留学生なのか。

ちゃんと問い詰めていけばすぐに違うとわかるはずだ。

友達がいなくてジム通いまくったらムキムキになった。
パーティーには出かけず部屋に閉じこもって日本のドラマと本にどっぷり浸かった結果(留学中しちゃいけないことNo.1)、思いがけず海外から見た日本を認識できた。
ディスカッションで的外れなことを言ってしまったのに、逆にそれが新たな視点に気づくきっかけになった。

一見、無意味で惨めな経験こそ価値があるしあなたにしか知らない物語が紡がれていく。

他者と比較してしまう自分の弱さを受容すること。
でもちゃんと最後の比較対象にするのはなりたい自分であること。

それが今の私の比較論なのかなと思う。知らんけど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?