運用型広告が上手くいっている時こそ気をつけたいこと
運用型広告は、その名の通り「運用」がわざわざ頭に付くことから終わりない改善の連続に違いないと思われている節がある。予算がある限りは運用は続いていくので誤りはないが、今やAIによる自動入札と最適化が進化し、放っておいてもAIが運用してくれる時代になった。人が運用できる領域は減り、自動化が進み、(私が解釈するに)人間が楽しめる部分はディスカバー(発見)とクリエイティブ(創造)を残すのみとなった。車に例えれば自動運転化が進み、手動で運転することで得られるドライブフィールを喪失した感覚なのだろうか。
AIの機会学習を促進する構造設計はまだ人間の力が必要とされ、その設計とクリエイティブを投入して最適化を図っていく段階までは人間が介入できる余地が大きく楽しいけれど、やれることをやり、それがある段階で上手くいって(しまった)ときに、どのようにして改善し、成長し続ける内発的な動機付けを行うのか、そこに大きな壁があると感じている。
無理やり問題点を見つけ、A/Bテストでやった感を作り出すことはできるが、枝葉の改善の繰り返しの果てに大きな見返りの結果が約束されることはない。広告プラットフォームを提供する側の広告コンサルタントからは「この複合語がコンバージョンしているので、それをキーワードに登録するとコンバージョン単価がより最適化されるかもしれません」とアドバイスを受けるが、アドバイスする側もそれを入れたところで大きく改善されることはないと承知の上で極めて表層的なアドバイスをして体裁をどうにか繕う。
枝葉は目立つのでやった感を演出することはできるが、改善できたとしてもその枝葉部分の影響にすぎない。上手くいっているときにこそやるべきことは、むしろ目立たない幹や根を見ることだろう。
私に運用側広告を教えてくれた師匠に先日問うてみたところ、クリエイティブと様々なユーザーデータを掛け合わせることで違和感を発見する試みを自然にしていた。私にマーケティングを教えてくれた師匠は、正規分布しているデータの外れの2割こそ発見があると教えてくれた。8割は誰もが気付くからその改善に大きな成長性はなく、2割しか気づかない発見にこそ大きく成長する手がかりが潜んでいると。
運用側広告はAIの進化により人間が運用する楽しみは減りつつあるが、だからこそ目立つ枝葉部分で改善した風にするのもいいけれど、わたしは目立たない根幹を睨み、ディスカバー(発見)とクリエティブ(創造)の芽が潜んでいないか、好奇心をもって探求してくことで自らを奮い立たせていきたい。勿論、運用型広告もまた森の中のひとつの木にすぎないけれど、全ての根幹は人間理解であることに変わりはないのだろう。
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