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岩渕水門が閉じた!-あの錆びた青水門が東京の下町を救った奇跡-

2019年10月12日、台風19号の上陸により東京の多摩川が越水し、荒川も越水・決壊するのではないか、という恐怖に襲われた東京の下町住民を救ったのは、東京都北区赤羽の荒川土手にある岩渕水門だった。
普段はむしろ赤水門と呼ばれるすぐそばの旧岩渕水門のほうに風情があるからか関心が寄せられ、ほとんど見向きもされない青水門。この目立たたない水門が東京の下町を救った奇跡を知りたくて荒川治水資料館に足を運んだ。

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受付で岩淵水門について尋ねると、案内員に導かれ、資料館の一角にある台風19号に関する様々なパネルを前に丁寧な説明を受けた。

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岩淵水門は1982年(昭和57年)に開門以来、過去5回ほど水門を閉じたことがある。今回の台風19号上陸による閉門は、12年前の2007年に発生した台風9号以来だという。12年前に大きな台風があったことをもはや覚えていないが、台風19号もこのように風化していくのだろうか。

岩淵水門は、隅田川の水位が4メートルに達すると自動的に閉じる仕組みになっている。

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このグラフの通り、青い線の隅田川の水位が4メートルに達した後、急激に水位が下がったのは岩淵水門が閉じたからである。
荒川の最高水位は10月13日(日)の9時50分時点で7.17メートルを記録、その時の隅田川の水位は1.62メートルと水位差が5.55メートル開きがある。

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荒川が記録した最高水位に隅田川が達していたらどうなっていただろうか。それが下の図だ。

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隅田川の堤防高は6.9メートル。荒川の最高水位7.17メートルに隅田川も達していたら、堤防を27cm超過していたことになる。岩淵水門の閉門が東京の下町を救った大きな要因の証左と言えるだろう。

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もちろん、岩淵水門だけが下町を救った要因ではない。埼玉県の戸田市方面にある広大な荒川第一調節池の存在も外せない。3,900万立法メートルの調節容量により洪水調整を行う貯水池があるが、台風19号で貯留した容量は3,500万立法メートルにも達したそうだ。
この調節容量を越えていたら、堤防高6.9メートルの隅田川はおろか、堤防高12.5メートルの荒川も決壊していたのかもしれない。

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赤羽といえばロックバンド・エレファントカシマシの故郷だ。エレファントカシマシ初期の曲で珍しくドラムスの冨永が作詞・作曲した『土手』という曲がある。

ああ このまま眠ってしまうの
草のにおいの 土手のところで 土手のところで
そばにいて 笑って
そばにいて 眠る

平穏でのどかな荒川土手の風情を見事に表現した一節だ。

真心ブラザーズにも『荒川土手』という曲がある。

ああ今日も一日が終わる
荒川土手まで散歩にきてみた
向こう岸の工場が夕日でまっかっか
こうもりが空をとび犬が歩いてる
赤い水門みながら口笛吹いて帰ろう

荒川土手の何気ない日常風景の美しさが心を打つ。この土手が台風19号により、こんなにも無残な姿に変貌するとは想像できなかった。

・平穏時の荒川

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・台風19号上陸時の荒川

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しかし、普段は目立たない錆びた岩淵水門がこの危機を救ってくれた。

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草のにおいを嗅ぎながら土手に寝そべる平穏な暮らしに戻った今も、岩淵水門が果たした役割を忘れずに記憶したいと思う。

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