婆さん

今日書くことは、変な偏見とか、

思ったことじゃなくて。

先月亡くなった祖母のことを、

僕がどこかにぶつけたくて、でもぶつけるところがなくて、だからnoteに書こうと思います。 

だいぶ真面目に書いています。

なので、真面目なのは嫌って人は無理せずに。

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先月祖母が亡くなった。

台風15号がきた日の次の明け方、

家を出て行ってしまったらしく、

そのあと遺体で見つかった。

突然のことで。

台風で、停電、断水、ネットも繋がらない。

連絡をとろうにも、とれない。

全然脳がついていけなかった。


公衆電話などを利用してなんとか、

連絡をもらった日、

実家までバイクをとばして、

なんとか親父たちに会いに行った。

はっきりとしたことは、わからないが。

祖母はきっと。

停電のせいで、朝起きても電気はつかない。

周りを見ても誰もいない。

寂しくなって、自分の生まれた家に戻ろうとしたんじゃないかという予想になった。

補足しておくと、

親父は台風の時は心配で一緒に寝ていたが、

次の日は、壊れた屋根の修復などで疲れたため

自分の部屋でぐっすり寝てしまったようで。

祖母も軽い認知症であったけど、

僕のこともわかるし、

夜中に徘徊してしまうということも、

今までなかったから。

親父たちも安心していたらしい。

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僕は婆ちゃん子だ。

両親は共働き、兄弟はいない。

山の中の田舎出身のため、

隣近所に同級生がいるわけではない。

(ちなみに小学校の同級生は5人だ。)

だから、小さい頃は婆さんと遊んだ。

無理難題を言って困らせた。

反抗期からか、たまに怒鳴ることも。

夕飯も祖母の飯。

小さい頃は、婆さんのコロッケが好きだった。

小学校から野球を始めた。

泥だらけになったのも、婆さんが洗ってくれた。

風邪を引けば、すごい心配してくれて、

ただ、休みの日に部屋から出てこない俺に

『大丈夫かい?』って。そん時はうざかったけど

常に心配してくれてたんだなって。

葬儀の時に、近所のお婆ちゃん達が言ってた。

『いっつも、ともくんともくんて、言ってたね』

って。

そんだけ心配かけて、可愛がってくれてたんだなって。

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婆さんの最後に喋ったのは、

今年のお盆に帰った時。

『ばあさんいくつになった?』

『いくつだろうか?』

『86だってよ。』

『そんなんなるか。今はもう、食うことしかできないね。』

『食うだけでも、とにかく長生きしなきゃね』

『へっへっへ』

『じゃあまた来月、祭りでちょくちょく帰ってくるからね。』

『頑張ってね』

こんな話しが、最後になった。

もっとたくさん話せばよかった。

ばあちゃん孝行すればよかった。

なにが悔しいって。ばあさんが最後。

何を思ってたのかわからないこと。

寂しいと感じたなら、そばにいてやれなかったこと。悔しくて。悔しくて。

もっとちゃんとありがとうを伝えればよかった。

それをいつも思う。

悔しくて仕方ない。

たった2週間前に会ってしゃべったのに、

たった数日でもう会えなくなる。

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覚えてるかい?なぁ、Grandma
あの頃の僕といったらどうしたもんか
どうか、時を越えてあなたのもとへ…

dear grandma/九州男

ありがとう。ばあちゃん。

ごめんね。ばあちゃん。

まだまだこれから。頑張るね。

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明日やろうはバカやろう。

言いたいと思ったら言う。言わないでも伝わるなんて思ってたら大間違いだぞ。

ドラマからセリフいただきました。

でも、本当にこの通りだと思うし。

1日、1日、誰かのために頑張ろうと思いました。

明日も会えると思わないでください。

そう思いました。


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こんな内容でも読んでくれた身さん、ありがとうございました。

ぶつけたいけど、どこにも、誰にもぶつけらなれい中で、noteに書かせていただきました。

また次回から、のほほんと書こうかな。

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