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【怖い話】 桃色の栞 【「禍話」リライト 番外編】

 実家のトイレの壁に、へこみがあったのだという。

「へこみって言うか、くぼみ? スペース? 花とか芳香剤とかを置いておける、正方形の小さい空間──わかります?」

 とにかく、ちょっとしたモノを置いておける「へこみ」が、便座の横の壁にあったそうだ。
 トイレットペーパーの替えを置いたり、お母さんが小さな造花を飾ったりしていた。


 ある日の夜のこと、トイレに用を足しに行った。
 電気をつけて、便座に腰をかける。
 用を足し終わった後にふっ、とへこみに視線をやると、見慣れないものが置いてあった。

 文庫本だった。
 造花の脇、へこみの側面に立てかけてある。
 両親との三人暮らしなので、「お父さんかお母さんが読んでて、忘れていったのかな」と思った。
 でも、ふたりともトイレで本を読むなんてクセ、なかったような──

 手に取ってみる。
 日本の、いわゆる文学小説で、それなりに有名な作品である。
 確か悲しくて重苦しいストーリーのはずだった。それも両親の性格には似つかわしくない。

 ぱらぱらとめくっていくと、あるページで指が止まった。
 栞が挟まっていた。
 きれいな桃色の栞だ。女の子が使いそうな色合いをしていた。
 栞は可愛らしいのに、そのページで展開していたのは、とても悲惨な場面だった。
 目についた文章や台詞だけでも「あぁ、悲しいシーンなんだな」とわかって、わずかに気が滅入る。
 両親のどっちかは知らないけど、こんなつらい本も読むんだなぁ。
 そんなことを思いつつ文庫本を戻して、トイレを出て部屋に戻った。

 翌日にトイレを使った時、文庫本はなくなっていた。
 回収したんだなと思って、家にいたお母さんに尋ねてみた。

「昨日の夜さぁ、トイレに文庫が置いてあったんだけど、あれってお母さんの?」
「文庫本?」お母さんは首をひねった。「いや、私は知らないけど」
「じゃあお父さんかなぁ。いや、今はもう無くなってたけどさ」

 そこまで言って、変だなと思った。
 夜にトイレの中にまで持ち込んで読んでいた本を、そのまま置き忘れるだろうか?

 そのことを言ってみると、お母さんも「それもそうよねぇ」と頷いた。
「そんなに夢中だったなら忘れてもすぐに取りに戻るだろうし。お父さん寝ぼけてたのかな。で、なんていう本だったの?」
「あのね、有名なやつで──」

 書名を告げると、お母さんは「えっ」と驚いた。
 目線を下げ、頬に手を当てて、深刻そうな顔つきになった。

 どうしたの? と聞くと、お母さんは探るような口調でこう尋ねてきた。
「変なこと聞くけど──その本、桃色の栞が挟まってなかった?」
「え」 今度はこっちが驚いた。「挟まってたけど。それがどうかした?」
 お母さんは顔をわずかに伏せながら、静かな声でこう答えた。

「高校時代にさ、自殺しちゃった同級生の女の子がいたんだけどね」

「自殺──?」
「それ、その子がよく読んでた本なの。桃色の栞を挟んで──」


 昨日は彼女の命日でも誕生日でも何でもないし、第一、親しくしていたわけじゃないんだけど──

 なんなんだろうね。
 どういうことなんだろう。

 お母さんは少し顔を青くしながら言った。


 
 夜に帰宅したお父さんも「知らない」と答えた。
 手に取って開いたはずの文庫本は、家のどこにもなかった。


 それだけの出来事だと言う。

 細かい理屈は抜きに。
 波長のようなものが合って。
「何か」が現れる。

 世の中には、そういうことがあるのかもしれない。




【完】



☆本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」
 禍話インフィニティ 第三十四夜
より、編集・再構成してお送りしました。


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