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【怖い話】 水の店 【「禍話」リライト92】

 かなり酔っていたので、どこをどう歩いたのかわからないという。

「久しぶりのお酒だったもんで、とにかくもうベロベロで」

 繁華街での一人飲みは楽しく、ついつい飲み過ぎてしまったそうだ。
 何件目だかもわからないその店、かろうじて覚えている外観は、

「看板に『広島』とか『広島風』って書いてあったと思うんですよ。たぶん」

 へぇ、お好み焼きでも出すのかな? よし、次はここだな!
 Eさんはご機嫌で、その飲み屋らしき店の戸を開いた。

 静かな店だったそうである。
 おっ、静かなお店だ。上品でなかなかいいな。
 酔っていたとはいえ、空気は読める。
 Eさんはそっとカウンター席に座り、「とりあえず生で」と頼んだ。

 店内は薄暗く、奥に細長い。テーブル席とカウンター、向こうには小上がりもある。
 ラジオらしき声がかすかに聞こえていた。
 人の入りはどれくらいだったか。たぶん半分は埋まっていた記憶がある。

 生ビールのジョッキが目の前に置かれた。
 ぐい、と飲む。
 冷えていて喉に効く。うまい。
 店の雰囲気を壊さぬよう、小さく「クゥッ」と唸った。

 一口目を流し込んでから、ようやく店内を見回す気になった。
 店員は中年の店長らしき男と若い娘、無口な2人だった。

 カウンター席には自分の隣に1人いるだけ。
 首を回してみる。
 後ろのテーブルにも客がいる。奥の座敷にも複数人で来ている。
 しかし、誰も喋っていない。

 ──静かだな。
 Eさんは改めて思った。

 聞こえるのカウンター奥の洗い場の物音、水を流しっぱなしにしているらしい。あとはラジオのDJの声だけ。
 酔っているせいか耳が詰まったようになって、DJが何を話しているのかよくわからない。
 ただボソボソと、一人で語っている。一本調子で抑揚もあまりない。笑いや相槌もない。
 不景気なラジオだなぁ、とよく聞こえない耳をそば立てていて、妙なことに気づいた。

 このラジオ、音楽をかけない。
 話の途中で曲をかけるなり、喋ってる最中でもBGMや効果音を流すくらいはするものだ。CMも入らない。
 さっきから、男が景気の悪い声で喋っているばかりだった。
 

 妙なラジオもあるもんだな。

 ビールを飲み干して、もう一杯注文した。
 ジョッキに注がれて出てくるまでの十数秒の間。
 Eさんは酔っていたこともあり、このことを誰かに誰かに言いたくなった。

 隣の男性客に「アレですねぇ」と言った。
「このラジオ、音楽とかかけないんですかね。ず~っとひとりで喋って」

 男は自分の前に置かれたガラスのコップから目を離して、Eさんを見た。
 その男はほほえんで、こう返事をした。
「あぁ。いいんですよ。これは。ただの、つなぎですから」

 つなぎ?

 予期せぬ単語に酔っ払っていたEさんの頭は混乱した。
「そうそう」同意する声がした。
 店主が2杯目のビールを置きながら、カウンターの中で頷いている。
「これ。つなぎですから。つなぎ」

 つなぎ。

 作業着──じゃないよな。
 なんかとなんかの間の「繋ぎ」って意味だよな。
 なんの?

 店主や隣の客の態度にはイタズラめいたものはない。一見さん向けの冗談でもないらしい。
「はぁ、そうですかぁ。つなぎねぇ」
 それだけ答えてビールの2杯目に口をつける。

 ふと、隣は何を飲んでいるのか気になった。
 目をやる。
 透明の、ありふれたガラスのコップだった。
 無色透明の液体が入っている。ビールやウイスキーではない。
 ガラスの表面に水滴が浮いている。

「あぁ、水だ」
 とEさんはなぜか思った。
「日本酒とかウォッカじゃない。ただの水だな」と。

 そういえば。
 Eさんは再び首をめぐらせる。
 後方のテーブル、奥の座敷。どの客の前にも同じコップがある。
 全部、ただの水なような気がする。

 そればかりではない。
 どの客も、食事をしていない。
  
 煮物や枝豆、肉や魚、つまみの皿の一枚もない。
 全員が、水滴の浮いた小さなコップを前にしているだけだ。
 しかもそれを飲んでいる気配すらない。

 自分のビールが、ひどく場違いなような──

 ぶちっ。

 ラジオの音が切れた。
 はっとして前を見ると、店主がカウンターの陰に手を伸ばしていた。スイッチを切ったらしい。
 店内に響くのは、シンクで出しっぱなしらしい水道の音だけになった。

 悪い夢の中にいるような気分になってきた。
 すごく居心地が悪い。

 Eさんはビールの2杯目を飲み干した。
 帰った方がいいような気がする。理由は分からない。
 頭の芯の方が冷たくなってきている。

「あ~、すいません」Eさんは女店員に声をかけた。「お勘定、いいですか」
 財布を取り出そうとすると、店員は言った。
「大丈夫ですよ。もういただいてますので」
 え、とEさんは言う。
「あの。誰からですか?」
「アオヤマ様です」
「アオヤマ?」
 知らない名前だ。
「どちらの、アオヤマさんですか」
「ほら、あちらの」

 店員が示したのは、客席ではなかった。
 カウンターの中、調理スペースの奥。
「え、どこ──?」
 Eさんはカウンターの切れ目からその方向を見た。

 調理スペース、コンロ、シンク、と奥に向かって並んでいる。
 シンクの蛇口からは水がドボドボと流れ落ちている。

 水が溜まっているそこに。
 人がひとり、頭を突っ込んでいた。
 首から上を全て浸けている。

 服装から、若い男に見えた。

 Eさんが二の句を告げずにいると、頭がざぷん、と水から上がった。
 びしょびしょに濡れて顔のわからない男がこっちを向いた。そして、

「ひさしぶり」

 と言った。


 そこから先の記憶がない。
 気づいた時にはEさんは、公園の水道で顔や頭を必死に洗っていた。
 上半身が濡れそぼって、水が滴っていた。


「──っていうので終わってたら、酒の飲み過ぎで変な幻覚でも見たんだろうって話になってたんですけどね」
 Eさんは言う。
「これを、酒の失敗話として家族に話したんですよ。両親と姉貴に」

 親父も出先で飲みすぎるとこういうことになるぞ? と冗談めかして話していたEさんの口が止まった。
 居間が重苦しい空気に包まれている。
 両親も姉も、腕を組んだり眉を寄せたりと厳しい顔をしている。

 なに、どうしたの。そんな顔して。
 Eさんが聞くと、父親が答えた。

「いや──忘れてるもんだと思ってたけどな。しかしそりゃ、どういうことなんだろうなぁ」
 ひどく暗い口調だった

 ご家族が言うことには。

 Eさんは小さいころ、家族で出かけたキャンプ場の川で溺れたのだという。

 その時、近くにいた男の人にな、お前、助けてもらったんだけど。
 お前はまぁ助かってさ、男の人はな、溺れて、死んじゃったんだよ。
 その人の名前が、アオヤマさんって、言うんだよな。

 お父さんは言葉を選ぶようにしながら語るのだった。

「でも、おかしいんですよ。俺が覚えてないことはまだいいとして──」
 Eさんは妙な汗を浮かべながら続ける。
「助けてもらったなら普通、言って聞かせるじゃないですか。助けてもらったんだよって。子供に。言い聞かせるでしょ?
 命日には花を供えに行くとか──向こうのご家族と折り合いが悪くなったとしても、せめて川には線香を上げに行くとか。ねぇ?
 それに、両親と姉貴の口が妙に重いんですよ。俺のせいで人が死んだからってんじゃなく、別のことでこの話はしたくないって感じで」

 もしかしたら──もしかしたら、ですよ?
 溺れる俺を、アオヤマさんが助けたってのは、違うのかもしれない、と思って。

 たとえば、キャンプ場ではしゃいでたら俺とぶつかって一緒に落ちちゃった、とか。
 上流で溺れて流されてる途中に俺がいて、捕まって助かろうとして引きずり込む形になったとか。
 岸に流れ着いた、死んだアオヤマさんを見つけたのが俺だった、とか。

「そういうことじゃないと、家族の表情の暗さや口の重さに、説明がつかない気がするんですよ」

 ご両親やお姉さんの、アオヤマさんについて語る時の沈鬱な顔つきを思い出すと、ずっと聞けずにいるのだと、Eさんは言う。

 そのキャンプ場が「広島」にあったのかどうかも聞いていない。

 当の店も、幾度か昼のうちに探してみたものの、見つけることはできなかったという。

 俺、アオヤマさんのことは今も、何一つ思い出せないんです。
 キャンプ場のことも、あの店で水から上がった顔も。全然。

「たぶん、ずっと分からないままなんでしょうね」
 Eさんは言うのだった。



【完】




★本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」、
 元祖!禍話 第十八夜 より、編集・再構成してお送りしました。

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【1】4は死に繋がるが……怪談ならば縁起物! ついに出る!
『禍話リライト vol.4』
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【2】11月25日(金)23時は、ゲストをお呼びしての怪談会、「ホストクラブ禍話」
 レギュラーの壱夜さん、夏目大一朗監督に加えて今回は……

 竹内義和さん

 がいらっしゃいます。
 竹内さんは、

 今敏監督のアニメ映画『パーフェクトブルー』の原案作を書いた人で、
 80、90年代における昭和発掘的サブカル研究・探求の第一人者で、
 伝説的ラジオのパーソナリティーをしていた/今も現役のパーソナリティーで、
 あの「私にも聞かせて……」と声が入っているかぐや姫のコンサート音源を持っていて、
 当然ながらホラーにも詳しく「怪談師」としての実績もあり(2015年怪談グランプリ覇者)

 そういう大変な方が「大阪禍演」(下記参照)に参加されるとは言え、何故「禍話」の本放送にまで出ていただけるのか、
 なんだかさっぱりわからないのですが、とにかくいらっしゃいます。これは大変なことです。
 北九州の素人男性が……無料でやっている……そういうラジオに……竹内さんが…… 
「アッ ドウモ…」「アッハイ」「昔カラ 御本トカ 読マセテイタダイテ…」「ヒヒヒ…」と化すかぁなっきさんを聞き逃すな!

12月の三大イベント! 2022年はこれで終わりだよ!

12.11(日) 
 大阪再上陸! 今回は壱夜さんがレジェンド・竹内義和さんと組み、「怪談帖」と「猟奇人」がぶつかって、ひ、人が……!? 「大阪禍演 ~2022冬~怪談帖vs猟奇人」

■12.18(日) 
 あの企画が東京へ! 一流怪談師が語り直し、短編映画になる禍話! 「禍演 ~東京 2022~」

■12.25(日) 
 
聖なる夜……あなたの元に、厭な気持ちをお届けします。配信ライブ、「FEAR飯の聖夜に凹んでかまへんで」

詳細は↓に。また来月再掲します。





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