【怖い話】 線香の母 【「禍話」リライト 22】
そういうことにしておこう、という話が、世の中にはある。
Kくんが、中学生の時の話。
どんな流れだったかは忘れてしまったが、友達の友達の家に泊まりに行くことになったそうである。
その友達の友達は、Tくんとしておこう。
Kくん、友達、Tくん、の3人で一晩遊ぶわけである。
Kくんは、そのTくんとはほとんど顔を合わせたことがない。家にも行ったことがない。
でも間に双方の友人がいて一晩遊んでれば、まぁ、そのうち打ち解けてくるだろう、そう思って隣町に出かけたそうだ。
「こんにちはー」
「あぁ、来たな。遠かったか?」
「いや別に、隣町だから! あぁそれでこいつ、Kってオレの友達」
「こんにちは」
「こんにちは」
「……今日は、よろしくね」
「うん」
どうもやはり、KくんもTくんもほぼ初対面な関係である。距離の取り方も挨拶もお互いにギクシャクしてしまった。
「じゃあ、上がってよ」
促されて家に入った。
休みだったのかお父さんが居間にいたので、2人で「こんにちは~」「よろしくお願いします」と挨拶をした。
お父さんはごく普通のおじさんで、
「おお、ゆっくりしてってね!」
そう気軽に挨拶を返してくれた。
3人で奥のTくんの部屋に行き、荷物を下ろした。しばらくダラダラ話していたが、KくんとTくんはどうしても、友達を挟まないと会話がしづらいのであった。
趣味も好きなことも、共通の話題も双方知らないのである。仕方ないと言えば仕方ない。そのへんについて軽く話を振ってくれればいいだろうに、間にいる友達も気が効かないヤツである。
やがてTVゲームがはじまって、2人の深い交流はないまま時間が過ぎた。
夕御飯はなんと、お父さんがお寿司をとってくれた。3人で喜んでおなかいっぱいに食べたそうである。
それからまたゲームだった。あぶれた一人は部屋にあるマンガを手に取ったり、ゲームプレイに茶々を入れたりして、それなりに楽しい時間が過ぎていった。
ある時、ゲームから外れているタイミングで、Kくんはトイレに行きたくなった。
あのぅTくんさ、トイレってどこかな? そう尋ねるとTくんは、ここを出た廊下をまっすぐ行くとあるよ、と教えてくれた。
さっそく部屋を出て、廊下を歩く。問題なく、すぐ先にトイレらしきドアが見つかった。
さて、と廊下を進んでいくと、左側にある和室の襖が開いている。
そこに、仏壇が置いてあるのが見えた。
仏壇には比較的若い女性が、普段着で笑顔を浮かべている写真が飾ってある。その前にはきちんと、お茶か水の入った碗も供えてある。
「あぁ」Kさんは友達に言われていたことを思い出した。
Tさんは母子家庭ならぬ、父子家庭であった。
お母さんはTさんが幼稚園の時、交通事故で亡くなっているそうなのだ。
「だからまぁ、そんな場面もないとは思うけど、お母さんについての話は避けた方がいいと思うよ」
友達のその言葉を思い出したのである。
「そうだっけな。じゃああの写真の人が、お母さんなんだな」
Kさんは胸が少し締め付けられた。
トイレで用を足して部屋に戻ったが、無論さっき見た遺影のことなど話さなかったし、ゲームやマンガなどを散々楽しんで夜まで過ごした。
0時を過ぎた。
元より狭い子供部屋である。中学生3人は、かけ布団だけもらって、川の字みたいになっての雑魚寝という形になった。
寝返りを打つには苦労しない程度の広さはあったがやはり息苦しい。ゆっくり眠れそうもない。
横になってどうでもいい話がダラダラ続くんだろうな、と思っていた。
ところが。
まだ仲良くなりきっていないKくんとTくんを繋ぐ役割のはずの、この間の友達。こいつが、さっさと寝てしまったのである。
グーグー安らかに、イビキをかいている。
「こいつ、寝るの早すぎじゃん? 深夜のトークとか参加しなきゃダメじゃね?」といささか不満に思ったが、わざわざ起こすのも変だ。
かと言ってTくんと話すきっかけ、とっかかりみたいなものも見つからない。それに、先方ももう寝ているかもしれない。
彼に「起きてる?」などと声をかけるのもどうかと思う。声をかけたって、その先の話題がないのだ。
真っ暗な部屋の中がだいぶ気まずいムードになったものの、仕方なくKくんは布団の中でボーッとしていた。
と。
「幼稚園の時にさぁ、お母さんが死んじゃったんだよね」
Tくんがだしぬけに言った。
「Kくん起きてる?」と声をかけることもなしに、独り言みたいに始まった。
あまりにいきなりだったので、Kくんは「おぉっ、う、うん……」と、かろうじて反応することしかできない。
「事故で死んじゃったんだけどね、すごく突然いなくなっちゃったんだよ」
「う……うん……大変…………だったね…………」
「…………でもさぁ、おれ、お母さん……まだこの家の中にいると思うんだよね」
「……お、あぁ、あの、生きてた頃の、なんかこう、名残、みたいな?」
「ううん、そうじゃないんだ」
Tくんは静かに続ける。
「親父は、仕事が忙しいから、夜遅くならないと帰らないんだよ。そんな夜に、おれが1階にいるとするでしょ」
「うん」
「そうすると、2階のさ、どこかから、足音がするんだよね。誰かがいる気配もするんだ」
「そ、そう……」
「それから、夜になって寝ようとして、この部屋の布団に入るだろ。そうすると、隣の部屋、そこがお母さんの部屋だったんだけど」
「あっ、隣が、お母さんの部屋……」
「たまに隣からさ、ギシッ、ギシッ、って、足音がしたりするんだ」
「そ、そうなんだね……」
「でさぁ、そういう気配や足音がする時って、必ず、線香の匂いがするんだよね」
「…………………………」
いきなり話されたのがこういう内容だっただけに、Kくんは否定も肯定もできない。
「お、おう、そうなんだね…………!」そんな微妙な応対をして、とりあえずお茶を濁した。
するとTくんは満足したのか静かになって、そのうち寝息を立てはじめた。
こうなるともう、Kくんは眠れない。
隣……? 隣がお母さんの部屋で…… 出るのお母さん……?
ちょっと勘弁してよ……。お母さんとは言え、寝る前にオバケの話とかしないでよ…………
はじめて来た友達の家で寝付けないのに加えて、そんな話を語られてすぐ就寝できる奴がいるわけがない。
妙な家に来ちゃったなぁ……。
Kくんは数十分、天井を見上げて眠気がやって来るのを待った。
待った甲斐があった。瞼が重くなってくる。脳が眠りの世界に、そろそろ、入って、いく、かな………… Kくんの意識がうっすらと遠ざかっていこうとしたその瞬間。
ツッ、と鼻をよぎるものがあった。
線香の匂いだった。
Kくんは目が開いてしまった。うわっ、ホントに匂い……する……
これお母さん、家のどこかに現れてるってサインなの……?
もしこの部屋まで来たら……どうしたらいいんだろ……?
ヒヤヒヤしていたそのうちに、異変が起きた。
線香の匂いが強くなってきたのである。
香り、とか匂い、どころではない。部屋にギチギチに線香臭が充満し、鼻腔に流れ込んでくるほどになった。
「うわ……くっせぇ……!」
目にしみるほどの臭いにKくんはとても寝ていられなくなった。だがこんな中でも友達2人はイビキをかいている。
あまりに安眠しているので2人とも叩き起こして「おい! 線香の匂い!」と怒鳴ってやりたかったが、他人の家で寝ている人を起こして騒ぐのも失礼だ。我慢した。
線香のすごい臭いに参ったまま横になっていると、隣の部屋から「ギシッ」と、音がしはじめた。
音は先の話の通り、隣室から聞こえてくる。
室内をうろついているような、ゆったりとしたペースで足音は続く。
突然話されたとは言え、小さい頃に死んだお母さんの霊の話である。むしろいい話だと思う。
ただやっぱり。 Kくんは考えた。実際に嗅いで、聞くと、これはちょっと怖い……
そのうちに、隣室を歩き回る足音の間に、別の音が混ざっていることに気づいた。
「ピシャッ」というか「ポタッ」というか……モノが落ちているというよりは、水の雫が床に落ちている、そんな印象だ。
こいつのお母さん、事故で亡くなったんだよな。もしかして、雨の日だったのかなぁ……うわぁ、怖いな──
そのうちに、この水音がやけに気になってきた。こんな音がするなら、さっきの話でしてくれるはずである。
あるいはお母さんの幽霊じゃなく、窓が開いてて、犬とか猫とかが入り込んで来てポトポト歩いてるとか……。もしかして、泥棒……? 泥棒が窓から入ってきて部屋を物色してて、不要なものを床に落としている音……いやいや、でもそんな、まさか……
オバケならオバケで割り切ってしまえるのだが、他の可能性がどんどん頭に浮かんでしまう。正体がわからない不安だけが膨らんでいって、どんどん眠れなくなっていく。動悸すら感じる。
Kくんはゆっくりと起き上がった。
これでは落ち着いていられない。
確かめに行こう。
起きる気配もない2人に注意しながら立ち上がって、部屋を出た。
すぐ隣の部屋である。廊下を数歩、すり足で歩いて、木の扉の前に立った。
扉の隙間からなのか、こんこんと湧き出るように線香の匂いがしてくる。
ギシッ……ギシッ…… ポタッ、ギシッ…… それらの音も間違いなく、この中からする。
Kくんは意を決して、ドアノブをそっと掴み、物音を立てないように、数センチだけ扉を開けた。
ひときわ強い線香の匂いが鼻を叩く。
なかは真っ暗な和室だったが、そこに人が立っているのはわかった。
ボロボロで、薄汚い、下着姿の男が立っていた。
うつろな目をしていて、どこも見ていない。
そいつが、部屋をのろのろ歩き回っている。
口からドロドロと、涎が垂れていた。
それが顎を伝って、ぼたっ、ぼたっ、と畳に落ちていた。
Kさんは思わず扉を強めに閉めた。
女の人じゃない。
彼のお母さんじゃない。
どういうことなんだ。
あれは──誰?
「それねぇ」
不意に背後から声をかけられたのでKさんは身を痙攣させて驚いた。
反射的に振り返ると、彼のお父さんがそこに立っていた。
「それねぇ、ここを買って、越してきた時からいたんですよ。前の住人らしいんですけどね」
お父さんは訥々と、小さな声で、Kさんに語った。
「最初は、なんだこれは、と思ってね、お札でも買ってこようか、お祓いでもしようか、と思ってたんです。
そのうちアイツが、妻が死んじゃってね、葬式やらなんやらで忙しかったから、それどころじゃなくなったんですよ。
それでね、いろいろ一段落ついてから、まだ幼稚園だった息子が言うようになったんですよね。
『夜、時々、お線香の匂いがする』『隣の部屋から音が聞こえる』って。『お母さんが来てる』って。
ね。わかるでしょう。
あれね、いつもは部屋にいて、たまに出てきて、家の中をうろつき回るだけなので、害はないと思うんですよ。
だから、ビックリしたと思うし、嫌だなぁ、って気持ちはわかるんですけど、息子には……黙っておいてもらえませんか」
声を落としているのは夜半だからというだけではなかった。お父さんの喋り方には、ある種の痛切な響きがあった。
Kくんは悪寒を感じながら「はい……」と頷いた。するとお父さんは無言で、踵を返して向こうへ歩いていった。
Kくんは部屋に戻って、まんじりともしないまま、ろくに眠れない夜を過ごした。
翌朝、寝ていた友達や、この家の子が気だるそうに起き上がった。
おはよう、Kはもう起きてたのか、早起きだな、うんまぁちょっとヨソの家だと眠りが浅いのかな、そんな風に声をかけ合う。
そうしているうちに、Tくんが「あ」と声を上げた。
「線香の匂いがする…………」
「えぇ? マジで?」
友達も鼻をひくつかせる
「おーっ、ホントだぁ。お線香の匂い、するわ……」
お前が前に言ってた話の通りだなぁ。お前のお母さん、来てるんだろうなぁ。
うん、たぶんまた現れたんだと思う。昨日は寝てて気づかなかったけど。
なんか、切ねぇけどさ、まだお前のこと大事に思ってるのかもな。
……朝からなんか切なくなっちゃったね! なんかゴメンね。
いやいやいいって! でも、不思議なことって、あるもんなんだなぁ…………
Kくんはただ黙って、彼らの会話を聞いているしかなかった。
それからはTくんの家には、一度も行かなかったそうである。
(終)
☆本記事は、無料×著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」、
震!禍話 十五夜(←リンク) より編集・再構成してお送りしました。
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