【怖い話】 写真を売る男 【「禍話」リライト⑬】
子供の頃、道端であやしいものを売ったり配ったりするおじさんに会ったことはないだろうか。
一昔前までは、校門の前でマジックを見せてそのタネを売ったり、劇場ではなく公民館でやるという謎の映画のチケットを配る人がよくいたものである。
治安の問題や世相の移り変わりから、昭和の終わりか平成のはじめまでにはそういう人はすっかりいなくなってしまったのだが。
これは、そんな昭和の終わり頃。子供たちに変なものを売っていたおじさんの話だ。
そのおじさんが売っていたものは、「心霊写真」だった。
昭和の末。O県某市の通学路に、そのおじさんはいたそうだ。
その人は、別にオカルトじみた怪しげな姿形ではない。浮浪者のようでもない。コートを着た、ごく普通の中年男性であったという。
子供に危害を加えたり、悪いことをしたりは決してしなかった。本当にただ、「写真を売る」だけのおじさんだった。
子供たちを待ちかまえているわけではない。子供たちが探すと、逆に現れないくらいだったらしい。
おじさんの現れ方は、だいたいこういう具合だった。
1人か2人で歩いている帰り道。つん、と整髪料の匂いがする。
あれ? と思うと、人の気配がする。
曲がり角や路地に目をやると、おじさんはそこからスッと出てくる。それからこう言う。
「ねぇ君。こわい写真、見る?」
それには「エクトプラズム」だとか「背後霊」だとか「地縛霊」だとか、そういう子供心をくすぐるモノが写っている、と告げる。
値段は、1枚100円。買い食いなどをガマンすれば買える価格ではあった。
ただし「写真を売る」と言っても、その写真をくれるわけではない。
ポケットから出した写真をしばらく見せてから、「これはね、よくないやつだからね」などと呟きつつ、その場でライターで火をつけて灰にしてしまう。
その写真だって、「エクトプラズム」と言えばボンヤリした煙。「背後霊」と言えば人の顔に見えるかどうか、といった代物が多かった。 じっくり眺めたいのだが、おじさんはパッと取り上げて燃やしてしまうのだった。
そんなこともあり、おこづかいに余裕がある子やそういうモノが好きな子がよく買っていたそうである。
……この体験をしたCさん(女性)は、おじさんに会ったことがなかった。
おかねはあまりないし、怖いものにもさほど興味はない。だがクラスのみんなが、
「昨日おじさんに会ってさぁ、ジバクレイの写真を見せてもらったんだよね」
「道端で会ったので、えくとぷらずむ?を見せてもらった」
だのと、半信半疑ながらも上気して語っているのを聞くにつけ、一度くらい出会ってみたいものだとずっと思っていたという。
Cさんの学校では、部活動とはまた別に「クラブ活動」なるものがあった。
彼女は手芸部に入ったという。所属する人はある程度いるが、放課後の家庭科室で開かれる活動に実際に参加する生徒はあまり多くなかったそうである。
ある日、今日も閑散とした家庭科室で、別のクラスの女の子と同席になった。名前はAちゃんといった。
手元でチクチクしているだけでは退屈である。Cさんからいろいろと話しかけてみたが、Aちゃんは暗い雰囲気の子で、あの先生が嫌いだとか、あの男の子がいい感じだ、というような話ではさほど会話は弾まなかった。
話題のきっかけも尽きてきた頃、ふとCさんは「そういえばさぁ、写真を売るおじさんっているよね。あたし会ったことないんだ」と口に出した。
するとAちゃんは「あっ、そうそう」とこちらに顔を向けた。
「私ねぇ、あの人から何回も写真買ったことあるんだよね。こないだはね、動物霊が写ってるってやつを見せてもらったんだ。犬かキツネみたいな形のモヤが女の人の肩に乗っかってたの。もっとよく見ようとしたらおじさんに燃やされちゃったんだけどね。それからその前はね」
さっきまで無口だったのが、一気呵成とばかりによく喋る。なるほどAちゃんはそっち系の話が好きなのだな、とCさんは得心した。
おじさんの心霊写真に興味があったCさんなので、Aちゃんの話はなかなか面白く聞けた。彼女はかなりの上客らしく、いろんな写真を見てよく記憶していた。
Aちゃんの話によると最近、おじさんは高級品を売りに出しているらしい。
「高級品? どういうのなの?」
「うん。あのね、『ぼうれいやしきのあるじ』の写真、なんだって」
亡霊屋敷の主人。
名前からしてだいぶ怖そうだ。
「それで、Aちゃんはそれ見たの?」
「うーん、それがね」Aちゃんは眉の間に皺を作る。
「『見たい』って言うとさ、『いくら持ってる?』って聞いてくるの」
「いつもは1枚100円だよね」
「そう。でもね、それ500円もするんだよ」
「うわー、500円かぁ…………」
いつもの5倍の値段である。
昭和の終わり頃の小学生だから、100円なら出せるけれど、500円ともなればもはや大金と言ってよい。しかもその写真はもらえず、その場で焼かれてしまうとなれば……Aちゃんも躊躇してしまっているらしい。
「500円は、高いよねぇ」
「そう。だから悩んでるとね、おじさん、『いつもの値段なら、玄関くらいは見せてあげられるよ』って言うの。『戸は閉まってるけどね』って」
Aちゃんは、その玄関の写真だけは見たことがあるという。
どうやら、一軒家らしい。その玄関の戸口が、正面から撮影されている。
玄関周りが汚れているとかゴミだらけとかそういうこともなく、ごく普通の家に見えるという。
くもりガラスがはめ込まれた玄関の引き戸は、ピッタリ閉じられている。
そのガラスの向こうに、男性らしき影が立っているのがぼんやりと透けて見える。
そういう写真だそうだ。
「で私がね、影を指さしながら、これが『亡霊屋敷の主人』ですか? って聞くと、おじさんはそうだよ、って言うんだ」
それからいつもより少し早くポケットからライターを出す。
「これはね、本当によくない写真だから早めに燃やさないといけないんだよ」
と言いながら、おじさんはさっさと写真に火をつけてしまう。
「えー、気になるよねぇそれ……」
「そうそう、私もすっごい気になってるんだけど、1回で500円って出せないじゃん。だから悔しくてさぁ」
「そうなんだぁ。誰か買って見た人、いるのかなぁ…………」
翌日、Cさんはクラスの男子や女子に尋ねてみた。
するとやはり、500円は大枚である。誰も本丸の「主人」の写真は見たことがない。みんな玄関止まりであった。
全員興味津々ではあるのだが、おかねがないのは仕方ない。それにいざ見せられたら、よくわからない人影みたいなのが写っているだけ、ということもありうる。
「誰かよぉ~、500円バーンと出して見る勇者はいねーのかよ~」
「でもきっとすぐ燃やされちゃうしさぁ、正直100円か200円までしか出せないでしょ」
「まぁそうだけどさぁ~誰か1人くらい、こう……」
教室は希望と押しつけ合いに終始した。
まだ誰も見ていないことを知って、Cさんは落胆したと同時にホッとしてもいた。
おかねがあって、おじさんに出会えたら、見せてもらえるということだ。
私はまだおじさんに会えてないから、もしかしたらその勇者第一号に、私がなれるかもしれない──
しかし数日後、思わぬ事態によってその夢は消えてしまった。
全校集会で先生から、「変な男性から写真を買うのは禁止」という通達が出されてしまったのである。
当然、生徒たちのウケは悪かった。
確かに変なおじさんだし、よくないことではあるだろう。でもオバケの写真を売っているだけだ。
強引に売りつけられるわけでもないし、値段だって100円だ。注意くらいはされてもいいけど、禁止にまでしなくてもいいじゃないか、というのがファンの子供たちの意見だった。
ところが、当の先生たちも「何も禁止にまですることはないけどなぁ」といった雰囲気だったらしい。
先生方も子供時代、そういう変なオモチャを道端で買ったり、年配の教師ならアメを買って紙芝居を見たりした記憶があるのだろう。
教室に戻っても、「まぁ、怪しい人からモノを買うってのは、あんまよくないからなぁ」程度の話しぶりで、教師全員の強い総意ではなさそうだったという。
それはそれとして、心霊写真を買うのは「禁止」となってしまった。
それでもコッソリ買えばバレなかっただろうが、一部の先生が下校中の通学路を見回ったりしはじめた。
写真を買うどころか、おじさん本人が出て来づらい状況になってしまったのである。
それが1週間以上続いた。
とうとうクラスでは「最近、おじさんと会わなくなっちゃったなぁ」「先生がいるから、おじさんも出てこれないんじゃないかな」との言葉が交わされるようになった。
Cさんは悲しく思った。結局一度も、おじさんに会えなかった。亡霊屋敷のやつどころか、心霊写真の1枚も見れないまま、おじさんの姿はなくなってしまったのだった。
それからまた数日後の、手芸クラブの時間のことだった。
その日は出席率が大変悪く、後半にはCさんと、心霊写真が大好きなAちゃんの2人きりになった。
無用に広い放課後の家庭科室で、2人で針をチクチク動かしていく。
Cさんは席を移動して、Aちゃんのそばまで来た。
「ねぇ、心霊写真のおじさん、いなくなっちゃったねぇ」
「…………うん…………」
「もう出てこないのかなぁ。私結局、一度も会えないし、写真も見ないままだったよ」
「うん…………」
「でもさぁ、先生たちもひどいよね。写真を買っちゃダメとか言ってさ」
「うん…………」
「……そういえば、Aちゃんのクラスの担任の先生なんだっけ? 『禁止にしよう』って言い出したの?」
そうなのだ。
他の先生が話していたことやウワサなどを総合すると、心霊写真禁止令は、Aちゃんのクラスの担任の男性教師・R先生が出したものだったらしいのだ。
不確かではあるのだがR先生は、
「通学路に不審者が出ること自体よくないだろう」
「さらに子供にモノを売りつけているそうじゃないか」
「しかもこの時代に心霊写真だなんて」
「教育にもよくない」
などと強硬に言いつのったらしい。
心霊写真を売るおじさんなど、元々黒のような灰色の存在だ。容認派の先生も強く反対できない。「まあ、注意くらいで」と柔らかく落とし込もうとする意見を「いいえ間違ってます。禁止にしましょう」と押し切った。
放課後の校区の見回りも、R先生が先頭に立って──というかほとんどワンマンのように──計画され実行されたという。
「うん…………そうみたいなんだけどさ…………」
どうもAちゃんの様子がおかしい。Cさんは気づいた。
最初は写真のおじさんがいなくなってしまってしおれているのかと思ったが、どうもそれだけでもなさそうだ。
「……どうかしたの?」
Cさんは尋ねた。
Aちゃんはしばらく黙った後で、口を開いた。
「…………あのさ、私が何回か見た『亡霊屋敷の主人』の写真、あるでしょ?」
「玄関と人影だけのやつね」
「私あの写真、500円は無理だけど100円ならいけるから、2回くらい見せてもらったの。
でも、よく考えるとあれ…………R先生の家に似てる気がするんだよね」
「えっ」
AちゃんのクラスはR先生と仲のよい生徒が多く、その仲良し生徒のグループは歩いて行ける距離にある先生の家に遊びに行くことがある。
Aちゃんもそのグループに誘われて、付き合いで出向いたことがあるのだそうだ。
「わかんないんだけど、あの玄関の感じとか、入り口の雰囲気とかさ、一回しか行ってないんだけど、
わかんないんだけど、R先生の家にすごく似てる気がするんだよね。でも遊びに行ったときは、奥さんと子供がいる、
普通のおうちだったし、オバケとかも出なかったし、でも……わかんないんだけど……わかんないんだけどやっぱり……」
その瞬間。
つん、と鼻をつく匂いがあった。
男の人がよくつけている、整髪料の匂い。
Aちゃんもそれを嗅いだらしい。2人でその匂いの漂ってきた方向に目をやった。
彼女たちがいる家庭科室から、廊下に出る扉。
そのそばに、Cさんの知らない中年の男が立っていた。
「あっ、おじさん!」
Aちゃんは針や糸を置いてかけ寄る。そうか、あれが例の、写真を見せてくれるおじさんなんだ。Cさんは合点した。
心霊写真のおじさんは、想像していたよりも全然きちんとした身なりだった。
ヒゲも綺麗に剃ってある。髪も綺麗に整えてある。黒くて長いコートを着ていて、片手をポケットの中に突っ込んでいた。
「うん、ひさしぶりだねぇ」
その声にも怪しい響きはない。低く渋い、どちらかと言えばカッコいい声だった、とCさんは記憶している。
Aちゃんはおじさんの元に駆けよって、親しげに言う。
「おじさん、最近ぜんぜん会えなかったね」
「うん、そうだねぇ」
「でも、こんな、学校の奥まで来ちゃって、だいじょうぶ?」
そうだ、そうだよ、とCさんは思った。現在と比べてもかなり“ゆるい”時代とは言え、不審な中年の男がこんなところにまで入り込めるものだろうか?
おじさんは、その質問には答えなかった。
「おじさんねぇ、ここ、引き払うことにしたんだよ」
引っ越すではなく、離れるでもなく、引き払う、という表現をした。
「だから会えるのもこれで最後だと思うんだよねぇ」
「そうなんだ……」
「それでね、最後だから特別に、ほら、君は何回も100円払って、たくさん写真を見てくれただろう?
だから、今日はもう特別にね、お得意さんだったから、あの写真を見せてあげようと思って、来たんだよ」
「えぇっ、そうなの?」
「うん、そう」
と言いながらおじさんは、もう内ポケットの中から写真を取り出そうとしている。
「アッ、待って!」Aちゃんが叫んだ。「ひとりで見るの怖いから、友だちと見てもいいですか?」
そう言いながら、振り返ってCさんの顔を見た。
おじさんは、「うん、いいよ。最後だから。特別だからね」と言う。
(えっ…………私も……?)
Cさんは不意に流れ弾に当たったような気分になった。
だが、Aちゃんは不安そうな顔でこちらを眺めている。おじさんの手は今にもポケットから出てきそうになっている。
それに今まで、おじさんに遭遇したことも写真を見たこともないのだ。ここまで来て断るのも気が引ける。それに……タダだし…………
Cさんは意を決して立ちあがり、「じゃあ、私も」と歩いていった。
近づくと、整髪料の匂いが強くなった。
おじさんは静かに頷くと、ゆっくりと言った。
「2人で見るんだね。じゃあ、見せてあげるね。
はい、これが、『亡霊屋敷の主人の写真』だよ」
CさんもAちゃんも、それを見て絶句した。
言葉も悲鳴も出てこなかった。喉から音も漏れ出なかった。
棒を呑んだように立ったまま、その写真を見ることしかできなかった。
「はい、これは本当に、長く見ていると本当に、よくない写真だからね。これでおしまいだよ」
おじさんはポケットからライターを取り出して、写真に火をつけた。目盛りを最大にしているのか、かなり大きい火だった。
手早くフチを炙ると、写真はみるみるうちに燃えて、黒く縮んで丸まっていく。
おじさんは上手に写真と火を操り、写真はほとんど全部が炭と化した。
おじさんはその黒い残骸を手のひらに乗せて、フゥーッ、と優しく息を吹いた。写真だったものは風に乗ってパラパラと砕け、廊下に黒い破片が散らばっていった。
「それじゃあ、さようなら」
おじさんは踵を返し、廊下を歩いていった。角を曲がると、その姿はもう見えなくなった。
CさんもAちゃんも、その様子を一言も発さずに、ただ黙って呆然と見ているだけだった。
数分経ったのか、十数分経ったのか。どちらともなく教室の机に戻った。
さっきまでやっていた縫い物を無言で片付けた。道具を無言でカバンにしまった。それから無言で教室を出た。「さよなら」も「こわかったね」も、何も言わなかった。そしてそのまま、家に帰った。
2人が見た写真。
それには、R先生が写っていた。
一軒家の、玄関の写真だった。
戸は開け放されていて、すぐそこに上がり口がある。
その少し先の薄暗い廊下に、先生は立っていた。
右手に、ハイヒールを持っている。たぶん奥さんのものなのだろう。
左手に、小さな小さな靴を持っている。たぶんお子さんのものだ。
両手に靴を持ったまま、彼はこちらを、カメラの方を見ていた。
先生は笑っていたそうだ。
嬉しそうでも、ましてや楽しそうでもなかった。
異様なくらいにひきつった笑顔だった。
2人が写真を見たその日の夜、R先生は死んだ。
奥さんとお子さんを連れて、車に乗って買い物に出かけたそうだ。
見通しのよい道路だった。人や動物の飛び出しもなく、雨も降っていなかった。それなのに先生は急にハンドルを切り、塀に激突したという。
事故を起こす原因もなかったし、自殺や心中に走るような理由もなかった。無論、事件であるはずもない。
うやむやのまま、R先生が死んだと言う事実だけが残った。
「それからはAちゃんとはあまり話をしなくなりました。あの日のことがあんまりにも怖かったので。
元々、地味なクラブ活動での付き合いでしかなかったですし、卒業した後の彼女のことはわかりません。
おじさんですか? 確かにもう、あの日以来、姿を見た子はいなかったはずです。話題に上がらなかったので。
…………あの写真って、一体何だったんでしょう?
こういう話をあなたが集めてる、って聞いて話してみたんですけど、
あの先生のひきつった笑顔、何十年経った今も忘れられないんですよ。
本当にあの写真も、あのおじさんも、何だったんでしょうね…………」
おじさんはもしかしたら、今もどこかで、子供たちに声をかけているのかもしれない。
「ねぇ君。こわい写真、見る?」
(おしまい)
☆本記事は、無料ツイキャス「禍話」、
震!禍話 第3夜 より、編集・再構成してお送りしました。
http://twitcasting.tv/magabanasi/movie/436607972
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