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【怖い話】 ヨーヨーの家 【「禍話」リライト 51】

 最初から最後まで、よくわからない話。


 小学生の頃、友達の家に泊まったという。
 お金持ちの友達だった。豪邸、というほどではないのだが、結構な広さの家だったらしい。
 お父さん、お母さん、妹さんと友達の4人家族と晩ごはんを食べる。おかずももちろん、お米もなんだか、自分の家で食べているものよりいい味がする。
 ちょっと見たことのないお菓子をいただいたりする。これも上品な味わいで、実に美味しい。
 いやぁ、お金持ちの家って……お金持ちだなぁ。いいなぁ。 
 子供ながらにそう思った。


 友達の部屋は2階にあって、夜はそこで寝た。



 夜中、ふと目が覚めた。
 トイレに行きたくなったのである。

 うぅん、これはガマンできないぞ。
 友達を起こさないようにそっと部屋を出て、そこでアレッ、と気かついた。
 2階にもトイレあるよ、と言われていたのだが、肝心の場所を聞いていなかったのだ。

 2階も広く、部屋数も多い。友達を起こすのも悪いし、よそ様の家を夜中に探索するわけにもいかない。何より尿意がかなり強まってきている。
 幸いなことに1階のトイレの場所は知っていた。彼は階段を下りて廊下を進み、無事に用を足し、2階に戻ろうとした。


 広い家にしては急角度で、踊り場もないまっすぐな階段だったそうである。


 寝ぼけ眼で手すりにつかまり、階段を上がっていく。
 ふと見上げた。


 のぼりきったところの陰から、人の腕が出ていた。
 ヒジから上が一本、ぬっくりと突き出ている。


 その腕が、ヨーヨーをしていた。


 ヨーヨーは引き伸ばされてぶらぶら揺れていたかと思うと、手の中にぽん、と戻る。
 また下に放り投げられて、しばらく回りながら安定していたヨーヨーが、今度は前方にクイクイと送り出される。
 手首が返されて、なにやら複雑な前後運動を繰り返す。おもむろに手の平に帰ってから、また下方へと伸びる…………


 片手でできうる限りの技が繰り出されて、たいそう華麗な動きだったらしい。


 寝起きでオシッコをしてきた彼は、階段の途中でぼんやりとそのヨーヨーを眺めていた。
 最初こそ上手だなぁ、うまいもんだなぁ、と考えながら見ていた。そのうちに頭がはっきりとしてくる。あれ? と思った。


 まず、音がしない。

 ヨーヨーが回転する音や、糸がこすれる音がするはずだ。激しい動きを繰り返しているのだからなおさらである。
 それがまるでしない。手の中に戻る時のパシッ、という響きすら聞こえない。


 いやそもそも、あれは誰なのか。

 友達だろうか。妹さんだろうか。ご両親は階下で寝ているはずである。
 突き出ている腕はか細く、白い。大人の、ごく若い女性の腕のように見える。  
 ああいう腕の女の人って、この家にはいなかったような気が…………


 どんどん目が覚めてくる。
 それで、一番おかしなことに気づいた。


 高いのだ。
 腕の出ている位置が高い。

 ヒジは天井に近い位置、2メートルほどの高さから突き出ている。
 その場所で腕は上下にグイグイと動き、ヨーヨーを操っている。
 踏み台に乗っていたとしても、あれでは肩や首が、おさまらないんじゃないのかな…………


 …………あれっ、もしかしてあの腕って、すごく、ヤバいものなんじゃないの?


 彼はようやく思い至った。
 2階には行けない、と思った。しかしこのまま、ヨーヨーとにらみ合っているわけにもいかない。
 だが背を向けて階段を下りるのはためらわれた。目を離した途端、あの腕の主が陰から出てきてすごい勢いでやって来たら、と想像してしまう。
 ヨーヨーに視線を当てたまま、手すりを頼りに、角度のきつい階段を一歩ずつ、後ずさりながら下りていく。
 腕とヨーヨーは自分のことなど眼中にないように、片手でできる限りの技を軽やかに遊び続けている。

 あれは何なのか。
 あれが出てきたらどうしよう。 
 もし腕の動きがぱたり、と止まったら、怖くて動けなくなってしまうのではないか。

 ヨーヨーと腕をじっと見つめながら、彼はそのような雑念と戦いつつ、一段また一段と遠ざかっていく。

 握っていた手すりが終わった。 
 1階まで下りきったんだ、と安堵した瞬間、背中が何かにぶつかった。
 わっ、と声を出して振り向くと、真後ろにその家のお母さんが立っていた。


 あっ、あの、ごめんなさい。ちょっと、あの…………

 どう言えばよいものかわからないまま、お母さんの顔を見た。

 お母さんは彼の方を見ていなかった。
 階段の上、壁の陰、そこから突き出た腕とヨーヨーをじいっと見ている。
 無表情だったが、目の中にどこか険しい雰囲気が宿っている。


 ごめんなさい、あの、僕……と言い訳を紡ごうとしても、お母さんは上をにらんだままだ。
 どうしたらいいのかと困惑していたら、君ちょっと、と低い声で呼ばれた。
 びくりとして首を巡らせる。廊下の少し先に、お父さんが立っている。
 ちょっとね、こっちに来なさい。うん、いいから。いいから来なさい。今夜はもう、こっちの居間で寝なさい。ソファに、掛け布団があるから。ね。いいね。

 平べったい声色でそう言ってくる。
 彼は小さく返事をして、階段の一番下の段とお母さんの隙間から抜け出した。

 居間へと入る時にちらりと見やったが、お母さんは階段の上から目を離さず、さっきと同じ場所に立ちすくんでいた。
 お父さんは説明をしてくれないまま、居間のソファまで彼を導いた。確かに掛け布団が用意されている。
 じゃあ、ここで寝てね。おやすみ。
 質問する間もなく、お父さんは奥の寝室らしき方へと引っ込んでしまった。
 追いかけるわけにもいかず、かと言ってもう廊下には出たくない。
 宙ぶらりんな気持ちで布団をかぶり、彼は無理矢理に眠りについたそうである。




 翌朝のこと。


 居間のソファで寝ていた彼が目を覚ますと、台所の方で物音がする。
 あぁ、朝ごはんを作ってるんだな。普通の朝だ。よかった……
 のそのそと起き出して台所に顔を出した。


 お父さんが、朝ごはんを作っていた。
 お母さんの姿がない。
 昨日の夜のごはんは、お母さんが作ってくれたはずだった。
 お父さんは不器用な様子でフライパンを動かしている。皿の上のパンは黒く焦げている。トーストの時間を間違えたらしい。明らかに、料理に慣れていない。
 友達も起きていて、焦げたパンの乗った皿をテーブルに置いていく。こっちだったかな、と言うように何度か位置を直している。こちらも全く慣れていない。

 そのうちに妹さんも2階から下りて来た。
 今日はお父さんがご飯作ってるの? とは尋ねない。不思議がっているそぶりもない。
 妹さんは幼稚園くらいの年齢である。あれっ、お母さんは? と聞いてもよさそうなものなのに。  

 聞いてはいけないのだろうなと薄々感じつつ、彼はごく小さな声で、あのぅ、お母さんは……? と口にした。

 お母さんはね、ちょっと熱が出てね。
 お父さんがこちらを見ずにそう言った。
 熱が出たからね、奥の部屋で休んでいるんだよ。
 
 友達も妹さんも、その言葉に一切、反応しなかった。

 うまく焼けていない目玉焼きなどができてテーブルに並び、3人と1人で黙々と朝ごはんを食べた。
 食卓にいやな沈黙が降りて、パンやジャムの味がにぶい。それ以上のことを聞ける雰囲気ではなかった。


 怖い。変な家に泊まって変なものを見てしまった。
 味のしない朝食をいただいてから、彼はいそいそと帰宅の準備をして、お父さんと妹さんに挨拶をした。
 友達が玄関まで送ってくれる。 
 うん、じゃあ、楽しかったよ、またね、と型通りのやりとりを交わして、靴を履いて、あとはドアから出るだけという時だった。
 友達がいきなり言った。



「お姉ちゃんがいるんだ」



 ……へ? えっ? 何? と驚いていると、



「お姉ちゃんがいるんだ」



 友達は繰り返す。そ、そう……お姉ちゃん、いるんだね……と返事をしながら足元を見る。
 今さっき履いた自分の靴の周り、大人の男物と女物、男の子の靴と女の子の靴。
 全部で4組しかない。
 若い女の人が履くような靴はない。
 


「うん、お姉ちゃんがいるんだ」



 友達の声の調子が異様に硬い。いつもの明るさが微塵もない。



「お姉ちゃんがいるんだ」



 視線はこっちに向けられているのに、自分の方を見ていないような目つきをしている。



「お姉ちゃんがいるんだ」



 そればかりを繰り返している。うわぁどうしよう、と思いながらうん、お姉ちゃん、いるんだね、そうなんだ、と玄関先で応答し続ける。



「お姉ちゃんがいるんだ」



「おねえちゃんがいるの!」



 いつの間にか妹さんが来ていて、出し抜けにそう言った。



「うん。お姉ちゃんがいるんだよな」
「わたしには、おねえちゃんがいるの」
「そう、俺にもお姉ちゃんがいるんだ」
「うん、おねえちゃんがいるの」 
「お姉ちゃんがいるんだ」
「おねえちゃんがいるの」
「お姉ちゃんがいるんだよ」
「おねえちゃんがいるの」


 子供ながらに我慢しきれなくなり、じゃあね! と切り上げて玄関を開けた。駆け足で外に出た。ドアを閉めて門を通り、道路に出た。

 うわー、何なんだここ……と落ち着く間もなく、強い視線を感じた。
 2階からだった。

 見上げると、2階の一室からお母さんがこちらを見ていた。

 ベランダの内側、部屋の窓ガラス越しに自分の顔をじいっと見つめている。
 口が動いている。
 自分に向かって何か言っている。
 窓ガラス越しだったので聞こえなかったけれど、彼にはそれが、



「 むすめが もうひとり いるの 」



 そう言っているように見えたという。 




 ──その友達とは一応付き合いは続いたものの、以前のような距離感では付き合えなかった。「友達」と呼べるような間柄ではなくなってしまった。



 なので、あの家が、あの家族が、どういう家でどういう家族だったのかは、今現在もよくわからないのだという。







【終】






☆本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」、
 禍話X 第二十夜 より、編集・再構成してお送りしました。 



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