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【怖い話】引きずり リセット【「禍話」リライト76】

 これはトイレのお話ですが、家ではなく学校のトイレなので、安心してお読みいただけます。



 学校のトイレとは言うものの体験者のNさんは学生ではない。建設作業員をされている、かなりのベテランの方だ。

 そのNさんが、田舎にある小学校の改築に駆り出された時のことだそうである。
 夏休み中に、三棟あるうちのひとつを直してほしいという依頼だった。

「暑いのは暑いけどさ、休み中だから生徒がいなくて、作業はしやすかったよね。まぁ他の棟は部活やなんかで解放されてたし、先生方もいるから、ダラダラやるわけにゃあいかなかったけど」

 騒音や周辺住民への配慮が不要なので、楽な現場環境ではあったらしい。ただ──

「残りの二棟もボロくてさ。こりゃ三棟いっぺんに直した方がいいんじゃねぇか、なんて話をしてたのを思い出すんだよ。相当に年季の入った建物だったねぇ」

 朝に入って、ゴリゴリと作業をして、定時頃になったら帰る。そんな毎日だった。




 そんなある日のことだそうだ。
 夕方を越えて、夜の気配が漂ってくるくらいの時間に作業を終えた。
「よし、じゃあ今日はこんなもんだな」
「あー、外が暗くなってきてるわ。夏も終わりだなぁ」
「その割には暑くてかなわねぇなぁ」
 仕事仲間が口々に言いながら現場を離れていく。Nさんもざっと片付けながら「そろそろ涼しくならないもんかねぇ」などと口を挟む。

 校舎から出て、ひとかたまりのようになって歩いていく。
 今日メシは? 酒は? あんま飲むなよお前? そんな会話を交わしつつ敷地内から出ようとした時だった。
 何気なくポケットに手を突っ込んだNさんは、いつもの感触がないことに気づいた。

「あれぇっ」
 立ち止まる。他のポケットも探る。ない。
「あれーっ、ウチの鍵……どこやったろ?」
「ええっ、カギ? 落としたのか?」
「どこにやったんだよお前~」
「今夜から野宿だなぁ」
 同僚も立ち止まってそんなことを言う。Nさんはええっと……と頭を掻いていたが、思い出した。
「あーそうだ。落としたんじゃねぇや。廊下のほら、道具置いてるいつものトコ。あそこの脇に置いたまんまだ」
 わりぃわりぃ、サーッと行ってパーッと戻って来るからさ、先に駐車場に行って待っててくれよ。
 Nさんは軽く謝ってから、校舎へと駆け足で入っていった。


 窓から入ってくる日の光はだいぶ弱まっている。校舎のどこもかしこも薄暗い。
 それでも、カギはいつもの場所にあったのですぐに発見できた。
「あ~あったあった」Nさんはカギを取り上げてポケットにしまう。
「はぁよかっ…………ん? イテテテテッ…………!」
 安心した途端に、いきなりお腹が痛みはじめた。まったく突然だった。
 Nさんには胃痛の持病もないしストレスもない。昼飯を思い浮かべる。怪しいものは食べていない。
「イテテテテ……こりゃ参ったなおい……」
 理由を考える余裕もない。トイレに駆け込まないとまずい。しかしこの棟は閉鎖して作業をしているので、水を止めているはずだ。
 Nさんは顔をしかめながら別棟の校舎を見やる。
 真っ暗だった。
 ここから走って、渡り廊下を行って、確かあそこを曲がって……。遠いな……厳しいか……。 
 キリキリと痛むお腹に手を当てながらNさんは考える。
 ダメだ、間に合わない。
 彼の目は、反対方向へと向いていた。

 ここからすぐ先に体育館がある。その体育館と別棟を繋ぐ廊下の中途にもトイレがひとつあった。そちらの方が圧倒的に近い。
 腹痛はいよいよ増してくる。Nさんはしょうがねぇなと呟いて、そちらへと足を向けた。

「しょうがない」と言ったのには理由がある。
 そのトイレは先生方に、
「他のトイレはいいんですけども、あそこだけは使わないようにしてくださいね」
 と言われていた場所なのである。
 理由は聞いていない。だが「故障中」の貼り紙はなかった。たぶん、使えないわけではないのだ。

 体育館を横切り、渡り廊下を走り、トイレの前まで来た。記憶の通り、貼り紙はない。
 ドアをがちゃりと開けた。電気をつける。
 手洗い場の蛇口をひねってみる。水は出た。
 ベルトをゆるめながら個室に入る。念のためタンクの脇のコックを上げる。水はちゃんと流れた。
 よかった。どこも壊れてない。

 Nさんはズボンを下ろして、お腹を抱えるようにしながら便器に座った。



「………………あれっ?」
 


 腰を下ろした途端、腹痛がウソのように引いた。
 全然痛くない。



 …………あれ? んん? おかしいな……?
 さっきまでキリキリとねじれるみたいに痛かった胃腸が静かになっている。
 一応しばらくは、身をよじったりお腹をさすったりしてみた。グッと力んだりもしてみた。痛みは戻ってこないし、出るものも出ない。

 探るように立ち上がって、ズボンのフックを止めてみる。ゆっくりとベルトを締めてみる。
 やはり痛くない。

 
 …………さっきの痛みはなんだったんだ?
 暗い個室のドアを開けて外に出る。動いてみても何の違和感もない? 
 はてなぁ、といぶかしく思いつつ、流れ作業のように手を洗う。
 他の奴らを待たせてるし、とりあえず帰るか……
 Nさんはトイレから廊下へと出るドアに手を伸ばそうとした。




 ずずっ ずずっ




 外から変な音がした。
 重たいものを引きずる音だっだ。




 ずずっ ずずっ




 左から右へ、体育館の方に向かっている。
 ──残っている先生が荷物を運んでいるんだろうか?
 外はもう暗くなってきている。
 こんな時間に? 台車も使わずに?



 ともあれ、重くてひどく苦労している雰囲気が漂ってくる。
 ひとりで持てますと出てきたはいいものの、途中で力尽きてしまったのかもしれない。
 引きずっている人はドアの前あたりまで来た様子だった。
 こりゃあ大変そうだな、手伝ってあげないと。
 Nさんはトイレのドアをがちゃりと開けて、外を見た。


「うわっ!?」


 すぐに閉めた。
 時間にして1、2秒。トイレから射し込む光が、廊下を照らし出した。
 Nさんは外にいる異様なものを確かに見た。



 男の子が、あお向けの大人の右足をつかんで、引きずっていた。



 男の子は小学校低学年、前を向いて「よいしょ、よいしょ」とばかりに、一生懸命に引っ張っている。
 あお向けの大人は男で、ワイシャツを着ていた。腕を後方に投げ出し、口と目を開けたまま力なく引きずられていた。
 死んでいるようにも見えた。
 男の背中が、廊下をこすっている。




 ずずーっ ずずーっ



 
 Nさんはトイレの内側でひとり、パニックに陥った。
 あれは何だ。冗談か? 作業員を驚かしてどうするんだ。こんな時間に子供? 大人の方は先生か。あんな先生はいなかった気がする。
 疑問と恐怖が頭の中を飛び交う。寒くもないのに体に震えがきた。
 そんなNさんをよそに、引きずる音は体育館の方へと遠ざかっていく──と思いきや、



 ずずっ ずずっ……



 戻ってくる。
 今度は左から右へ。再びトイレの前へと近づいてくる。


「そうしたらさ……気持ち悪い話なんだけど、いきなりさ、“リセット”されたんだよな。怖さが……」


 戻ってきた、とNさんはまた震えた。頭の中がまた混乱する。


 なんで戻って来るんだよ。どうしよう……窓は狭いし、開けて走って逃げるしかないのか?
 廊下は真っ暗だろうし、つまずいたりしたらヤバいんじゃないか? 
 じゃあケータイでみんなを呼ぶか? どう言って呼び出せばいいんだ?
 ……でも、小さい子があんなに大変そうに引きずってるんだから、手伝ってやろうかな。


 Nさんは手伝ってあげようと、ドアを開けた。
 右に向かって男をひきずる子供を見る。
「うわっ!?」と驚いてドアを閉める。

 再び、Nさんの思考がぐちゃぐちゃにもつれる。そのうちにまた、右から左へとあれが引き返してくる。


 何回往復するつもりだよ? やっぱり外の奴らに電話、いや外の奴に声を聞かれるのは嫌だ。
 メールか? でもどう書いたらいいんだ。場所も説明しづらいんじゃないか?
 ……でも、子供にあんな重たいものを引っ張らせるのは可哀想だな、先に手伝ってから── 


 ドアを開ける。
 子供が男を引きずっている。
 「うわっ!?」とドアを閉める。

 パニックになっていると、向こうからこっちへと引き返してきて…………



 それが、4、5回は続いた。



 Nさんが作業着の背中が冷や汗で濡れているのを感じはじめた頃、



「…………おぉい、おーい! Nよぉ~。遅いぞお前~!」


 懐中電灯の明かりがスッとドアの隙間をよぎった瞬間に、あの引きずる音も気配も消えた。


 Nさんはトイレのドアを開けた。
 仕事仲間たちがぞろぞろと迎えに来ていた。
 他には誰もいなかった。
 床に引きずった跡もない。


「あんまり遅いからどうしたかと思ってな」
「あぁ、ありがとな。うん、ちょっとあの、腹が痛くなって……」
「腹ぁ? なんか悪ぃモンでも食べたんじゃねぇか? ……それにお前、ここ、使うなって言われたトイレだろ?」
「いや、そうなんだけど。あんまり急で、仕方なくな」
「ここ故障してんじゃねぇの? ちゃんと流したか?」
「ん? あぁ、水は流れるんだよ。故障もしてないんだよ。でもな──」
 Nさんは言った。
「ここはな、使わない方がいいぞ」



 Nさんは工事の進捗も考えて、仕事仲間たちには黙っておくことにしたという。

 改修工事がそろそろ終わろうかという時期にそっと、Nさんは学校の先生に尋ねてみた。
「……あのー、使うなっておっしゃられてたトイレ、ありますよね。自分、一度使ってしまって……」
「ええっ!」小声で聞いたのに、先生は大声で反応した。「大丈夫でしたか!?」


 Nさんが言葉を濁しつつ、そのトイレについて聞き出したところによると。


 数年前、関係者ではないがこの学校に用事のあった男性が、あそこのトイレを借りたらしい。

 しばらくしても帰って来なかったその人は、トイレの前の廊下で横たわっているのが見つかった。
 きつい運動をしたように息が荒く、全身汗びっしょりで、ぶるぶる震えていた。汗で体が冷えただけではないようだった。
 本人は「よく覚えていない」と言ったが、本当のところはわからない。
 ただ「ここのトイレに入ったら、ちょっと……」というようなことを口走った。

 その後も、これほどの大事ではなかったものの、似たようなことが何件かあった。
 生徒や教師が使う分には問題はないようなのだった。
 どうやら部外者が使うと、妙なことが起きるらしい。
「そういうこともあって、使わないでくださいってお願いしたんですが……」
 先生はNさんの顔を覗き込みながら言った。
「本当に、なんともありませんでした……?」

 えぇ、まぁ、大したことは。
 Nさんは嘘をついて、その場を後にした。




 この出来事が起きたのは、ずいぶん昔だそうである。
 生徒数の減少もあって、その小学校は閉校になったという。
 建物は取り壊されて、今は老人ホームのような施設が建っているらしい。



 そこに「引きずるもの」が現れるかどうかは、Nさんは知らないし、調べる気にもならないそうである。









【完】





★本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」、
 シン・禍話 第十七夜 より、編集・再構成してお送りしました。


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