【怖い話】 からっぽの家 【「禍話」リライト94】
津川さんはその家に着いた瞬間から、「おかしいな」と思ったそうである。
「友達の秋山ってヤツが、引っ越しの手伝いしてくれって言うんですよ。親戚のおじさんが借りてた家を引き払う、って。で、行ってみたら」
2階建ての、一軒家だった。
「おじさん家族、じゃないんですよ。ひとり暮らし。中年の男が、2階建ての一軒家……ねぇ?」
妙だなと思いつつ、他に呼ばれた大学の友人たちと家に上がってみた。
家具がない。
は? なんで家具ないの? と秋山くんに聞くと、
「一昨日、先に運び出しちゃったんだよ。斎藤とか竹田とかが」
との答え。
斎藤も竹田も、共通の友人である。
「いやもう、テーブルとか衣装ケースとかそんなモンばっかりじゃん。そいつらにやってもらえよ」
そう言うと秋山くんは、
「いやぁ、それがちょっと……」
言葉を濁す。
いよいよ変だ、と思いつつも、晩飯をおごってもらう約束がしてある。バイト代までもらっている。しかも先払い。
簡単に帰るわけにはいかない。
津川さんたちはまず、2階の和室へと導かれた。
おじさんは家を悠々と贅沢に使っていたらしく、各部屋にいろんなものが置いてある。誰かと同棲・同居していた気配もない。
秋山くんは和室で「じゃあここから片付けを──」と言いかけて、少し黙った。
うぅん、と腕組みをして、悩んでいる。
どうしたんだよ、と尋ねると、
「やっぱりちゃんと言っておくわ」
秋山くんは言った。
「この家、人が死んでるんだわ」
ええっ……?
津川さんたちの前で、秋山くんは言う。
「斎藤とか竹田にも『オバケが出るかも』って伝えてあったんだけど、あいつら逃げ出しちゃって」
「えっ何それ……『出た』ってこと?」
「うん……」
一昨日の、夕方のことである。
タンスやらテレビやら、引っ越し先に必要な家具だけをまず持っていく、という計画だった。
布で包んだりロープで縛ったりしてからヨイショと運んで、軽トラに乗せ終わったのが夕方。
秋山くんは一息ついた。
「よし。じゃあ一回、窓のカギとか確認してくるから。ちょっと待っててな」
言い残して秋山くんは家の中に入った。
施錠を確認して、家から出てきた。
軽トラがない。
「は? えっ?」
友達が乗ってきた乗用車もない。
置いていかれた、というだけではない。友人たちには行き先を告げていないのだ。
「あいつらどこ行ったんだよ……?」
庭先で電話をかけると、向こうはすぐに応じた。
「おいお前らどうしたんだよ。目的地も知らないだろ……とりあえず戻ってきて、」
「いや、無理。無理無理……」
電話口の斎藤の声は小さい。
「出たから。オバケ出たから無理。戻れないって……」
家から離れた路上で落ち合った友人たちが言うには、「カギ確認してくるわ」と秋山くんが家に入ったあとで、雑談をしていたという。
「しかし、オッサンひとりで一軒家を借りるって、なかなか勇気要るよなぁ。家賃的に」
「いや、それがさ。オバケのせいなのか知らんけど、すっげぇ安いんだって」
「マジで~? 結局出なかったじゃん、オバケとか」
「そうだよなぁ。もったいないよなぁこんな一軒家で」
「俺たちで借りてルームシェアしてぇわ。5人くらいで暮らせるだろ。2階もあるし……」
ふと、みんな一斉に2階を見上げた。
窓に、知らない女が立っていた。
高校の制服らしきものを着ていて、こっちを見下ろしている。
目が合ったような気がした。
「それがお前、あの正面にある、階段のずっと上の……明かり取り? ちっちゃい窓。あそこだよ」
斎藤も竹田も、他の奴らも震えている。
「あんな高い位置からお前、覗けるわけねぇじゃん。女子高生がさ。あれ、オバケじゃん。無理無理。もう行けないよ俺ら」
断られたので他のものが運び出せなくなり、急遽、津川さんたちに声をかけたのだという。
勘弁してよ……と言う津川さんたちに、秋山くんは「でもホラ、まだ昼だし」と言う。
「昼なら、オバケも出にくいんじゃないかな……」
「出にくいも何もねぇよ。……で、お前のおじさんは大丈夫だったの? ここに住んでたんだろ?」
「まぁ……大丈夫じゃなかったから、引っ越すんだけどな」
幾人かの借り主を転々としていたので、おじさんに「事故物件」の告知はされなかったそうである。
何故か家賃が安いし、2階建てだし、職場にも近い。同僚や友人を呼んで飲み会などもできそうだ。
左右の隣家の人たちも、内見の時に軽く挨拶したらとても優しい雰囲気だった。
いいことづくめで、何一つ問題がない。
よし、ここにしよう。
「お隣さんが優しいってそれ、同情されてたんじゃねぇの?」
「そうだったみたい……」
おじさんがここに一人で住みはじめてからというもの、何度もひどい目に遭ったという。
「だいたいは夜、寝てる時とか、寝る前あたりにな」
台所や玄関から、中年の男や女のとんでもない大声が聞こえる。
うわっ! と飛び起きて走って行っても、誰もいない。
寝ている枕元で怒鳴られたことも、一度や二度ではなかったらしい。
「すっかり参っちゃってさ……仕事も手につかないワケよ。で、ここはどういう家なんだって思って、」
右隣の、村上さんというお宅に伺って、それとなく聞いてみた。
えっ……ご存知なかったんですか? と驚かれたそうである。
ここ、色々と大変なことがあったんですよ。
ウチもちょっと、巻き込まれたみたいな形になって。
幸せそうな家族に見えたんですけどねぇ……。
と、隣の村上さんが語ったのは。
ある3人家族の話だった。
お父さんと、お母さんと、娘さん。
お父さんは勤め人、お母さんは主婦、娘さんは高校生で、進学校に通っていたという。
通りで会えば笑顔で挨拶するし、町内会の行事には積極的に参加する。
思春期の娘さんがいるご家庭だというのに、ケンカや大声など一度も聞こえたことがない。
病気やケガもない。職場や高校でのトラブルの話も一切ない。
世間の人が理想とするような、「幸せな家族」にしか見えなかったそうである。
その娘さんが、県外の大学に合格した。
推薦入学で、すんなり受かったという話も聞こえてきた。
お父さんもお母さんもそれを周りに吹聴するようなことはなく、尋ねられたら「えぇ、おかげ様で……」などと謙遜してばかりだったそうだ。
ある日の早朝のことだった。
村上さんは、自分の家の2階の寝室のカーテンを開けた。
そこは隣家の娘さんの部屋の向かいに当たる。
部屋のカーテンが開いていた。
娘さんが首を吊っていた。
大騒ぎになった。
通報したり、事情を聞かれたり、隣のご両親に慰めの言葉をかけていたりしたら数時間が過ぎていた。
警察から「ご協力ありがとうございました」と言われたが、隣家ではまだ聞き取りが続いているようだ。
なんとなく、事件性はないような雰囲気があった。
なんであんな風に、ウチに見えるように……? とモヤモヤしたものを抱えながら、村上さんは家の中に戻ろうとした。
ふと、今朝はまだ新聞を取り出していないことに気づく。早朝からこの騒動だったから、新聞どころではなかったのだ。
ポストを開けると、新聞の下に封筒が入っていた。
丁寧な筆致で、宛名は「村上様」、自分の家だ。しかし切手がない。
裏に書いてあったのは、娘さんの名前だった。
手触りのいい便箋に、乱れのない文字と品のいい言葉遣いで6枚ほど、長い長い文章が記してあった。
遺書だった。
ご両親か警察に届けるべきだったかもしれないが、宛名が自分たちになっている。
とりあえず一度だけ、目を通しておこうと思った。
「このようなことになり、隣家である村上様には大変な御迷惑をおかけいたします」
娘さんの遺書はそのようにはじまっていた。
遺書の中では、父親のことを「自分と一緒に住んでいる年上の男性」と呼んでいた。
母親のことは「年上の女性」と呼んでいた。
その「年上の男女」が、いかに世間体しか考えていない、表面ばかりの、中身も心もない人間であるか。
自分は長じて、学校などで他の人たちと交流を重ねることで、「年上の男女」の薄っぺらさがひしひしと理解できるようになった。
しかし自分は、この人たちから生まれて、形式的ではあれ、育てられているという事実が厳然としてある。
自分も将来は、この「年上の男女」そっくりの大人になってしまうのかもしれない。
恐ろしいことだと思う。
そのことに自分は、とてもではないが、耐えられそうにない──
そんな旨の文章が、高校生とは思えない文章で、延々と綴られていた。
どこまでが本当なのかはわからない。
けれど、胸に突き刺さるような切実さはあった。
村上さんは、まだ隣家で現場検証や供述をとっていた警察の人にそっとそれを渡した。
ご両親に直接渡すことなど、とてもではないができなかった。
それ以降、警察は来なかった。やはり娘さんの死には事件性はなかったらしい。
遺書も警察の手を経てご両親に渡されたはずだし、そうなれば読んだはずである。
事実がどうあれ、これを読んだお父さん、お母さんの心痛はどれほどのものだろう……と村上さんは隣家の中で心配していたという。
密葬とかになるのかなぁ。
内々で済ませちゃうかもしれないよ。
そうだねぇ、亡くなったのが家の中だしね……。
そんな話を数日、家族と小声で交わしていた。
隣家の通夜と葬儀は、ごく当たり前に行われた。
葬儀場ではない。
家で。
娘が死んだ家で、である。
白黒の幕が周囲を包み、喪服の人々が次々と焼香に来る。
父親、母親、娘さんの友人知人、上司や先生らしき姿もあった。
どことなく居心地の悪そうな人もいたが、それは彼女の死の詳細を知っていたからなのだろう。
村上さんも隣人として、参列しないわけにはいかない。
自分の娘が自死した家で、お葬式、するの……?
あの遺書にも目を通しただろうに。
いったいどういう気持ちでやるんだろう……
黒い服で隣家に出向いた村上さんは、棺のそばに座るご両親の顔を見た。
「普通の顔」をしていたという。
「不幸な事故で、急に娘を亡くした両親」
それを絵に描いたような顔つきと振る舞いだった。
葬儀という儀式の場ではあったけれど、あの死に方、あの遺書のことを考えると、逆にちぐはぐな印象しか残らなかった。
村上さんはぞわぞわするものを感じつつ、両親の前に出向いた。
遺書が届いたのは村上さんの家である。
しかもあの中身……
「この度はどうも、とんだことで……」
村上さんは体がこわばるのを感じながら、どうにか頭を下げた。
両親に何か言われたり、すごい表情をされるのではないかと思いながら顔を上げた。
ご両親は、「普通に悲しんでいる」顔をしていた。
「あぁ村上さん、来ていただいてありがとうございます」
「生前は本当にお世話になりまして。娘も喜んでいると思います」
決まりきった言葉がふたりの口から出てきた。
村上さんは、心の芯がスッと冷えるような気がした。
葬儀などが終わり、四十九日が過ぎた頃あたりから。
残された夫婦の住むその家から、ものすごい大声が聞こえてくるようになった。
言い争いではない。
夫が職場に出かける朝。
開いた玄関から
「いってきまああぁぁぁすっ」
窓がビリビリ震えるほどの声がする。
夫が帰ってくる頃には同じように、
「ただいまああぁぁぁ」
という声が、近隣に響く。
家の中からも妻が
「おかえりなさああぁぁぁい」
と応じる。
夫婦は日常の、決まりきった挨拶だけ、喉が潰れんばかりの大声で叫ぶようになった。
朝早く、夜の7時や8時、11時頃になると、静かな住宅街にいきなり、
「いただきまああぁぁぁすっ」
「ごちそうさまでしたああぁぁぁっ」
「おやすみなさああぁぁぁいっ」
割れんばかりの絶叫が響く。
尋常なことではない。
村上さんをはじめ、向かいや裏の家の人が「大丈夫ですか?」と心配したり、「あの、お声がちょっと」と声をかけたりした。
町内会の会長さんや、主婦たちが注意したこともある。
妻も夫も最初は、「何のお話ですか?」ととぼけたりする。
強く出てみると「申し訳ないです」「注意いたしますので」と謝る。
その謝罪の態度や言葉に嘘はないように見えるので、怒っていた人も矛を収めて家に帰る。
だが、何の改善もしない。
相変わらず朝や夜になると、身をよじるほどの大声で「挨拶」が轟く。
特に困るのは隣家であり、村上さんだ。
完全に決まりきった時間ではないので、声に慣れることがない。そもそも不気味で仕方がない。
どうしよう……警察か市役所に相談しようか……
などと悩んでいたある日の夜だった。
その日は朝の「挨拶」でビクリとさせられたものの、夕方、さらに夜になっても隣はひっそりとしていた。
今日は静かだな、と思って時計を見る。隣の夫が帰ってくる時間はとうに過ぎているし、残業があるような時期でもない。
「もしかして、やっと止めてくれるようになったのかな」
そう考えて隣を見た。
真っ暗だ。
……奥さんも出かけているのだろうか?
けどあの人は専業主婦だし、最近はずっと家にこもりきりだった。
家人に聞けば、
「今日? お隣の奥さん? 出かけた感じはなかったけど……」
玄関に行ってみると、門灯も点いていない。
どうも気になったので、村上さんは自宅の庭に回って、踏み台に乗ってお隣の庭を覗いてみた。
暗い庭の真ん中に、夫が立っていた。
電気のついていない家の方を見ている
驚いて思わず「えっ、どうされました?」と声をかけた。
向こうは返事もしないし、動かない。
どうしたんだろう……。
村上さんは隣に行った。
「すいません、お邪魔します……」
開けっぱなしの金属の門を通って、そっと入る。
庭に歩を進める。
近所の家や街灯から届くかすかな光だけが、うすぼんやりと庭を照らしている。
そのど真ん中に、隣家の夫は棒立ちになっていた。
スーツを着て、鞄を持っている。帰宅した時のままのように見える。
「あの、すいません……どうされました? 大丈夫ですか?」
村上さんが声をかけても、先方はなんの反応も示さない。
電気のついていない自分の家、一階の居間の方を、無表情で見つめているだけだ。
何を見ているんだろう、と村上さんは目をやった。
庭から居間へと通じる大きな窓ガラスが、がらりと開いていた。
真っ暗な居間の中央に、何かがぶらさがっている。
奥さんだった。
二度目とあって、警察の滞在と質問も長かった。
警官からちらりと聞き出したところによると、奥さんは死後数時間ほど。だから昼か夕方頃に、あのようなことをしたらしかった。
夫の方がどんな話をしたのかはわからない。しかし昼や夕方は仕事中だったろうし、言い方は悪いが「アリバイ」はある。
結局また、事件性はなし、ということになった。
ひとり残された夫は、葬儀もしないまま逃げるように、家を出てしまった。
代わりに親類を名乗る人が来てあれこれをやって、「この度は本当に……」と懇切丁寧にお詫びとお礼を述べていったという。
夫はたぶん、その親類に引き取られるかどうかしたのではないか、と村上さんは言うのだった。
無論、どこで何をしているのか。生きているのか死んでいるのかすらもわからない──
「……っていう家らしいんだよ、ここは」
秋山くんの長い話が終わった。
津川さんたちはしばらく、顔を歪めて「いやぁ……」「いやちょっと……」と言うことしかできなかった。
「で、もしかしてアレなの?」津川さんはどうしても気になってしまい、聞いた。
「お前のおじさんが聞いたっていう、夜の大声って……」
あぁ、そうなんだよ、と秋山くんは顔を曇らせる。
「枕元で、『こんばんはああぁぁっ』って言われたり、台所から『いただきまああぁぁすっ』って、中年の男女の声がしたりさ……」
その場の空気がさらに沈む。
そんな津川さんたちを励ますように、秋山さんが大きなゴミ袋を手に取る。
「いや、俺も怖いんだよ。斎藤とか竹田も見た、って言うし……だからホラ、小物しかないから、もう短時間でガーッとやっちゃお?」
晩ご飯とバイト代のこともあるし、いや帰るわ、とは言い出しにくい。
津川さんたちは渋々、うん……と頷いた。
「2階の和室の荷物とか、1階の洋間の品物とか、それさえ判ればいいからさ」
そんな秋山くんの言葉の通り、とにかく目の前の物品を袋に放り込んでいく。
怖いので、他の場所には目もくれない。
ふっと顔を上げて、見知らぬ人がいたりしたら大変だ。なので視線は上げない。
分担作業など怖くてできない。全員で一室に固まって、手に取ったものが何かを認識しないままどんどん袋に放り込む。
「終わった? ここ終わったな?」
「じゃあ外に」
みんなで袋をふたつみっつ持って、外に停めた軽トラに乗せる。
秋山くんが袋にペンで「2階和室」などと書く。
「よし、次。2階の右の洋室」
目を伏せたまま移動して、室内へ。
「はい袋。広げたぞ」
無駄口を叩くものはなかった。
空気を読んでか申し訳なさからか、秋山くんも必要最低限の指示しか出さなかった。
大学生の引っ越しとは思えない速さで作業は進み、日が傾きはじめた頃に、全ての荷物が軽トラに乗せられた。
半透明のゴミ袋の中身はゴチャゴチャだ。
「じゃあ俺、最後にカギとか確認してくるから……」秋山くんが玄関口で言う。「……な?」
言わんとしていることはわかったので、津川さんたちは顔を伏せて、家のどこも見ないようにして待っていた。
秋山くんは無事に出てきた。
軽トラと乗用車に飛び乗って、みんなでその家を離れた。
これらの荷物は今日一日、秋山くんの家に置いておく。
明日以降、おじさん本人が仕分けして、必要なものだけを新居に持っていくらしい。
「そういえば、秋山のおじさん本人は来なかったな」
「そりゃそうだろ……耳元で叫ばれたりしたあんな家、もう一歩も入りたくないよ。業者だと自分がいなきゃいけないし……」
そんなことを言いながら秋山くんの実家で荷物を下ろし、とりあえず、といった調子で物置小屋や座敷に入れる。
軽トラの荷台がカラになった。
ふう、と全員がため息をついた。
「……なんともなかった?」
誰ともなく言う。
「あぁ大丈夫大丈夫。なんもなかった」
「俺も俺も」
「階段で転びかけたくらいだわ」
「秋山も……なんもなかった?」
全員が秋山くんの顔を見る。
「……大丈夫。俺もなんも見なかったし、声もしなかった!」
よ、よかった……
津川さん一行は居間で倒れ伏した。
体の疲れはそうでもないが、気疲れがひどかった。
秋山くんが身を起こす。
「じゃあ、おじさんからお金もらってるから……寿司を……」
寿司。
「いや寿司はすぐ届かないか。今ピザでも頼んで、夕方に寿司が届くようにするか……」
ピザと、寿司。
秋山くんの両親は共働きで、夜にならないと帰らないらしい。
学生連中だけの時間である。
できたてのピザが来ると、秋山くんは「こんなのも……あるんだぜ……」と酒を出してきた。
ピザって案外飽きるもんだな! などと数切れ残していると、夕方である。
寿司が来た。
昼間の恐怖のすべてを忘れて、津川さんたちは飲み食いにいそしんだ。
寿司は飽きねぇもんだな! などと言っていると、呼び鈴が鳴った。
秋山くんがハイ、と玄関に行くと、「あぁ、どうも。どうぞどうぞ」などと言っている。
彼に続いて居間に、中年の男の人が入ってきた。
「やぁ、どうも……」
「この人、俺のおじさん。今日の引っ越しの……」
やさしげな顔つきの、人のよさそうなおじさんだった。
いやぁどうも、今日はこんなにおごっていただいて……と、学生たちが居ずまいを正したのはほんの数分だった。
「寿司にピザに酒かぁ。学生はムチャクチャ食べるねぇ!」
「いやぁ、ありがとうございます。おいしいです」
「俺も晩飯まだだから、食わせてもらおうかなぁ……おっ、酒があるな?」
「ハイ、これはウチにあったやつで」
「君たち学生で……二十歳は……まぁいいか! みんな越えてるね!」
「あーもう全然! 全員二十歳越えですよ! 問題ナシです!」
「俺40近いから……みんなの倍飲むぞ?」
「どんな理屈なんですかそれ」
一瞬漂った堅苦しい雰囲気は消し飛んで、ピザと寿司と酒が行き来する楽しい時間になった。
おじさんは本当にいい人で、「この酒は……レモンがあると捗るんだよ……」などと飲ませてくる。自分も飲む。
しばらく騒ぎが続いて、場が暖まってきた頃にふと、あの家の話になった。
「いやぁ怖かったよ? 怖かったけどさ。まぁホラ、俺もみんなも、こうして無事に終わったわけだし」
おじさんは言う。
一昨日の連中のことは……? と津川さんが秋山くんに視線をやると、「怖いから黙っとこう」と目で言われた。
ふとおじさんは、「でもなぁ」と言った。
「俺さぁ……ずっと独身だけどさ? 独身だけど、あの家族の話を聞いて、なんだか悲しいっていうか、切なくなっちゃってなぁ。
俺40歳で、高校生の子供がいてもおかしくないトシなわけじゃん。そういうことも考えると、なんか、しみじみと……。
俺が聞いた話とか、遺書の内容とかさ、実際のところは曖昧だったりするよ? でも仮に、あらかた本当の話だったとしてさ。
もしかしたらあの家には、実のある、本当のことなんてなんにもなかったんじゃないかなぁ、なんて思うんだよ。
人がふたり、死んじゃうような家庭だったわけだろ? こう……家族が支えとなるような場所じゃなかったってことじゃん?
だからあの家には、何て言うかなぁ……。真実、みたいなことが、一つもなかったんじゃないかな、って。
あそこから逃げ出して、時間と距離をおいてみるとさぁ。俺、そういうことを考えちゃうんだよね……」
あっ、まずいな。なんか湿っぽくなっちゃったね。
おじさんはゴメンゴメンと謝って、「じゃあお詫びに、追加の酒でも……」とサイフを出したところで「あ」と呟いた。
「わー、完全に忘れてたわ。寿司とピザにやられたわ」
「え、どうしたんですか?」
「いや今日ここに寄ったのってさ、要るモンがあったからなんだよな。荷物に。急ぎじゃないんだけど……えっと、荷物は?」
おじさんがぐるりを見回すので、秋山くんが「どこにあったヤツですか?」と尋ねる。
「1階1階。居間にあったヤツで」
「あ~それだったら、物置に入れてあります」
「モノオキ?」
「外の……」
外ぉ? と立ち上がり、おじさんは外に出ていった。
2、3分でおじさんは、「オイオイオイ!」と言いながら居間に戻ってきた。
手にゴミ袋、表面に「居間」と走り書きしてある。
「みんなこれは……これはひどいぞ? 一緒くたに袋に入れちゃって」
「いやぁ、へへへ。急いでたもんで」
秋山くんが笑って謝る。津川さんたちも軽く謝った。
「いくら怖いからってこんな雑な仕事があるかよぉ。全く困ったなぁ」
おじさんは居間の隅っこに袋を置いて、開けて、何やら探している。
「うわぁ、全部グチャグチャじゃんか。これは簡単には探せないな……。もし傷とかついてたら大変だぞ? 弁償だぞ?」
「えーマジですかぁ」
「マジだよぉ。うわ~、服も文房具も放り込んじゃって、ひどいなぁ。せめて分類くらいは……あれっ」
袋を探っていたおじさんの手が止まった。
愚痴も止まっている。
代わりに、
「えーっとね……。いや……これは……えっとね……」
言葉が見つからないように、そればかり繰り返す。
どうしたんですか、と秋山くんが立った。
「……えーっと、これ、俺のじゃないね。俺の荷物じゃないね、これ」
「え。でもおじさんって、まっさらな家に越してきたんじゃないんですか?」
「いや、でもねぇ。これは俺のじゃないね。俺のじゃないよ、これ」
おじさんは振り向かないまま、腕だけを伸ばしてそれを秋山くんに渡した。
「何ですか……えっ? うわっ」
秋山くんは見た途端にそれを床に放り出した。
他の面々も立ち上がった。
一番近くにいた津川さんがそれを拾い上げた。
みんながそれを見た。
写真立てだった。
家族が写っている。
3人。
お父さんと、お母さんと、高校生くらいの女の子。
そういった感じの3人だった。
昼だった。
庭の低い位置から、見上げるように撮られている。
お父さんは庭に立って、こっちを見ている。
にっこり笑っている。
お母さんは、開け放された窓の向こう、居間に立っている。
薄暗い居間の真ん中で、こっちを見てにっこり笑っている。
窓の左側に、カーテンが寄せてある。
高校の制服を着た女の子がいる。
カーテンの上の部分から、ぬっと上半身だけを突き出している。
人が立てる高さではない。
女の子は宙に浮いたようにそこにいて、こっちを見て、にっこり笑っている。
うわっ……
津川さんたちも絶句して、写真立てを取り落とした。
静かな居間にカシャン、と、音が響いた。
一言もなく、身じろぎもなく、物音ひとつしない時間が続いた。
無音なので、気がついた。
誰かがぶつぶつと、かすかな声で呟いている。
おじさんがこちらに背を向けて、身を硬くしたまま、何かしら呟いている。
「……おじさん?」
秋山くんがようやく言った。
「おじさん大丈夫? ちょっと……」
津川さんたちも不安に駆られて、おじさんの方に近寄る。
大丈夫ですか、この写真って、などと声をかけるが、おじさんは反応しない。ただひたすら、何事かを呟いている。
みんな揃って、おじさんのすぐ後ろまで近づいた。
そこではじめて、おじさんが何と言っているのかがわかった。
おじさんは、こう呟いていた。
「享年18歳と4ヶ月
享年18歳と4ヶ月
享年18歳と4ヶ月
享年18歳と4ヶ月
享年18歳と4ヶ月
享年18歳と4ヶ月
享年18歳と4ヶ月
享年18歳と4ヶ月
享年18歳と4ヶ月
享年18歳と4ヶ月
享年18歳と4ヶ月……」
うわっ……
津川さんたちは叫んだ。
同時に、理由はわからないが、全員の頭にまったく同じことが思い浮かんだ。
そうか。
それだけがあの家の真実だったんだ。
おじさんは、津川さんたちの叫びでビクリとして、こちらを振り向いた。
「……あの、とてもじゃないけど俺、あの写真手にとれないわ。誰かあれ、処分してくれないかな……」
断るわけにはいかなかった。
供養する前にと、事情をまるで知らない、写真に詳しい友達に見せてみることにした。
心霊写真にしては、女の子の姿がくっきりしすぎているように思えた。
友達は一目見て、「この変な写真、誰が作ったの?」と言った。
え、合成なの? と聞くと、
「そうだよ。女の子は、なんか簡単なツールでざっくり切り取って貼りつけてるだけだよ。あとのふたりは普通に撮ってるっぽいけど……」
この写真は、生きた人間が作ったものらしい。
父親が作ったのかもしれない。
しかし母親や、あるいは娘さんかもしれない。
誰が作ったものであろうと、どうしてこんなものを撮って、合成したのかはわからない。
そして、何故その写真が、荷物の中に混ざっていたのかもわからない。
写真はその後、すぐに処分されたという。
津川さんたちも、秋山くんも、秋山くんのおじさんも、それからは何事もなく、無事に日々を送っている。
「……あの家に、あの家族はまだいるんでしょうか」
津川さんは最後に言うのだった。
「女の子は姿を見せたし、夫婦の声も聞こえたらしいし。お父さんの生死ははっきりしてないですけど……でもねぇ……
あの……『娘さんの死んだ年齢だけが真実なんだ』っていう……俺たちのわけのわかんない直感みたいなのが本当だとしたら、ですよ。
本当のことがなんにもない、確かなものが何もない家に、あの三人家族は死んだ後も、ずっとそのまま住んでる、っていうことになりませんか。
あの体験もあの家も本当に怖かったですけど、俺、それがいちばん嫌で、怖いことなんじゃないかと思うんです。
上っ面だけ幸せに見えて、心の中は全然幸せじゃない家族が、幽霊になっても何も変わらないまま、同じ家にずっと暮らしてる。
それってすごく、怖いことだよなって。
そう思うんですよ」
【完】
★本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」、
シン・禍話 第四十五夜より、編集・再構成してお送りしました。
本編中に出てくる人物の名前は、すべて仮名です。
●放送アーカイブ、最新情報などは、有志の方が運営しておられる「禍話wiki」をご覧ください。
サポートをしていただくと、ゾウのごはんがすこし増えます。