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【怖い話】 待っていた女 【「禍話」リライト110.5】

「怖い話を聞いた話、でもいいですか?」

 小野さんはそう切り出した。
 直後に、「いや、違うかな──」と言い淀む。

「怖い話を聞いて、怖い目に遭った人の話なんです。正確に言うと」
 ややこしくてすいません、と彼女は言う。

 それは「聞くと祟る」的な話ですか? と尋ねてみると、

「いいえ、そうじゃない──はずです」
 小野さんは小首を傾げる。
「私はなんともないので、大丈夫だと思います。たぶん」

 小野さんがいくぶん不安げに語りはじめたのは、こういう話だった。




 竹内という、大学の先輩の体験だそうである。

 竹内さんは友人から、お見舞いに付き添ってもらえないかと頼まれたという。

「お見舞い? えっ、誰かケガでもしたのかよ? 病気?」

 そうじゃないんだよ、と友人は言う。
「アパートにこもっててさ、様子を見に行きたいんだよね、辻っていう俺の先輩なんだけとさ──」

 辻先輩。
 竹内さんの知らない名前である。

「え、誰だっけそれ。俺、会ったことある?」
「ない」
 竹内さんは「んん?」と眉を寄せた。
「知らない先輩のお見舞いに、見ず知らずの俺が、なんで行かなきゃなんねぇの?」
「いやそれがさぁ、他の人らはもう行きたくない、つってて」
「何でよ。感染る病気とかじゃないんだろ」
「う~ん、あのさぁ」
 友人は声を落とす。
「こないだ俺、心霊スポットに行ったじゃん」
「おぉ。どっかの空き家に侵入するとか言ってたよな。五、六人で」
「辻先輩も一緒に行ったんだけど、そのさ、様子がおかしくなっちゃって」

 心霊スポットに行って、様子がおかしくなった人のお見舞い。
 行きたくない。

「あの、おかしくなったって、暴れたりしたの?」
「いやそれがさ。空き家のある部屋に入って、奥まで行ったら、急にこっち向いて座りこんじゃって。で、俺らに『もう帰れ』って言いはじめて」
「なんだよそれ」
「俺らも困ったんだけど、『帰れ。お前ら帰れ』の一点張りでさぁ──怖くなって帰ったら、その翌日から大学、来なくなっちゃって」
「えっ、その家でまだ座ってんの?」
「いや。さっきも言ったけどちゃんとアパートには帰ってるんだよ。でも引きこもってて」

 妙な家で言動がおかしくなり、その後は外を出歩かない。
 どう考えても、尋常なことではない。

「何それ──お前ら、どんな家に行ったんだよ?」
「確か、勉強だか受験で挫折した、高校生だったかな? とにかく男の子がさ、責める両親を殺してから自殺したっていう家でな」
「えっ」
「で、辻先輩が座っちゃった部屋さぁ。床がこう、他と比べて綺麗だったんだよな。張り替えたばっかり、みたいな」
「ええっ」
「だから、あそこが現場なんじゃねぇかなぁ。あそこで辻先輩、なんかおかしなモンを見たか聞いたかしたんじゃないか、って」
「……」
「他の先輩や友達は様子を見に行って、もう行きたくない、って」
「…………」
「それで、つまり俺だけがまだ、行ってないんだよな。俺ひとりだけさ。だから──なっ? そういうワケなんだよ! な!」

 行きたくない。
 絶対に行きたくない。

 竹内さんは猛烈にそう思ったが、友人は涙目で身をよじらんばかりに頼んでくる。
 別の連中にはすげなく断られて、あとは竹内、お前しかいないんだ、と言う。
 行きたくないのはわかるけどさ、俺はもっと行きたくないんだよ。頼むよ竹内、一生のお願いだからさぁ。
 困って弱りきっている男友達を見捨てるのも忍びない。
 竹内さんは、付き添ってやることにした。



 スーパーで差し入れを買って、ビニール袋を下げながら歩いて行った。
 両側に塀のあるまっすぐな道の先が、目指す辻先輩のアパートである。

「あそこ?」竹内さんは指さした。ありふれた学生アパートだ。
「そうそう。あそこの2階──」
 と答えかけた友人の言葉が止まる。竹内さんも口をつぐんだ。

 2階のひと部屋のドアが開けっぱなしになっている。
 ちょっととか半分どころではない。全開、180度開けてある。
 暑い時期ではなかった。むしろ涼しい頃合いだ。


「ドア、開いてるね」
「うん」
 短いやり取りながら、互いの考えていることがわかる。
 行きたくない。

「まぁ──まぁ、な?」
 友人は差し入れの食糧が入ったビニール袋を持ち上げた
「これを渡さないとさ、辻先輩、餓死しちゃうから。なっ?」
 開け放たれたドアの異様さを見ると、「餓死」というのも大袈裟とは感じない。
「あー、しょうがねぇなぁ」
 竹内さんはため息をついて、歩を進めた。


 ふたりで金属製の外階段を上がって、ドアが全開になった部屋へと足を向ける。
 友人が「こ、こんにちはぁ。辻さぁん?」と声をかけつつ、中を覗く。
「お見舞いに来ましウワッ! えっ、何してるんスか?」
 一拍遅れて、竹内さんは顔を差し出した。


 辻先輩は、玄関の上がり口にあぐらをかいていた。
 げっそりとやつれて、無精髭を生やしている。隈がひどい。
 隈の黒ずみの上で、目だけがぎらついている。

「おお、お前か」
 辻先輩の声はかすれていた。
「せ、先輩、大学来てないって聞いて、その、お見舞い的な──」
 友人は袋を掲げる。竹内さんも真似した。
「おお、ありがとうな。そっちの人は?」
「あの、付き添いで来てくれた、竹内って友達で。荷物が多いもんで」
「そうかあ。はじめて会うよな」
「あっ、はい。はじめまして」
「わざわざありがとうなあ」

 竹内さんは早くも逃げ出したい気持ちになっていた。

 というのも。
 ふたりとやりとりをしているのに。
 辻先輩の目がこちらに向けられないのだ。
 ふたりが顔を出している方の反対側に、視線が固定されている。
 見開いた目が、外廊下のなにもない空間を見つめている。

「まあ、ここじゃアレだからさ。上がれよ」
「えっ? あっハイ」
 ヤバい様子だったら、食糧を渡して早々に帰るつもりだったのだが。
 竹内さんは友人と顔を見合わせる。
「お茶くらいは出すからさ。よいしょっ」
 辻先輩は立ち上がって、奥へと続く短い廊下を行く。内扉は開いていて、畳の部屋と座卓が置いてあるのが見えた。
 身体は奥へと向かっているのに、先輩は首をねじまげて、玄関の外を見続けている。

「じ、じゃあ、ちょっとだけ──」
 友人が敷居を跨ぐ。竹内さんも続かざるを得なかった。


「座布団とかないけど、ゴメンな」
「いえ、大丈夫です。あっこれ、パンとかおかずとかで──」
「おお、ありがと」
 ふたりはビニール袋を渡してから、廊下と玄関を背にして、座卓の前に座った。

 冷蔵庫に袋を突っ込み麦茶を出す時、コップを取って麦茶を注ぐ時、それぞれ数秒だけ、辻先輩は視線を切った。
 だがその後は廊下の先、玄関をずっと見つめている。
 器用にふたりの前にコップを置いて、ふたりの正面に座った。


「あの、大丈夫ですか先輩」「食べてますか。寝てますか」「皆、心配してますよ」
 友人がそんな紋切り型の言葉を並べている間も、辻先輩は返事こそするが、友人に一瞥も寄こさなかった。


 部外者の竹内さんはひどく居心地が悪い。
 噛み合わない雰囲気が嫌だったし、ドアを開けているのに空気が淀んでいる。妙な臭いが鼻をかすめる気もする。

 帰りたい──
 竹内さんが心の中で叫んでいると、隣の友人が言った。

「それで、他の人たちも気にしてたんですけども」
 頭の後ろを掻く。
「先輩、あの家に行ってから、ずっと大学来てないですよね」
「うん。そうだなあ」
「あの、あそこで先輩がどうしちゃったのか、って、俺も皆も気にしてて」
「おお、そうかあ。そうだよなあ」
「いきなり座って、帰れとか言いはじめたわけで──ちょっとこう、」
「おかしいよな。わかるわかる」
「で、あの──あそこで何があったんですかね?」

 竹内さんは顔をしかめて隣を見た。
 早く帰りたいのに、なんでそんな怖いこと聞くんだよ?
 腹が立ったものの、友人の心底嫌そうな表情で理解した。
 こいつ、他の連中や別の先輩たちに「余裕があったら聞いてこい」って言われたな──


 
 そんな竹内さんの動きや友人には目線をやることなく。
 辻先輩は深くため息をついてから、こんな話を語りはじめた。


………………………………………………


 俺さあ、あの家で死んでるのって、子供じゃないと思うんだよね。
 両親──大人の男と女が殺されたっていう話も、かなり怪しいと思うんだよ。

 死んでるのはさ、たぶん、女なんだよな。

 昔聞いたことがあるんだけど、本当にヤバいことが起きた場所ってさ、ウワサが変わっちゃうことがあるらしいんだわ。

 殺人鬼が出る山とか憲法が通用しない村とか、あるだろ? そういうムチャな話。

 本当にヤバいことが起きた時は、そういうヘンな話に作り変えて、人が近づかないように仕向ける、みたいなことがあるんだって。

 あの家の話も、わかりやすいだろ?
 受験か勉強で挫折した子が、両親を殺した、だなんて。

 可哀想な話だし、不謹慎な感じもあるから、入り込むヤツが少なくなりそうな感じ、あるだろ?
 まあ俺らみたいな気にしないバカが、たまにいるんだろうけどさ。


 でも実際は、女だったんだよな。
 若い女。

 なんでわかるのか、って言うとさ。
 見たからなんだよ。


 あの部屋さあ。俺が座り込んだ部屋。
 覚えてる? 
 俺がいちばん最初に入って、奥まで行ったんだよ。

 何にもない部屋だったよな。
 家具もカーペットもなくて。そのくせ床も壁も綺麗でさ。あの部屋だけ貼り替えてるんだよな。

「ここだけリフォームされてるな」とか、「じゃあここが現場なんですかねぇ」とか、みんなで言い合ったのを覚えてるよ。


 でさあ。
 奥まで進んだ時に、何だろうな──


「踏んだ」って感触がしたんだよ。


 コードも出っぱりもないし、線が引いてあったわけでもないんだけどさ。
 でも、「踏んだ」って感じがしたんだよ。


 あ、って思ってさ。
 ワケもなくお前らの方を振り返ったんだ。
 みんな部屋に入ってきてた。


 その後ろの、廊下をなあ。
 女が歩いて行ったんだよ。若い女が。


 俺ら、男だけで行っただろ。女なんているわけないんだ。
 なのに女がさ、廊下を右から左、左から右、って、行ったり来たりしてたんだよ。


 ドッキリじゃないってのはすぐわかったよ。
 だってお前──
 身体がさ。
 頭とか腕が、あんなことになってたら。 
 絶対歩けないよ。
 生きてるわけないよ、あんなの。


 でも他の連中には、あの女が見えてないらしくて。
 敷居を挟んですぐの所に立ってたヤツもいたのに、気づいてなくてさ。
 俺にしか見えてないんだ、ってわかった。


 たぶんなんだけど、何かを「踏んだ」っていうのがさあ。
 あれがダメだったんだろうな。
 入っちゃ行けない所にまで、俺、入っちゃったんだろうな。

 だから余計に怖くてさ。
 足が動かなくなっちゃって。
 だって数歩くらいの距離に、廊下に、女がいるんだもん。
 身体がすごいことになってる女がさ。
 で、ああもうダメだなって、その場に座って。
 って言うか腰が抜けたような感じで。

 あとはもう、お前らがこっち側に来ないよう、「帰れ」って言うしかなかったんだよね。

 女が廊下にいる、なんて言ったら、パニックになるだろ?

 
 お前らには心配かけたけど、できることがそれしか思い浮かばなくてさ。
 ホントにゴメンな。
 そういう理由があって、あそこに居座ることになったんだわ。
 ビックリさせちゃったよな。
 あの日は本当にゴメンなあ。


………………………………………………



 ──友人が返事をしないので、竹内さんは隣を見た。

 友人は青い顔をして固まっていた。
 彼もその場にいたのだから、恐ろしいのは理解できるが──

 竹内さんはヒジで友人を小突く。
 ハッとした友人が「え。えぇ、いや」と生返事をした。
 それからまた、黙ってしまった。

 友人も辻先輩も何も言わない。


「それで、あの」
 竹内さんは静けさに耐えられなくなった。
「辻さん、しばらくそのまま、座ってたわけですよね?」
「うん、そうだね」
 辻先輩は頷く。しかし相変わらず、視線はこっちに寄越さない。
 竹内くんと友人の間を透かし見るように、目を固定している。
「でもほら、ちゃんと逃げ出せたわけですから、よかったですよね」
 竹内さんは話をまとめようとしたものの、
「ん? うん──まあ、よかったのかなあ。いや、それがなあ」

 それが呼び水となり、辻先輩は話を続けるのだった。



………………………………………………



 みんなが帰ってからしばらくはさ、もうどうにもならなくて。
 だってもう、数歩の距離で、女がふらふらしてるんだから。
 神経が麻痺しちゃった、みたいな。
 どうしようか、とも考えられなかったよ。

 怖くて目が離せなくて、時計すら見れないから、どれだけ経ったかは判んないんだけど。

 慣れてきた、って言うのかな。

 変な表現だけど。けど人間って妙なモンで、そんな状況でも慣れてきちゃうんだよ。
 考える余裕が出てきたんだ。


 女の動きに規則性がある、って気づいたんだ。

 左に行ってから、ちょっと間があって、右向きに出てくる。
 右に消えてからは、あまり間を空けずに、すぐに現れる。
 歩く速度もほとんと変わらないし、いきなり妙な行動もしない。行ったり来たりしてるだけ。
 そういう規則性が見えてきて。


 じゃあ、左に行った瞬間に右に入れば、逃げられるんじゃないかって思った。
 右が玄関に通じる方角だから、転んだりしなければ逃げられるな。
 座りっぱなしだったから、立ち上がる瞬間がいちばん危ないな、そこが勝負だな──

 とかいろいろと考えてる最中にさあ。
 ふっ、と思っちゃったんだよ。


 この女は、なんで部屋に入って来ないんだろう、って。

 俺がいるのに気づいてないのかな。 
 でもこの距離で、俺は座ってるんだから。
 しかも何十、百何十回も往復してるし。
 気づかないなんてあり得るかな。
 そもそも俺が出られないように動いてるのに。
 そんなわけないよな。
 気づいてるに決まってるよなあ──

 って思った瞬間にさ。
 襟足のあたりを、すぅっ、と撫でられたんだ。


 あははは。
 気づいてるに決まってるよなあ。
 そんなわけないもん。
 あはははは。
 気づいてるに決まってるよ


 たぶんさあ、あの女。
 俺がそう考えるまで、待ってたんだよな。

 俺のことに気づいてないなんてありえない。
 こいつはわざと部屋に入って来ないんだ。
 あえて行ったり来たりしてるんだ、って。

 俺がそういう考えにたどり着くまで、あの女、待ってたんだよなあ。


 襟足を触られた瞬間から記憶が飛んでな。
 はっとしたら、家の外の道路をふらふら歩いてたんだわ──


………………………………………………


 竹内さんも友人も絶句していた。
 そんなふたりを前に辻先輩は、瞳を動かさないまま身動ぎした。

「ほら見てよ、足」
 座卓の下から足を上げてみせる。

 来た時は靴下かと思ったが、そうではなかった。
 両足を包帯で雑にぐるぐると巻いている。
 指先がわずかに赤い。血のようだった。

「爪とか剥がれちゃってさ。カカトも剥けちゃってな。それにほら、」

 首をわずかに横にねじる。
 襟足が包丁で切り落としたように、まっすぐに断たれていた。
「ここ、触られた所。下水みたいなすごい臭いがしてさ。だから自分で手づかみで、ハサミでやっちゃったんだよ」
 まだちょっと臭うけどなあ──と辻先輩は正面を向く。


 そ、そうだったんですね。
 大変でしたね、本当に。
 ふたりともそれくらいのことしか言えない。


「いやあ、うん。困ったもんだよなあ。
 だからさあ」
 辻先輩の目つきに、力が入った


「だから、今も、そうしてるんだよな」


 ──は?
 当惑するふたりを前に、先輩は重ねて言う。
 言い聞かせるような調子だった。

「だからさあ、そうしておかないと、まずいんだよ。わかるよな?」
「いや──」
「考えるだけでも、まずいわけよ。な?」
「いや、ちょっと」
「入ってこないようにしないと!」
 先輩はいきなり声を張り上げた。

「入ってこないんだよ! 絶対に入ってこないんだよ! わかるだろ!」
 眼球を見開いている。

「そういうことを考えたら! 来ちゃうから!
 こっちに入ってきちゃうんだよ!」


 そこまで聞いて、言葉の意味がわかった。
 辻先輩が玄関から目を離さない理由もわかった。

 ふたり同時に振り向いた。


 廊下。
 玄関。

 誰もいない。


「や、やめてくださいよ先輩──」
「誰もいないじゃないですか──」

 ふたりは言いながら向き直った。
 先輩はふたりの方を見ないまま、

「──いいなあ!」

 と叫んだ。

「いいなぁお前ら! うらやましいなあ! いいなあっ!」

 座卓に乗せた手が震えている。
 充血して真っ赤な目が廊下の先を見据えていた。
 向こうにいるものを、押し止めるように。


「せ、先輩あの、俺ら帰りますんで」
 たまらず友人が立ち上がった。
「そういうアレでしたら俺、コップ洗いますよ、
あとホラ、冷蔵庫。今日買ってきたヤツ整理して入れ直しますから」

「あー、ああ。ああ、ゴメンな。ゴメンな急に大きい声出して」
 辻先輩はこの気配りに少し落ち着いたようだった。
「じゃあ俺は洗い物するから。お前は冷蔵庫の方やってくれよ。ゴメンな」 
 そうしてふたりは、居間からさらに奥の台所に行った。


 先輩の瞳は玄関に注がれたままだが──
 居間には竹内さんひとりになってしまった。

 コップを洗う音と、ビニールをがさがさ言わせて食べ物を冷蔵庫にしまう音だけがする。ふたりとも会話はせず、無言の作業だった。

 竹内さんは正座の膝に、汗ばむ両手を置いたままの姿勢でいた。
 とんでもない所に来て、とんでもない話を聞いてしまった──
 後悔の気持ちばかりが頭をもたげてくる。
 座っていると冷や汗が出てくる。

 どっちか、手伝おうかな。
 そんなことが頭をよぎった時。



 かしっ かしっ

 
 異音が耳に入った。


 かしっ かしっ


 さっきまでは先輩のことで頭がいっぱいでわからなかったが、妙な音がする。
 いま鳴りはじめた、という感じではない。
 軽いものを、しつこく何度も、ずっと押しているような──


 かしっ かしっ


 意識しないままに顔を上げていた。
 横を向くと、居間の天井近くに箱のようなものがある。
 そこから紐が垂れ下がっている。
 コードのようだ。

 あぁ、ドアのチャイムだ。
 チャイムのコードを外してるのか。
 来た時にドアは開けてあったから、チャイム押さなかったもんな。
 だから。
 この妙な音は、コードが外れてる玄関のチャイムを、誰かが押してる音なんだ。


 誰が?


 視線が玄関に移った。

 外廊下に足が見えた。
 細い女の足だった。




「終わったよ! 帰ろ!」
 肩を叩かれてびくりとしたが、友人の手だった。
 立ち上がると辻先輩もそばに来ている。
 えっ──と再び背後を見る。
 どこにも、誰もいない。

「ありがとな、差し入れ持ってきてくれて。助かったわ」
 辻先輩の目が玄関の方から外れることは、最後までほとんどなかった。




「いやぁ、マジで怖かったな! ちょっと勘弁してほしいわ!」
 アパートの外の道、友人が大きな声で喋りながら先を歩いている。
 空は紫色で、夕方の気配があった。
 他の先輩や友人たちへの不満、付き添いへの感謝などを並び立てているが。
 竹内さんはそれどころではない。

 なんで。
 なんで俺に見えちゃったんだろう。

 女の足のことが気になってどうしようもない。

 だってあれって、辻先輩にとり憑いてるんだろ? と竹内さんは歩きながら考える。

 前を歩いてるコイツと違って、俺は家に行ってないし。
 場所すら知らないし。
 辻先輩とも初対面なのにさ。
 おかしいよな。ありえないよな。
 絶対に変だよこれって。
 アレって、先輩に憑いてるやつなのに。
 
 じゃあ──たまたま見えただけだ。
 ちょっと見えちゃっただけ。
 大丈夫だよな。
 見えちゃったけど、絶対問題ない。
 だって、俺は無関係なんだから。
 あの女と俺とは全然。 
 何の関係もないんだから。


 


 「ほんとに?」
 右の耳元で、女の声がした。



 飛び上がりかけた身体。
 左右の腕をきゅうっ、と掴まれる。
 竹内さんは歯を食い縛って目を閉じた。
 見てはいけないと思った。

 気のせいだ、と思い込もうとした。
 変な話を聞いたからだ。
 これは気のせいなんだ、と。

 二の腕に指が喰い込んでくる。
 痛いほどに力が強くなっていく。
 人の指ではないほどに細い指だった。
 怖くて全身に震えがくる。
 足が止まりそうになる。
 止まったら終わりだと思った。

 じゃあ。
 じゃあこれは悪戯だ。冗談なんだ。
 竹内さんは考え直した。

 前を歩いてる友達が戻ってきたんだ。
 俺の腕を掴んで脅かしてるんだ。
 これはアイツの手だ。
 絶対にアイツの手なんだ。
 そうじゃないとおかしいじゃないか。
 だって。
 だってあの女は、俺じゃなくって。
 先輩にとり憑いてるんだから。





 「 ほんとに? 」
 今度は左の耳元で声がした。







「──竹内先輩、急に大学に来なくなっちゃって。ケガでもなく病気でもなく、マンションに閉じこもってるって言うんで。
 それで、どうしたんだろうって、みんな揃って様子を見に行ったんです。食べ物とか飲み物とかたくさん買って」

 小野さんは暗い顔つきで言う。

「部屋に言ったら竹内先輩、げっそりやつれてて。無精髭を生やしてて、ろくに寝てないみたいで隈がひどくて。
 でも目だけはぎらぎら光ってて、すごく怯えてて──」

 そんな様子の竹内先輩から途切れ途切れに聞いたのが、今の話なんです──
 小野さんの声はかすれて、消え入りそうだった。

 竹内さんがこの体験を話している間、どこに目をやっていたのか。
 それは小野さんには聞けなかった。





【完】


 




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 THE 禍話 第8夜
 より、編集・再構成してお送りしました。なお登場する名前は全て、日本恐怖小説の名著『残穢』に絡めた仮名となっております。


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【単話切り抜き版】




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