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【怖い話】マスク大家族【「禍話」リライト40】



 幽霊や怪異の出てこない、少し寂しくなるような話である。


 Uさんは学生時代、古いアパートに住んでいたそうだ。
「そこがボロいところでねぇ。まぁ住むだけなら困らないし、汚いわけではないんですけど……」
 古く狭いひと部屋に、家具や家電や布団を置くのである。まっとうな独り暮らしとしてギリギリな広さだった。
 もちろん壁も薄い。左右の部屋の音もよく聞こえたし、上の階の生活音まで聞こえるくらいだったという。
 大学から近かったせいかたまに友達を呼んで酒を飲んだりした。だが騒ぐと近隣にご迷惑がかかる。必然、若者らしくないひっそりとした飲み会になる。
 とは言えそれはそれで「音を立てずに飲む」ゲームのようで楽しかったそうなのだが。


 ところでUさんの隣の部屋には、家族が住んでいた。
 繰り返すが、学生向けの古いアパートである。友達が2人も泊まりに来るとかなり窮屈に感じるくらいの広さだ。
 そんな部屋に、6人だかの家族が住んでいたというのである。

「お父さんとお母さん、小学生と中学生の子供が2人、それにお爺さんと……姿はほとんど見かけなかったけどお婆さんもいましたね……
 たぶん三世代で、大家族ってほどじゃないけど、あのアパートの部屋の広さからすると、『大家族』って感じでしたね。相対的に……」

 子供2人は小、中学生にしては元気がなかった。もっとも壁が薄いので、親に「静かにしてなさいね」と言われていたのかもしれない。
 夜になると壁越しに、あちらの部屋の押し入れがゴソゴソいう音がする。子供2人は押し入れの中で寝ているのかもしれなかった。
 彼らが土日にゾロゾロと部屋を出てどこかに行ったりする様子を見ていると、なんだかさみしい気持ちになったものだという。


 ある夜、友達が一人遊びに来た。飲んで食べて、騒がしくない程度に騒いだ。
「酒、なくなったな」と友達が言う。
「おう、もうないのか」Uさんが応じる。
「じゃあ俺が買ってくるわ、部屋も借りてることだし……」
 友達はゆっくり立ち上がって、酔って少しばかりふらつく足取りで部屋を出ていった。近所のコンビニに買いに行くのだ。
 しばらくの後、ビニール袋を下げた彼が帰ってきた。
「おいおいおい」部屋に入ってきて座るなり低い声で言う。心なしか顔が青ざめている。
 彼はUさんに顔を近づけて、ほとんど囁くように言った。
「…………お隣さん……あれなんなんだ?」
「隣?」
「声……! 声が大きい……!」
「……家族だろ……? 6人くらいで住んでて……こんな狭いアパートに住んで……お金ないのかなぁ……って他人事ながら心配してるんだけど……」
「……それだけ……? お前……もうちょっとこう……ちゃんと気をつけて生きた方がいいぞ……?」
 ムッとした。
「……何がだよ」
 友達はさらに声を落として語る。
「今な……俺が酒買って帰ってきた時……ちょうど隣の家族もどっかから帰ってきたみたいだったんだよ……」
「それで……?」
「……なんであの人たち、家族全員マスクしてるんだ?」
「…………マスク…………?」
「そうだよ……こんな夏の暑い時期に……! しかも家族みんなして……! 風邪でも花粉症でもないだろうに……!」
 Uさんは記憶の中にある彼らの姿を引っぱり出してみたという。
 廊下ですれ違った時、ゴミ捨て場で会釈した時、アパートの決まりごとについて1分ほど立ち話した時…………
 確かにそうだ。お父さんもお母さんも、子供2人も、たぶんおじいさんも、みんなマスクをしている。鼻から顎までの顔を見た覚えがなかった。
「……そういえば……あの人たちいっつも…………マスクしてるな…………」
「……いつもか? ずっと?」
「顔の半分、見たことないもん…………」
「ウエーッ……ちょっとそれは……気味悪くねぇか…………?」
 確かにそうだ。一年中マスクをしている隣人一家、と考えてみると、少しモヤモヤする。
「…………気味悪い、って言うとアレだけど、まぁ気にはなるよな…………なんなんだろ……?」
「そうだぞお前……もうちょっと敏感に生きろよな……?」


 鈍感な野郎だと言われたようなもので、気に障った。だが一理ある。
 翌日からUさんは身の回りに注意を払って生活してみた。
 そのせいで、見つけてしまったのだという。


 アパートの敷地から道路に出る手前に、未舗装の部分がある。そこには剥き出しの地面の上にざっくりと砂利が敷いてあった。
 ある日出かけようとした時、ふと見下ろした砂利の中に妙なモノを見つけた。

 小石にしては白くて、妙な形だと思った。
 立ち止まってしゃがんでみる。その小さなものをまじまじと見て、ようやく思い至った。


 歯だ。
 歯が落ちている。
 

 地面に歯が落ちていることなんてそうそうない。犬猫などの、動物の歯だろうか? 不思議に思って首を巡らせてじっくりとそのあたりを観察してみた。


 ──歯が、たくさんある。
 砂利にいくつも混ざり、半ば地面に埋もれている。土や泥で汚れて一見気づかなかったが、明らかに歯だ。
 さらによく眺めれば、動物のものを思わせる小さな歯はごく少ない。大きな歯もある。いやむしろ、大きな歯ばかりだ。親指の爪くらいの大きさのもの、尖ったもの、詰め物をしたらしい歯、金歯まで…………。

 これは、人の歯だ。

 大人の歯が十何個も落ちているのだ。一つずつつまんで集めれば、片手でひとすくいになるくらいの量があるように思えた。

 ──これはもしかして、あの家族の歯なんじゃないか?
 紐づける理由はまるでなかったものの、Uさんは瞬間的にそう思ったのだという。
 また記憶を辿ってみる。廊下や敷地内ですれ違った時に軽く挨拶する際、確かに違和感はあった。
「こんにちは」とか「昨日はうるさくしてすみません」などの簡単な会話を交わす。その時に相手の言葉が聞き取れないことがたびたびあった。
 マスクをしているせいかもしれない。しかしそれにしても、声に張りがない。息がスカスカ抜けるような喋り方だった……ような気がする。
 
 さらに気をつけて生活をしてみた。具体的には、壁越しに聞こえるお隣さんの会話に注意を払うようにしたのである。
 品のない行為ではあったが、たまに耳を壁に当てて、彼らの日常会話を聞いてみたりもした。
 テレビの音に混じって、夫婦や親子の対話が聞こえてくる。テレビの音量や家族の話は隣近所に配慮しつつも、普通の声量くらいだった。
 ところがやはり、テレビから聞こえるハキハキした声とは違って、隣人の声は聞き取りづらい。輪郭がはっきりせず、話し合っているということはわかれども、その内容がまるでわからない。
 
 この人たち、やっぱりみんな歯がないんじゃないんだろうか。
 やっぱりあの歯って、この人たちのものなんじゃないだろうか。 
 Uさんは確信を強めたそうである。
 しかしどうして彼らの歯がアパートの外にボトボト落ちているのか、それだけは想像もつかなかった。


 そんな折、隣の家族のお父さんが亡くなった。
 職場でだか通勤途中での事故だったらしかった。文字通りの急死だった。
 葬儀やら何やらが終わるまで、いつも静かな隣の部屋は、よりいっそう静かになった。壁越しに重苦しい空気さえ伝わってくるように感じたという。

 後日、部屋のチャイムが鳴った。「はぁい」と返事をして玄関まで出ていくと、ドアの向こうで 

「すいまへん、となりの○○でふけども」

 と女性の声がした。
 …………歯の件は気になるが、お隣さんである。迷惑行為をされたこともないし、むしろ丁寧に接してもらっていた。無視するのは大変失礼だ。Uさんはドアを開けた。
 玄関先には奥さんと、下の子供がいた。ふたりともやはりマスクをしている。
「……ごじょんじかと思いますが、身内にフコウがごらいまして」
 と伏し目がちに語りはじめた奥さんが痛々しかったが、彼女がマスクを外すことはなかった。
 改めて向き合ってみると、どうしてもマスクに目がいってしまう。
 ぼろぼろで、黄ばんでいる。
 このマスク、どれだけ長くつけているのだろう。
 失礼のないようマスクは意識して見ないようにしつつ、相槌を打ちながら聞いていると、残された家族はこのアパートを引き払うという話だった。
「ひっこしのぢゅんびで、やんにちか、うるしゃくなるかと思いますぅが」
 その言葉も終始不明瞭で、完全には聞き取れないまま、通りいっぺんのやりとりが終わった。
「おへわになりまひた」
「いえいえ、こちらこそ」
 と互いにペコペコ頭を下げるUさんと奥さんのそばで、小学生くらいの子供は悲しそうでもつらそうでもなく、何故かひどく不満そうな目つきで立っているだけだった。

 その翌日くらいから、引っ越しの準備の物音がしはじめた。6人だかの家族だから荷物が多いらしかった。
 古いアパートなのでエアコンなどはない。なのでUさんもドアを少し開けて扇風機を回しておくことが多い。
 すると、内や外で行われている引っ越しの荷造りや家族の会話が耳に入ってくる。
 相変わらず聞き取れない発言が多かったけれど、お父さんが亡くなった割には泣き言も愚痴もごく少なかった。家族でそういうことは言わないよう頑張っていたのかもしれない。
 そんな中でポツリ、と聞こえてきた言葉があった。下の子供の声で、ひどく不満そうな響きがあった。
 それはこんな言葉だった。

「ゆわれたとぉりに、なげてたのに、なぁんにもいいこと、なかったね」

 何か引っかかりを覚えたものの、Uさんはその引っかかりの正体がわからないまま、数日後、引っ越し作業は完了した。
 大黒柱を亡くした家族はトラックに乗って、どこかへ走り去っていった。

 そのちょっと後で、管理人さんが隣の部屋に入った。ちゃんと空になっているか、室内に大きな傷などがないか見るためである。
 ものの数分と経たないうちに中から「うわぁ」と叫び声がした。
 Uさんは何事かと部屋を出た。隣を覗く。
「どうしたんですか」
 管理人さんは身を縮めながら、床に置いてあったモノを指さした。
「これ…………」

 Uさんは体を曲げて、床に置いてあるそれに顔を近づけた。
 ラベルの剥がされた1.5リットルのペットボトルだ。
 中に、何か入っている。
 これは……これは…………?
 わかった途端、Uさんは腰を抜かしそうになった。


 人間の歯がみっしりと詰まっていた。
 乳歯に永久歯、歯垢の黄色とヤニの茶色、虫歯跡の黒色とわずかな白色の無数のまだらが、透明のボトルから透けて見えていた。


 Uさんは震えながらも理解した。

 ──ゆわれたとぉりに、なげてたのに、なぁんにもいいこと、なかったね。

 あの家族は、この歯を屋根の上や床下に投げていたんだ。
 昔ながらの風習──上の歯が抜けたら床下に、下の歯が抜けたら屋根に投げる──をやっていたのだ。
 その風習が彼らの中でどうねじくれたのか、「歯を、住んでいる建物の上下に投げるといいことが起きる」になっていたに違いない。
 しかも自然に抜け落ちた乳歯ではなく、大人たちが自分の歯を無理矢理抜いていたのだ。
 ペットボトルに溜めこんで。
 何本も、何十本も…………
 

 あの家族がどうしてそんな無茶なことをやりはじめたのか、Uさんには想像もつかない。

「でもなんだかこう、怖いより悲しくてね……。いろいろ切羽詰まってたのかもしれませんし……。それに、これだけ縁起を担いで無茶をやってても、お父さんは亡くなってしまったわけですから……」

 あの人たち、離れ離れになったんでしょうか。
 それともまだ一緒に暮らしているのかな。
 どうしているんでしょうね。
 Uさんはそう語るのだった。




【完】



☆本記事は、無料×著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」、
 禍話スペシャル① より、編集・再構成してお送りしました。


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