【怖い話】 墨の村 【「禍話」リライト 53】
Kさんは、廃墟や廃村に泊まるのが好きなのだそうだ。
キャンプ用具を一揃い背負って田舎を歩いたり、山に分け入ったりする。
いい具合の廃墟・廃村を見つけると、「あぁいいな」「これはいいぞ」と泊まるのだという。
なお、Kさんは女性である。
「廃墟に泊まるのって、何がいいんですか?」と聞くと、
「雰囲気をねぇ……楽しむんですよ……」と彼女は答える。
よくわからないが、なんか楽しいらしい。
そのへんのことは置くとして、何か変な体験はないですか? と尋ねてみた。
「まぁ廃墟に泊まるんでね、たまにはありますよ。変なのを見たりとかおかしなモノがあったりとか……そうそう、こういう怖いことがありましたね……」
例によってKさんは、ある山に目星をつけて奥へと進んでいた。このあたりに、誰も住まなくなった村があるはずなのだ。
少し登ったところに小さな集落があった。古びた家屋や小屋が点々と残っている。
Kさんは村をざっと見渡して、「あ~、すごくいい感じだな」と思ったという。
「かなりいい感じの村だぞ、よしよし……」
うんうん頷きながら集落の中を歩いていると──
「お話の途中なんですけどちょっといいですか。『いい感じ』ってのは、どういう感じなんですかね?」
「いい感じなんですよ」
「空気感とか、建物の古びた様子とか、そういう?」
「具体的にはね、『誰かにずっと遠くから見られてる気配がある』んですよね」
「それが、『いい感じ』なんですか」
「はい」
「………………………………」
──うんうん頷きながら集落の中を歩いていると、ごく小さな、自治会館のような建物があった。その昔、一年の折々に住民が集まって会議や酒盛りでもしていたのだろう。ちっぽけな平屋である。
窓も割れておらず壁もそのまま、入り口の戸もしっかりしている。
戸に手をかけた。
からり、と開いた。
玄関から上がって少し行くと内扉があり、その向こうには広い座敷があった。ホコリはひどいものの、床が落ちたり天井が崩れたりはしていない。
玄関の脇にちょっとした掲示板のようなものがあった。半紙の切れはしのようなものが、錆びた画鋲の下に残っている。
きっと以前は、村の小学生や老人が書いた“賀正”とか“豊作”なんて習字を飾っていたに違いない。昔を忍ばせる。
「あ~、これはいい宿泊場所だな」とKさんは感激した。
「いい廃村にいい廃墟。奥ゆかしい。悪い要素が見当たらないぞ」
ニコニコしながら中に入った。
剛胆なKさんだが、山の野性動物は怖い。拾っておいた木の枝を戸にかませてロックする。
座敷へと行って荷物を下ろし、寝袋、ライト、簡易コンロとヤカンなどを取り出して、宿泊準備は万端となった。
窓を見た。一枚も割れていない。外が赤い。時刻はもう夕方である。
「いや~、いい! ずーっとどこからか視線を感じる! ここは素晴らしい!」
大当たりだな、と静かにひとり喜んでいた。
山の夜は足早にやって来る。
ライトをつけて、カップラーメンを食べ、音楽などを流しつつゆったりとお菓子などを食べていると、辺りは真っ暗になった。
ラーメンをすすり、甘いお菓子を頬張っている最中も、
「いや~、いい感じだな!」
「いい感じの村だな!」
「なんて素敵な村だろう!」
という幸福な感触は、Kさんの中から消えなかった。
食べた容器をゴミ袋に入れて音楽を切ると、何の音もしなくなった。
服の衣擦れ以外は、まったくの静寂である。自分の心臓の鼓動さえ聞こえてくるような、そんな静けさだ。
静寂の真ん中にKさんひとりだけが、ライトに照らされながら座っている。
「いやぁ、これだよね、これこれ……」Kさんはしみじみと感じ入った。
やっぱり廃墟ってのはこうでなくっちゃねぇ……ひとりきりで、静かで…………
しかもこんだけいい感じの場所なんだから、これ以上望むものなんてないよね…………
いやぁ~いい感じだ……すごくいい感じの…………
あれっ?
いきなり、「いい感じ」ではなくなった。
「じっと誰かに見られてる感覚がある、ってのが、廃墟や廃村のベストなんですよ。
よくないのがね、敵意が漂ってくる場所で。そういう場所には泊まらないです。
で、いい感じだった場所が徐々に嫌な感じになっていくのは、まだマシなんですよ。
一番ダメなのが、『いい感じ』が急に『よくない感じ』になるやつ。これは最悪」
スイッチを切り替えたように、ぱちん、と雰囲気が一変した。
ものすごくよくない感じになった。
悪いものがぐいぐいと迫ってくる感覚がある。
「そういう時はね、本格的にヤバいんで、逃げることにしてるんですよ」
「塩とか御札とか、そういうのは持ってないんですか?」
「ないです。ファブリーズしかないです」
「ファブリーズ」
「除霊効果があるらしいですよ」
「………………………………」
これはまずい、とKさんは宿泊用具を片付けはじめた。
夜だけど一本道で、危険な山道でもなかった。登山靴の足元と道の先を照らしながら降りていけば、どうにか──
考えながら寝袋を畳んでいたら、窓の外の地面をポツポツ叩くものがあった
「げっ」
言った途端にザァーッ……と降ってきた。
大雨である。
「ウソぉ~……」
レインコートは持っているものの、この降り方ではもう無理だ。ギリギリ帰れるかどうかの瀬戸際だったのが、これで完全に帰れなくなってしまった。
雨のせいで、さっきまで皮膚を撫でていた「よくない感じ」が不明瞭になっている。
薄まっているのではない。気配が散って、わかりづらくなっている。
悪意のようなものがどこかうずくまっているのは感じる。だがそれがどの辺なのか、どんな種類のものなのかが、雨にまぎれてわからない。
「いやぁ~、これはよくないなぁ……よくないことになった……」
Kさんは仕方なく寝袋を出し直した。
起きている場合ではない。
こういう時は寝て、存在しないフリをしてやり過ごすしかないのだ。
夜の早い時間だったけれども、Kさんは気合を入れて目を閉じた。
ふと、目が覚めた。
時計を見れば夜中の1時過ぎだ。
Kさんは一度寝たら、よほどのことがない限り起きない。
トイレに行きたいでも、物音がしたでもない。
一体なんだろう。
寝袋の中で身をよじって鼻をすすると、「匂い」がした。
ここへやって来てはじめて嗅いだ匂いである。何の匂いだかわからない。あまり馴染みのない匂いだ。
はて、これは……
鼻をスンスン言わせてよく嗅ぎ、寝起きの頭の奥から記憶を引き出そうとする。
しばらく経ってからようやくわかった。
墨の匂いだ。
墨汁の匂いが、部屋にうっすらと漂っているのだ。
墨……?
なんでこんな場所で、こんな夜中に……?
相変わらず外では雨が降り続いている。「よくない感じ」も、まだまとわりついてくる。
さすがのKさんも怖くなってきたので、とりあえず、再び入眠することにした。
揺り動かされて、目が覚めた。
「ウェッ!?」
思わず声を上げながら起きてライトをつける。
誰もいない。
Kさんは、寝袋を掴んで揺さぶった手の大きさを思い出そうとした。
小さな手だったような気がする。
子供の手が力なく、体を揺らしてきたような感触だった。
たとえて言うなら、
「ねぇ、おねえちゃん起きてぇ。起きてよぉ」
と、子供が冗談半分に揺らしていたような。
墨の匂いはさっきよりも濃くなり、今や鼻を打つほどのものになっている。
これはいかん。これは一度、見回らないとダメだ。そうしないと寝直せない。
Kさんは寝袋から這い出した。
ライトを握って座敷を見渡す。来た時から変化はない。窓の外、雨が降っている。誰もいない。
Kさんはこうなると徹底して確認するタイプである。
立って玄関まで行き、つっかい棒の枝を取って外を見る。雨の降る手前にも奥にも、やはり誰もいない。よくない感じは続いているけれど、人影はまったくない。
靴を脱ぐところを照らしてみる。自分以外の靴はないし、泥や雨で汚れた形跡もない。
Kさんは困惑した。
じゃあ、この墨の匂いって。
何の気なしにひょいっと、さっき見た小さな掲示板にライトを当てた。
半紙が貼ってあった。
「えっ」
真新しい半紙に、筆で字が書いてある。
ライトの光に墨が黒光りしている。まだ乾いていない。今さっき書いたばかりなのだ。
「で、書いてあったのが……これ、信じてもらえなくてもいいんですけど……」
半紙には、様々な大きさの
「す」
が、びっしりと書かれていた。
これは、ダメだ。
玄関に誰かが侵入した形跡がないのに、こんなものがある。しかも呪詛の言葉などではなく「す」だ。無茶苦茶だ。
仮にこれが幻覚だったとしたら、それはそれで自分の精神がおかしくなっている。
「ああー、あーっ、これはヤバいー!」
Kさんはわざと大声を出して座敷に戻り内扉を閉めた。音楽をガンガンにかけて自分も歌って、さっき見た半紙も、這い寄る気配も、鼻に刺さるほどに濃くなる墨の匂いも頭から追い出そうと試みた。
ろくに眠れぬまま、朝を迎えた。
幸いにも雨は上がっていた。
そっ、と内扉を開けて、玄関の方を伺う。
掲示板には何も貼られていなかった。昨日の昼のまま、半紙の切れ端と錆びた画鋲だけがそこにあった。
「お、おっかねェ~…………」
こんな危険な村は早く逃げるに限る。ばたばたと荷物をまとめて背負い、つっかい棒を外して外に出ようとした。
足が止まった。
自治会館の前の地面が、ぐちゃぐちゃに踏み荒らされていた。
ひとりふたりのものではなかった。
軽く20人ぶんの靴跡があったという。
「彼ら」が集団で何をしに来たのか。墨の匂いやあの半紙はなんだったのか。それはまったくわからない。
「いろいろありましたけど、結果的に無事に帰れたんで、問題ナシですね。
まぁ今度からはちょっと気をつけないといけないな~、って思いました。
あの村とあの習字はねぇ、普通じゃないですし、相当にヤバかったですからねぇ」
そもそも廃墟を泊まり歩くことが普通ではなく、正直そっちの方がヤバいと思うのだが…………
Kさんは今も、廃墟探訪と宿泊をやめていない。
【終】
☆本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」、
禍話X 第一夜 より、編集・再構成してお送りしました。
なお、記事途中の習字は私の字で、イメージ画像です。すいません。
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