【怖い話】 不在の姉 【「禍話」リライト⑫】
……これ、最近になってやっと話せるようになったんだよね。
Iくんはそう語り始めた。
もう随分と昔、僕が小学1年か……いや、幼稚園くらいの頃だな、その頃の体験なんだよ。
ちょっと話せない、話したくない事情があってさ。でも、もう大丈夫になったから。たぶん。
Iくんは、家族と共に一軒家に住んでいた。
2階建ての立派な家で、5歳くらいの頃から2階に、自分の部屋があてがわれていた。
ご両親の教育がしっかりしていたのか様々なことにきちんとしていて、たとえば夜、トイレに行きたくなってもちゃんと自分一人で行ける、そういうよく出来た子供だったそうである。
その日も夜、おしっこがしたくなって目が覚めた。
何時だかはわからないが、おそらく両親も寝ている様子だったので0時近く、あるいは1時か2時だったかもしれない。
そんな時間でもIくんはひとりでちゃんと起きた。両親の手をわずらわすことなくひとりで廊下の電気をつけ、トイレに行き、用を済ませて2階の自室に戻ろうとした。
2階の廊下を歩いている時だ。
下でがちゃり、と鍵の開く音がした。
階段の上から玄関の様子が見える。ドアが開いて、それからバタンと閉じた。
「は~ぁ! 疲れたァー!」
大きな声の独り言が2階にまで聞こえてきた。
「まったくもう、毎晩残業でさぁ…… もうクタクタだよぉ!」
そう言いながら彼女は靴を脱いで、玄関から上がってくる。
…………誰?
Iくんにお姉さんはいない。
一緒に住んでいる親戚もいない。
この家は、Iくんと、お父さんと、お母さんの3人暮らしだ。
あんな人はこの家に住んでいない。
あれは、誰?
混乱しながら階下を伺っていると、Iくんの視線に気づいたのか、その女は2階を見上げた。
彼と目が合った。
Iくんが見たこともない、若くて綺麗な女性だった。
その知らない女はIくんと目が合うと、ニコォーッ、と笑いかけてきた。
今になって思い返すとそれは、
「疲れて帰ってきた姉が幼い弟に見せる、くたびれた笑顔」
だったそうだ。
見知らぬ女は笑顔を送ってきたあとで、日常の決まりきった行動のように洗面所の方に歩いて行った。
うわっ、と恐怖にかられたIくんは部屋にかけ戻り、頭から布団をかぶって震え続けた。
知らない女の人が家の中にいる。
知らない女の人が家族みたいに笑いかけてきた。
いや、でも知らないだけで、ああいう人が近所に住んでいるのかも。その人が家を間違えて、
いや違う。あの人は鍵を開けて入ってきた。うちの鍵を持っている。間違えて入ってきたんじゃない。
うちの鍵を持っている、見たこともない人が、まるで自分の家みたいに、うちの中をうろついている……
静かな夜だった。1階からはパタパタとスリッパで動き回る音がする。
そうだ。確かにウチはお父さんもお母さんもボクも、スリッパを履いて歩く。
だけど、そのことを何故あの女は知っているんだろう?
そのうち、トントントントンッ、と足音が階段を上がってきた。
ごく当たり前の行動であるかのような、軽快なかけ上がり方だった。
あがってきた……! と布団の中で身構える間もなく、Iくんの部屋のドアがノックもなしに開いた。
「ねぇねぇ、タカフミぃ」
さっきの女の声だ。あの女が部屋の入り口にいる。
そして、「タカフミ」は自分の名前だ。
この女は、自分の名前を知っている。どうして?
「タカフミさぁ、私の歯ブラシ知らない?」
女は邪気のない口調で、Iくんに尋ねてきた。
怖くて黙っていると、女はなおも続ける。
「ねぇタカフミぃ、起きてるんでしょ? 私の歯ブラシ知らない?
最近買った新しいヤツ。ほら2、3日前に買いに行ったじゃん?」
女は歯ブラシについて、さも本当に、先日一緒に買ってきたかのように語りかけてくる。
「あれが洗面所に見当たらないんだよねぇ。どこに行ったか、知らない?
ねぇ、あんたも一緒に見て買ったヤツ、覚えてるでしょう?」
話は止まらない。歯ブラシなんて知らない。ここ最近、自分や家族の分を買ったりもしていない。
「どこにも見当たらないんだよねぇ。なんでだろうなぁ?
ねぇねぇタカフミぃ、あの新しい歯ブラシ、どこかで見なかったぁ?」
布団の中で女を無視していたが、とめどなく聞こえてくる声に、恐怖が限界を越えた。
「しらない!!」
Iくんは叫んだ。
すると女は、
「……そう…………知らないの………………」
呟くように言い残して、ドアを閉めた。
階段を下りていく音がする。Iくんはベッドの中で身動きも取れないでいた。
お母さんやお父さんに知らせようにも、2人とも1階で寝ている。あいつが動き回っている今、絶対に下には行きたくない。
でもこのまま放っておいて、また部屋に来たらどうすればいいんだろう。
お父さんとお母さんは大丈夫だろうか。歩き回る音で目が覚めて、あれと出会ったら。
あれは誰なのか。何故この家に入ってきて、家族の一員のような顔をしているのか。理由がわからない。何が目的なのか。わからない。何もわからない。
と、再びトントントントンッ、と足音が階段を上がってきた。
また来た……! と身を硬くしていると、足音はIくんの部屋の前を素通りし、廊下の先に進んだ。
がちゃり、とドアの開く音がした。それと共に、喫茶店の戸などについているベルのような軽い音が「カランカラン」と聞こえた。そしてドアの閉まる音がした。
それから、静かになった。
Iくんは震える足でベッドから起き上がり、ゆっくりと、ゆっくりと歩き、ドアノブを回して、そっと扉を開けた。
息を殺して、顔を廊下に出す。女の去った方向に目をやった。
そこには、ドアはなかった。
元々2階は、Iくんの部屋が一番端である。それ以降は、部屋などない。物置もない。ただ壁があるだけだ。
見知らぬ女は、存在しない部屋のドアを開けて、どこかへ消えてしまった。
「……この話、ずーっと誰にもできなかったんだよね。友達にも、もちろん親にも。
気にはしてたから、成長してから両親にそれとなく聞いたりしてみたんだ。
ホラ、僕が生まれる前に死んだ姉とか、近所に不幸な死に方をした女性がいたかも、と思ってね。
でもそんな人、後にも先にもどこにもいないんだよ」
「この話をすると、またあの女が現れるんじゃないかと不安で話せなかったんだよね。
話した日の夜に『カランカラン』と鳴って『ねぇタカフミぃ』と言われたら、って想像するだけでさ……」
「最近になってやっと、実家を離れて一人暮らしをはじめたんだ。だから話せるようになったわけ。
でもあれって、一体誰だったんだろうね。何のつもりだったんだろう。おれ今でも不思議だし、怖いと思うんだよ…………」
(終)
☆この記事は、ほぼ全話オリジナル&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」
独りで怖い話スペシャル より再構成してお送りしました。
あなたの家は大丈夫ですか?
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/416285598
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