【怖い話】 母と子のビル 【「禍話」リライト 49】



 不確かなウワサを元に、妙な場所へ行かない方がいい、というお話である。


「俺が大学時代の話なんですけどね。えーと、まぁ、そのー。そこの廃ビルなんですが、んー、なんて言うんですかねぇ~」


 やけに口の重い彼の話をかいつまんで言うと、
「その廃ビルでは夜になると、カップルがやってきて、人目を忍んでコトに及んでいる」
 というウワサがあったそうである。 


 そんな馬鹿馬鹿しい話はない。
 愛し合う二人が何故そんな場所でイチャつくのか。
 お金がないにしても、もっと別の方法があるはずだ。


 が、しかし。


 スケベなこととなると、男という生き物は知能が低下する。バカになるのである。
 彼も大学の仲間たちも、「いやいや、そんなワケないでしょ」と最初こそ否定的だった。


 が、しかし。


 そのウワサを仕入れてきた友達の
「でも、もしかしたらさ」
「火のないところに煙は立たないって言うし」
「ナマで見学できるチャンスかもしれないんだぞ」
「週末あたりにさ、ひょっとすると…………ほら? な?」
 という言葉を聞いているうちに、よもや、しかしあるいは、とどんどん頭が悪くなっていった。 
「……じゃあ、まぁ、一回行って覗いてみようか? 一応、試しにな?」
 なんの試しなのかはわからないものの、とにかく大学の友達5人で出向くことになった。



 彼らの大学から離れた繁華街の中にある、そこそこ大きなビルだったそうである。

「1階がコンビニで、2階から5階までがオフィスとかだったんですけど、まずコンビニがなくなって。そこから何故かポロポロとテナントが去っていって」

 ついには空っぽになってしまったらしい。
 それゆえ街中なのに、夜になるとそこだけ明かりがつかない。
 出かけたのは夏だったのだが、その廃ビルだけが暗く黒く、ひんやりとしていたそうである。


 そんな不気味な廃墟にカップルが入り込んでイチャつくわけがない。断じてありえない。
 だが、男どもはすでにバカになっていた。 
「真っ暗だから、逆に。逆にな?」
「吊り橋効果的に仲を深めてるかもしれねーし」
 などと無茶な理屈をこねて、カギのかかっていないビルの中に侵入した。


 部屋の多いビルだった。
 管理が雑なのだろう。施錠されていないドアとされているドアが半々くらい。
 ロックされていないドアを開けると、床が剥き出しでからっぽの部屋もあれば、デスクや椅子がほぼそのままなオフィスもあった。一週間前にでも夜逃げしたような「そのまま」感である。


 1階のコンビニ跡地は無視した。2階からゆっくりと、人の気配の有無と部屋の中を静かに、ごく静かに確認していく。
 イチャついているカップルに気づかれないように行動するのだ。 
 しかし同時に、カップルの存在を見逃したり、聞き逃したりしないようにせねばならない。大変なミッションである。
 いつあえぎ声がするのか? ほら今にも聞こえるかも。この部屋にいる気がするぞっ。みんな! 気を配れよ!!

 緊張感と期待感を保持しながら2階を巡り、鼻息荒く3階4階を回って、そして最上階の5階まで探索した。 



 カップルはいなかった。
 当たり前である。



「……いないな、カップル」
 5階の最後の部屋を確認して、すっかり落ち着いてしまったトーンで一人が口火を切った。
 するとみんなの口から次々に愚痴が飛び出す。
「っていうか誰もいねぇじゃん。気配すらねぇよ。暗くて不気味なだけだよ」
「誰だカップルがエッチしてるぞとか言ってきたの」
「お前ら全員乗ってきたくせに」 
「これじゃただの肝だめしだよ。廃墟探索だよ」
「じゃあもういいよ。今夜は肝だめしに来たってことにしとこうよ」
「覗きに来たなんて、恥ずかしいしな……」
「考えてみれば、そうだよな…………」

 エッチなシーンに遭遇できなかったのは、とても残念である。
 しかし、ここまで来たのなら、もう「廃墟探索・肝だめしに来た」ということにしておこう。
 幸い気味の悪い場所だ。1階までの帰りは肝だめしをしているつもりで戻っていこう。
 こんな変な廃墟に来たからには、相応に楽しまないと損だし……
 そう思ったそうである。

 覗き見モードから気持ちを切り替えて、5階から「肝だめし」を開始した。
 5階を巡り、4階に降りて回る。当然ながら、さっきと変わりのない薄暗いビルだ。なんの違いもない。
 肝だめしつってもな……っていうかさっき、1階から5階まで全部見ちゃってるし……
 虚しさが芽生えてきたものの、言うと悲しくなるのでみんな黙って探索を続けた。


 3階に降りた時だった。


「あっ」
 仲間の一人が声を上げた。
「い、今。誰か、廊下をよぎったんだけど……」

 聞いた他の4人の反応は、冷ややかだった。

「……いや、いやいや。いいから、そういうの……」
「肝だめしだからってそんな演出いらんよ……」
 だが、目撃した奴は真面目な顔だ。
「ホントなんだってば!」
「盛り上げようという気持ちはわかるけどな?」
「おどかしサービスとか要らないからさ……」
「走ったんだって! 中学生くらいの子供……! そこの廊下……!」
「……えっ、マジでか?」
「本当に?」
 最初は聞き流していた他の面々も、そいつのただならぬ面持ちにちょっと怖くなってきた。

 と。

「あれっ」
 別の奴が、暗い廊下の先を指す。
「あそこ、開いてる」

 全員が指の示す方を見た。


 スケベ目的で不法侵入した大学生とは言えど、ビルの中を荒らしたりはしていなかった。ごく綺麗に探索していた。
 各テナントを見た際に開けたドアは、例外なくきちんと全部、閉めてきたはずだった。

 それが一ヶ所、半分だけドアが開いている。

「あそこ、閉めたよな?」
「閉めた閉めた。全部閉めてるもん」
「じゃあ、なんで開いてるの?」 


 少しの間、沈黙か降りた。


「えーっと、アレかな? 立て付けが悪いのかな?」
 一人がそう言ってドアに近づいていく。
 怖くなってきたが、確かめないともっと怖い。他の4人もぞろぞろとついていった。

 5人でそろっ、と、内開きのドアから顔を覗かせた。

 オフィスだった。
 デスクも事務用のイスもそのままで、書類まで数枚、残っている。
 さっき下から上へと行く道中で、「こんな書類とか残ってていいのかな?」などと小声で言い合ったのを覚えていた。
 そして、ドアをきちんと閉めたことも。


 オフィスの中には誰もいない。
 動くものもなく、気配すらない。

 白い書類と、部屋の隅にくもりガラスの嵌まった目隠しのパネルが数枚立っている他は、目を引くものはない。

 うぅん、と唸って、5人は廊下に戻った。
 おもむろにドアノブに手をかけて、引っ張った。
 がしゃり、と音を立てて、ドアはしっかりと閉まった。
 ノブを回さずに前後に押し引きしてみてもびくともしない。勝手に開くようなゆるい感触もない。 
 念を押すようにもう一度開けて、さっきと同じように半開きのまま止めてみる。
「ちゃんと閉まるし、ちゃんと開くよなぁ……」
 ドアを開けた奴が呟いた。別の友達がフォローするように言った。
「いやまぁ、でもさ、ここの引っかかるところが甘くて、それで開いたんじゃね?」
「でもさっき、ガチャンって閉まる音が」
「古いオフィスだし、そういうこともあるよ」
「そうだとしても、勝手に開くわけが」



「こんにちは!」



 突然、オフィスの中から声がした。
 ……は? えっ? 誰?
 5人はうろたえた。こんな声の奴は知らない。


「こんにちは!」



 小学5、6年か、中学生みたいな声だ。



「こんにちは!」



 邪気のない、快活で元気な響きだ。
 街角ですれ違った大人に挨拶をするような……



 いやいやいや、ちょっとコレは、ちょっとヤバいやつでしょ。
 ビビりながら再び5人で揃って、オフィスの中を覗く。



「こんにちは!」



 一定の間隔をおいて、確かにその挨拶はここから聞こえてくる。 
「どこ……どこから……?」
「あそこだよあそこ」一人が目線で示す。
「えっ、でもおかしいだろ。だって」


「こんにちは!」

 声は、オフィスの隅のパネルの裏から聞こえてくる。
 全体がくもりガラスだから、顔は見えずとも、背丈や輪郭くらいはぼんやりと見えるはずだった。 
 それなのに、何も見えない。
 そこには誰もいないのに、声だけが飛んでくる。


「こんにちは!」



 少年の挨拶は早くなることも遅くなることも、強まることも弱まることもなく、ずっと続いている。 



「こんにちは!」



 全員が顔を見合わせた。
 お互いの硬い表情で、これが“仕込み”やドッキリではないことがわかった。
 全員が、「これはまずい」という顔をしていた。


「こんにちは!」


 割れ物を扱うように、そっ……とドアを閉める。閉めきって、ノブを戻した。
 それでも板一枚の向こうからは、


「こんにちは!」


 と元気な少年の挨拶が聞こえてくる。



 いやいや。ダメダメ。もう廃墟探索とか肝だめしどころじゃない。まずい。とんでもない場所だぞここは。

 口々に呟くように言って早足で階段へと向かった。ソロソロと2階へ降りていく。
 3階の一室からの「こんにちは!」は、これだけ離れてもまだ聞こえてきた。



 そのまま下まで逃げて外へ出ればよかったのだが、間の悪い奴はいるものである。
 一人が2階で、階下や足元ではない方向に視線を向けてしまった。


「あっ……あ、あ、あ」
 そいつの足が止まった。
「何? 何だよ!」
 みんな立ち止まった、聞かずにはいられなかった。
「ヤバいヤバいヤバい」
「ヤバいのはいいから! 何が!?」
「ろ、ろうか。廊下の先。女、女がいる」

 残りの4人の息が詰まった。ほぼ反射的に、廊下の先を見てしまった。

 廊下は暗い。
 暗いが、窓から射しこむ外の明かりが、あちらに立っている者の姿を照らした。


 中年の女だった。
 どこにでもいそうな女だった。
 買い物帰りの主婦のような服装だ。
 白い着物やボロボロの服など、いかにも幽霊のような姿でないのが逆に恐ろしかった。

 女は、ごく軽く天井を見上げている。
 5人が息を詰めて見つめていると、女は急に動いた。
 頬に、開いた手の平の親指を当てた。
 あれはまるで、誰かに呼びかけるような、と考えた直後、



「アイサツできるようになったね! えらいね!」



 女は叫んだ。
 腰が抜けかけた。



「アイサツできるようになったね! えらいね!」



 女はまた天井に向かって叫ぶ。 


 へたりこみそうになるのを互いに支え合って、5人はどうにか動こうとした。
 その最中に、気づいた。


「こんにちは!」


 3階から、少年の声がわずかに聞こえる。
 その後に、2階の廊下の暗がりにいる女が叫ぶ。



「アイサツできるようになったね! えらいね!」



「こんにちは!」
「アイサツできるようになったね! えらいね!」



「こんにちは!」
「アイサツできるようになったね! えらいね!」




 5人とも限界だった。 
 団子状になってどうにか1階へと逃げた。
 外へ通じる扉から出る瞬間まで、少年と女の声はかすかに、聞こえ続けていたという。



 一歩外へ出ると、そこは地方都市の繁華街である。ネオンや看板が眩しい。 
 人工の光の下に出たものの、あまりの恐怖にまだ体がこわばっている。走って帰りたくても足が動かない。
 それに、このまま別れて一人ずつ家に帰るのは嫌だった。あまりにも怖い。
 よたよた歩きつつ、とにかく明るくて、人がいて、すぐに入れる場所を探した。
 少し行くとコンビニがあった。煌々とライトがついていて、客の姿もある。

 あそこだ、あそこしかない。
 5人でなだれ込むと、店内では信じられない光景が繰り広げられていた。


「……いや、オバケとかじゃないんですよ……。イートインって、ありますよね。
 そこのスペースでね……酒を飲んでたんですよ。ジジイが。3人で」


 近所に住むジイさんたちなのだろう。どうやらかなりガラの悪い地域であるらしい。
 3人はすっかり酔っている。ワンカップにスルメなどをかじって、真っ赤な顔でヤァヤァと騒いでいる。
 レジで若い店員が、ものすごく迷惑そうな渋面を作っていた。

 しかし、今日の5人の学生たちにとっては、そのやかましさがありがたかった。何せさっき幽霊2人に遭遇したばかりだ。
 うるさいけど、ありがたいな。 まぁいつもは舌打ちするような光景だけど……
 複雑な気持ちでチラチラ見ていたら、じいさんたちがこちらの姿を認めた。
「おぉ~兄ちゃんたちぃ、どーしたのォ?」
「顔が真っ青だけどよ! 外寒いんか?」
「寒いわけないだろがこんな真夏で」
「そうかぁアッハッハ」
「ワハハハハ!!」
 完全にできあがっている。ただの酔っぱらいである。


 その明るさに背中を押されたように、仲間の一人が応じた。誰かに聞いてもらいたい気持ちもあったのだろう。
「いや、実はさっき、ちょっと怖い目に遭いまして」
「おォ! 怖い目なあ!」
「あのう、そこの廃ビルなんですけど、」


「あれ親子じゃないらしいでェ」


「…………は?」
「あれなぁ、親子じゃないらしいで! へへ、へへへ!」
「なァ! 母親と子供みてェだけどな! エヘヘヘ!」
「びっくりしたやろ? なぁー? アハハハハハハ!」



 それだけ言って、老人3人は自分たちを無視して体の向きを変え、酒盛りに戻ってしまった。 
 誰も、どういうことなんですか、と問い直す気持ちにはならなかったという。


 そりゃあ、子供と女も怖かったんですけどね、と彼は言った。


「そういう存在を当たり前のように受け入れてる町の人たちがいる、ってことの方が、よっぽど怖いと思うんですよ…………」




 この話の舞台は、いつもの北九州市周辺ではない。
 日本のどこかに、このような廃ビルがあるのだという。


 

【完】

☆本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」
 禍話X 第十二夜 より、編集・再構成してお送りしました。

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