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【怖い話】 砂場の先輩 【「禍話」リライト②】



 この話をしてくれたAさんは、大学生の頃、ある先輩に悩まされていました。

 先輩と言っても、大学を卒業してだいぶ経つ人です。OBというやつです。
 会社員などではなく、長く同じバイトを続けているでもない。やりたいことや夢も特にない。しかも40歳を過ぎている。
 おまけにギャンブルが趣味だったらしく、いつも金に困っていたそうです。

 そんなわけでこの先輩、顔見知りに会うといつも金を借りようとする。
 金額は千円からせいぜいが1万円程度なのですが、まず返ってきたことはありません。
 そのせいで、周りからどんどん人が離れていっていったといいます。

 そんな中、「後輩」であるAさんは、しばしばお金を融通してあげていたそうです。
 生来の人のよさ(あるいは気の弱さ)のため、今日は2千円、今日は3千円……。
 貸したと言っても、あげたようなものです。
 知人からは「もうやめなよ……」と忠告されていましたが、頼まれるとどうにも、断れなかったそうです。


 ある日、大学の知り合いたちが集まって、マンションの一室で飲み会をすることになりました。
 もちろん金の無心をする例の先輩は呼ばれません。

 Aさんは、お酒はほとんど飲みません。
 しかしその日は興が乗ったのか、かなり飲んでしまいました。かなり酔っぱらってしまったといいます。
 酩酊したAさんは、日常の不満が積もっていたためかなり強気になり、語気も荒くなりました。
 周囲の人間もいつものAさんとは正反対の態度に大ウケでした。

 酒席が盛り上がる中、Aさんの携帯電話が震動しました。
「あ? んん?」
 先輩からメールが届いていました。
 用事がある、ここの公園で待ってるから、と書いてある。
 下手に出ているような文面で、これはまた借金をだな、とすぐわかりました。
 メール誰からなの? と聞かれたので答えると、みんなが声を揃えて「え~っ」と言います。

「またあの先輩? キツいわ~」
「その公園、ここからすぐの所じゃんね」
「Aくんまた貸しちゃうんでしょー?」
「お前また押し切られちゃうんだろ?」
「あ~見えるようだなぁ、財布から千円を抜くお前の姿がさ~」 
 と、みんな煽ってきます。

 酔っぱらって気が大きくなっていたAさんはその煽りにムッとしました。そうして、
「いや今日は絶対に断る、断ってやりますよ!」
 と宣言したそうです。
 おおっそうか! よしよしやってやれ! ガツンと言ってやれ!
 囃し立てる声を背に、ふらつく足取りで部屋を出て、Aさんは公園まで出向きました。


 そこは、街の真ん中にたまにある、申し訳程度の広さの公園でした。
 狭い土地に、ベンチとブランコと砂場しかありません。
 しかもブランコは錆びていて、乗る部分は外してあり、骨組みしかありません。遊べない遊具です。
 要は砂場とベンチしかない。思い返してみれば妙にさみしくて、変な公園だったといいます。

 やってやるぞ、今日こそはビシッと言ってやる、そもそもあの先輩は前から……と、Aさんは酔った頭で考えを巡らせながら、公園のまで来ました。



 先輩は待っていたそうです。
 でも、ベンチには座ってはいませんでした。
 ブランコの骨組みにもたれるでもなく、入口付近にいるわけでもなく。
 砂場の真ん中に立っていたといいます。

「おおっ? 何ですか砂場で! 子供に返る感じですか!」

 こういうのは最初が肝心、とAさんは勢いにまかせて先手を打ちました。
 けれど、先輩はいつもの調子で言いました。


「なぁ。悪いんだけどさぁ、1万円ばかり、工面してくんねぇかなぁ」


 いつも、“工面してくれないか” という言い回しだったそうです。

「ヘぇ! 工面ですか! 工面ねぇ……! 工面! なるほどね~!」

 そのいつも通りな言い方にカチンと来たAさんは、わざと言葉を繰り返しました。
 そして──飲み過ぎで真っ直ぐ立っていられないせいもあったのですが──砂場の周りをゆっくりと歩き始めたそうです。

「工面工面って、オレ先輩に何回も貸しましたけどねぇ、まともに返してもらったことなんて、」

 と言いながら何気なく先輩の足元を見ると、
 先輩の右の足首が砂にすっぽり埋まっています。

「なんスか。右足、何してるんですか?」
「うん。悪いんだけどさぁ、1万円ばかり、工面してくんねぇかなぁ」
「それってアレですか? 抜け出せないオレ、みたいなシャレですか?」
「悪いんだけどさぁ、1万円ばかり、工面してくんねぇかなぁ」

 先輩は質問に答えません。
 さっきから「金を貸してくれ」を繰り返すばかりです。
 Aさんもさすがにムカッときました。
 踏み出す足を強めて先輩の周りを巡りつつ、

「でもね? 1万円だの工面だのって言いますけども、今までもさんざん貸しましたよ? 足すと結構な額ですよ? 総額でいくらになると、」

 と眉をしかめながら先輩の方を向き直ると、
 先輩の左足首も綺麗に埋まっています。

「なぁ、悪いんだけどさぁ、1万円ばかり、工面してくんねぇかなぁ」

 思わず周囲を見回しても、砂を掘るような道具はありません。
 常夜灯が照らす夜の砂場の真ん中に、手ぶらの先輩がひとりきりで立っているだけです。
 数秒目を離しただけなのに、左足が埋まってしまったのです。
 しかも砂の表面は全く乱れていません。

 Aさんはそこで、「あれ、何かおかしいな?」と感じたそうです。
 酔いも醒めはじめました。


「あの先輩。1人で来たんですか?」
「うん、メールとか送って返事くれるの、最近はお前だけなんだよ。だから悪いんだけどさぁ、1万円ばかり、工面してくんねぇかなぁ」
「いや、あの……」
「悪いんだけどさぁ、1万円ばかり、工面してくんねぇかなぁ」
「あの……」
「悪いんだけどさぁ、1万円ばかり、工面してくんねぇかなあ」
「……そ、そうですね……」


 話が通じません。
 まともに応答すらしてくれません。

 先輩の異様な雰囲気に気圧されて、思わずAさんは財布の中身を確認しようとしました。
 しかし、ポケットの中には財布もケイタイもありませんでした。
 酔いにまかせて出てきたので、部屋に忘れてきてしまったのです。

「あっすいません。ちょっと財布忘れてきちゃったみたいで、」

 視線を戻すと、
 先輩は腹のあたりまで砂に埋まっていました。


「なぁ」

 先輩の表情には変化がありません。
 Aさんの顔をじいっと見ています。

「悪いん、だけど、さ」
 埋まった先輩は言い聞かせるように、言葉を細かく区切ります。
「いち、まん、えん、ばかり、工面、して、くんねぇ、かな」
 区切りごとに砂を手の平でパタ、パタ、と叩きます。


 Aさんはこのおかしな状況にゾワゾワしはじみした。
 我慢できなくなって、先輩にこう聞きました。

「あの、先輩…… いま先輩……」
「いま借金がヤバくてさ、だからぁ、」
「いや、あの……」
「悪いんだけどさぁ、1万円ばかり、工面してくんねぇかなあ」

 先輩の顔つきがいつもと違うように思えてきました。顔色が悪く、目つきもおかしいのです。
 常夜灯に照らされた先輩の瞳は、生きた人のようには見えません。
 Aさんにはそれが、まな板の上の魚の目のように感じたそうです。

 Aさんは先輩の姿を正視できなくなってしまいました。
 目をそらしつつ、口だけを動かします。

「せ、先輩……」
「悪いんだけどさぁ」
「あの、あのですね……」
「ちょっと1万円ばかり、工面して」
「先輩あの、砂に、埋まってますよ……」

 ふっ、と、先輩の言葉が止まりました。
 数秒後に、ぬるっとした調子の声が聞こえました。
「……俺は、砂に埋まってるのか?」
「いや埋まってますよ!」
 Aさんは思わず顔を上げました。

 先輩は胸と腕まで砂に埋まっていたそうです。


「俺さぁ。1万円、ほんとうに必要なんだよ」
 身動きできなくなった姿、死んだ瞳で、先輩はAさんをじっと見つめながら言いました。
「悪いんだけどさぁ、1万円ばかり、工面してくんねぇかなあ」


 ……じ、じゃあ今ちょっと、へ、部屋に戻って財布を、と言いながら、Aさんは逃げるように公園を出て、マンションに戻りました。





「お前ー! イキりすぎて財布もケイタイも忘れてくとかないわぁ!」
 Aさんを迎えたのは、酔った仲間たちの爆笑でした。

「いやそれはいいんだけど、先輩がさ」
「お前、先輩からずっと電話来てたぞ?」
「え?」
「ほら、ここずっと『着信あり』って並んでるじゃん。先輩でしょこれ」
「…………」
「お前が部屋出てから何回もかかってきてたぜ。ついさっきまで。お前が帰ってくる直前まで」
「……でも、公園の砂場で」
「公園の砂場ぁ?」

 Aさんはさっきあったことを全部話しました。
 しかし皆、ゲラゲラと笑うばかりでした。

「砂場に埋まるとかありえねぇだろ!」
「酔っぱらって幻覚見たんでしょ」
「変な酔い方したんだよ!」

 確かに、言われてみればありえない話です。
 Aさんは悪酔いしたのかな……と考えて、その後先輩から電話も来なかったこともあり、公園には戻りませんでした。
 落ち着かない気持ちを抱えたまま、Aさんは仲間たちと共に部屋に雑魚寝する形で泊まりました。


 翌朝のことです。
 早い時間に一人がゴソゴソと起き出しました。「なんだよぉ」と足がぶつかった奴が数人ぼやくと、「悪い、用事があってさ」と彼は言います。
 彼はまだ寝ている人たちの隙間を縫うように移動して、じゃあまた今度な、と玄関から手を振りました。
 そうして、外に出たところ、
「は? なんだこれ?」
 大声が聞こえてきました。
 起きて皆で見に行ってみると、外のドアノブにべったりと、砂がへばりついていました。
 湿って、固まっています。
「え何これ? イタズラ?」
「うわっ、見て……」
 ドアノブだけではありませんでした。
 部屋の前の外廊下に、湿った黒い砂が広がっていました。
 靴で蹴っても、簡単には剥がれませんでした。べっとりと貼りついています。

 玄関口でなんだこれ、どういうこと? と言う友人知人の後ろで、Aさんは首のあたりがつぅん、と冷たくなっていました。

 ──先輩、夜中に部屋まで来たのかな。

 Aさんはそう思ったそうです。




 その日から、先輩の行方がわからなくなりました。
 各方面に借金の多い人だったので、どこかに逃げたんだろうとの話になりました。
 あまり好かれている人ではなかったので、深く追求する者はいませんでした。


 もうひとつ、おかしなことがありました。
 飲み会を開いたマンションの住人が、「Aが行ったっていう公園がさぁ、なんかトラブル? みたいで」と言うのです。

 あの日からそう経たないうちに、近隣の住民から、「砂場の砂がベトベトする」「ひどい臭いがする」との苦情が寄せられたそうです。
 検査した結果、なぜか砂がひどく汚染されていることが判明しました。
 中身を全て取り替えたそうですが、再び原因不明の湿気と臭いと汚れでダメになってしまいました。
 ついには砂を丸ごと抜いて、空いた場所はコンクリートで蓋をしてしまったといいます。


「先輩の様子と、砂場のことが関係あるのかは、今も全然わからないんですよ」
 ずっと昔の出来事なんですけど、不気味すぎて忘れられないんですよね。
 Aさんはそう言うのでした。



 先輩の行方は、未だにわからないそうです。






(おわり)



※本記事は、完全無料・登録不要・ほぼ全話オリジナルで著作権フリーの怖い話ツイキャス『禍話』より、書き起こして再編集を加えたものです。


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