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【怖い話】 模型上の死 【「禍話」リライト⑩】
どこにあるのかはわからないが、どこかの街の一等地に、そのビルは建っているという。
そのビルに住人はいない。事務所や店も入っていない。一階から最上階まで、綺麗にからっぽである。誰も何も住んでいない。浮浪者すらもである。誰一人、近づきもしない。
立地はいいのだから、ビルを壊して飲食店なり集合住宅なりにすればよいだろうと思う。しかしそのまま、廃ビルとして放置されている。
聞くところによると、持ち主が一度更地にしようとしたそうだ。だが、工事は直前に取り止めになった。理由は不明である。
持ち主は、警備員を雇って巡回させたこともあるという。だがこれも早々にやめになった。何故なのかは誰も知らない。
以前、事情を知らない新顔の人が、「あのビル、こないだ夜中にうるさかったですよねぇ。何してたんですかねぇ」と古参の住人に尋ねてきたという。
深夜に、ビルの低い階に煌々と明かりがともり、何十人もの人影がやかましく騒いでいた、と語る。
ビルに電気など来ていない。古参の住人は言葉を濁した。さぁねぇ。そういう人は誰もいないと思うんだけどねぇ。
その新顔の人は、いつの間にかいなくなった。
それなりの高さのあるビルなのだが、自然に目に入る2~3階程度までなら見ても大丈夫だそうだ。それより上の階を、わざわざ見上げたりしてはいけない。
もしも万が一、その階の窓が開いていて、誰かが立っていて、それと目が合ったりしたら、駄目になるそうである。指を無くしたり、失明したり、半身不随になったりするそうである。
近所の住人たちは、そのビルが存在していないふりをして生活している。そこにあるが、ないかのように振る舞っている。
どこまでが本当なのか判然としないが、とにかくそのようなビルが建っているという。
これは、そのビルに近い街に住んでいた、当時高校生だったSさんの話である。
Sさんはそんな話はほとんど信じていなかった。Sさんは女の子である。十代らしい根拠のない強気と、向こう見ずな豪胆さを抱えていた。
よしんば、怪奇現象が起きるとしよう。しかし話に聞くような大袈裟なことは起きるはずがない。声がするとか、人影が出てきたとか、その程度だろう。
それに驚いて転んで怪我でもした出来事が大きくなって、そんな怪物のようなビルの話になっているに違いないのだ。そう考えていた。
夏休みだった。暇ならたくさんある。
Sさんは同じく、そんなものはろくに信じない気丈で好奇心旺盛な女友達を3人ほど連れて、そのビルに行くことにした。
思い立って即日出向くのはためらわれた。いま親に「急なんだけど、今日遅くなるから」と連絡して揉めるのも面倒だ。
かと言って連絡もせずに遅くなれば、それはそれで喧嘩になるだろう。
なので今日は別れて、夕食時にでも「明日、友達と遊ぶから、ちょっと遅くなるかも」と言っておけばよい、との話に落ち着いた。
もちろん怪しいビルに行く、などとは言わない。「友達と遊ぶ」と言うだけである。
Sさんたちは「じゃあ、そういうことで……また明日ね」と言い合って、帰宅した。
計画通り、Sさんはお父さんとお母さんに「明日の夕方から友達と出かけるんだ。あんまり遅くならないうちに帰るね」と告げた。
両親はあぁうん、とか、気をつけて行ってらっしゃい、と通りいっぺんの返事しかよこさなかった。
元より放任主義である。他の家も上手くいってればいいけど、と思いながら、Sさんは静かに眠りについた。
翌朝である。
朝の6時半くらいに、Sさんの部屋の扉がいきなりどんどんと叩かれた。
夏休みなのにどうしてこんな早くから。そもそも部屋に来るなんてこともほとんどないのに。とSさんは気だるい体を起こして、はぁい、と返事をした。
扉が開くと、お父さんが立っていた。
いつもはへらへらとした明るい父親だが、今朝は様子が違う。
顔面が引きつっている。目の下が薄く黒く、目は据わり、額には粘り気のある脂汗がにじんでいた。
「お前、○○ビルに行くつもりだろ」
お父さんは出し抜けにそう言った。
例のビルの名前だった。どうしてそれを知っているのだろう。
「行くな」お父さんは続けて言った。
そして話しはじめた。
お父さんは寝る前に、それなりの量の酒を飲んでから床につく人である。
それから朝の6時か7時に、トイレに行きたくなって目が覚める、というのを毎日繰り返していた。
だが昨晩は、ふと目が覚めた。
体感や暗さから判断するに、まだ3時か4時といったところだ。
トイレに行きたいでもないのに、変な時間に目が覚めちまったなぁ、と思って首を巡らせる。
すると、自分の寝ているベッドのすぐそばに、ビルが建っていたという。
普通のサイズではない。模型かミニチュアと表現すべきスケールのビルだ。せいぜい膝くらいまでの高さで、ひと抱えくらいの大きさだろうか。
正面に書かれた「○○ビル」という表記が見てとれた。
妙な幻覚だなぁ。それとも夢なのか。酒の量を減らさなきゃいかんかな、とぼんやり思っていると、
「模型」のビルの屋上。そこへ通じるドアがバタン、と開いた。
そこから小さな人間たちが4人ほど、走って現れた。
やはりミニチュアのように小さいながらも、若い女の子だろう、と見当がついた。その彼女たちが半狂乱になって、叫びながら屋上に飛び出してくる。
ミニサイズの背丈の女の子たちなので、その叫び声も小さく甲高く聞こえたそうだ。
アニメなどで、キャラが数cmくらいに縮んでしまった時の声、ああいうものを想像してもらいたい。
「ワァーーーーッ!」
「キャァーッ ヤメテェー!」
「タスケテェーーーッ!」
「ヤダァーーーーッ!」
女の子たちは何から逃げているのか、屋上に出て、必死にまっすぐ走り、狂ったように柵を乗り越えて……そのまま、飛び降りた。
落ちていく彼女たちの絶叫のあと、かすかに「ドサッ」という音が聞こえた。少女たちは地面にへばりついたように倒れていて、身動きひとつしない。
下にはクッションになりそうなものなどない。そこに、ビルの屋上から落ちたのだ。絶対に助からない高さだった。
さっきまで響いていた少女たちの小さく甲高い絶叫がぱたり、と止んだせいで、模型の世界は冷たく静かになった。
……お父さんが頭の先から爪先まで、痺れるような恐怖に包まれていると、開いた屋上へのドアから、女がひとり出てきたという。
その女はやはりミニサイズだったが、人間の身長を何分の1にしたにしても、明らかにバランスが妙だった。
身長が高すぎる。足がひょろ長い気がする、胴体も首も顔もぬるりと長いように見える。寸尺がおかしい。
そいつはゆら、ゆら、と歩いて、柵の近くまで行った。それから下を、下で潰れている女の子たちを確認して、
「 アッ ハッ ハッ ハッ ハッ ハ !!! 」
と、やはり小さくて甲高い声で笑った。
そしてまたゆら、ゆら、と歩いて、中に入る。ドアがゆっくりと閉まった。
これは、何だ。
お父さんは体を動かそうとした。しかしほとんど動かせない。身じろぎできるといったくらいだ。額に脂汗が浮かぶ。
そして模型のビルはいまだにお父さんの目の前にある。消えることも薄れることもなく、厳然としてそこに建っている。
これは、何なんだ。
そう思っていると、屋上に続くドアがバタン、と開いた。
そこから小さな女の子たちが4人ほど、走って現れた。
「ワァーーーーッ!」
「キャァーッ ヤメテェー!」
「タスケテェーーーッ!」
「ヤダァーーーーッ!」
女の子たちは何から逃げているのか、屋上に出て、必死にまっすぐ走り、狂ったように柵を乗り越えて……そのまま、飛び降りた。
さっき見たものと全部一緒だった。
また身長のおかしい女がゆら、ゆら、と歩いてきて、下を見て、小さな甲高い声で笑う。
それから出ていき、ドアが閉まる。
しばらくすると、屋上に続くドアがバタン、と開く…………
繰り返される惨劇と哄笑を、お父さんは体を動かせないまま、何度も見つめるほかなかった。
それを何度も見せつけられるうち、お父さんの胸の中には何かが、得体の知れない何かが沸き上がってきた。
恐怖だけではない。怯えだけではない。とても大事なことを忘れているような、見落としているような焦りが広がる。
鍋の火をかけたまま家を出てきたのでは、鍵をかけてこなかったのでは、それに似た焦り……
4度目か、5度目かわからない。屋上へ通じるドアがバタン、と開いた。
「ワァーーーーッ!」
「キャァーッ ヤメテェー!」
「 助けてええぇぇぇぇっっ ! ! ! 」
「ヤダァーーーーッ!」
小さな少女たちの一人の声が、普通の人間の叫びになっていた。
自分の娘の声だった。
少女たちは、自分の娘も含めた少女たちは、屋上に出て、必死にまっすぐ走り、狂ったように柵を乗り越えて……そのまま、飛び降りた。
「いやぁァァァァァッッッ!!!」
自分の娘の最期の叫びが耳に突き刺さった。
そして、鼓膜が痛くなるような静けさが戻ってきた。
お父さんの心は、先程のものとはまったく別の恐怖に引き裂かれていた。
娘が。
俺の娘が。
身じろぎもできずにベッドの上にいると、またもやドアから、寸尺のおかしい女が出てきた。
女はまたゆら、ゆら、と歩いてきて、柵越しに下を覗いた。それから黒い口をパカッと開いて、
「 アッハッハッハッハッハ ! ! 」
普通の人間の声量で、嬉しそうに笑った。
お父さんの体を戦慄が貫いて、思わず体が動いた。
娘が。
俺の娘が。死ぬ。
すると。
耳の真後ろだった。低くてドロリとした、知らない男の声がした。
「 はちがつ よっかの よるの できごと です 」
心臓を掴まれたような恐怖で跳ね起きた。体が動く。ベッド脇にはビルも何もない。全身が汗でびっしょりだ。夢だったのか、あれは。
時計を見た。いつもの明け方、いつもトイレに行く時間だった。時計には日付も表示されている。
8 月 4 日
「…………それで、すぐ来たんだよ。
な、わかるだろ。お前、そのビルには行くなよ。
お前、死ぬぞ」
その日の朝食は、味がしなかったという。
Sさんは午前のうちに友達に連絡して、予定を取りやめにした。
…………どこにあるのかはわからないが、どこかの街の一等地に、そのビルは建っているという…………
【完】
※本記事は、完全無料・ほぼ全話オリジナルの怖い話ツイキャス「禍話」、「感染注意スペシャル」より、再編集を加えたものです。
http://twitcasting.tv/magabanasi/movie/419702519
【 禍話リライトまとめ「まがマガジン」第2号 】につづく……
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