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【怖い話】 死者のいない弔い 【「禍話」リライト99】

 因果因縁のない場所に現れるのは、幽霊ばかりではないらしい。



 数十年前のこと。

 Mさんは学生時代に、映像研究会に入っていた。作品を観て語り合うだけではなく、実写映画を撮ったりもするサークルだったという。

「大学から出るお金は雀の涙でしたけど、ほら、そこは工夫と努力でなんとかしてました」

 部長から1年生まで仲良くって、時には意見の相違やケンカもありましたけど、楽しい日々でしたよ──とMさんは悲しげな顔で言った。



 ある時、3年が中心となって映画を撮ることにした。
 いつも作っている掌編や短編よりは長く、少し気合の入った作品をやろう、となった。

 全員で顔を突き合わせて話を練り、拙いながらも脚本が仕上がった。
 青春を交えたホラーというかサスペンスというか、とにかくそういう内容だったそうである。

 さっそく撮影がはじまった。

 まずは撮りやすい、大学構内や近場でビデオカメラを回す。
 役者は演劇サークルから借りてきた。足りない出演者は1年から3年で補う。
 部長を含めた4年は、サポートやアドバイスの役割に徹する方針だった。
 来年にはいなくなる4年から3年への、技術やアイデアやノウハウの継承、という側面もあった。

 撮りはまずまず順調に進んでいたのだが、スケジュールの真ん中あたりでちょっとした問題が発生した。

「登場人物が高い所から飛び降りて死ぬ」
 というシーンがある。無論、「飛び降りるフリ」「死んだフリ」だ。
 当初は学舎の屋上を借りて、そこで遠景や動き、「落ちる」シーンを撮る予定だった。

 ところがいざ屋上に出てみるとイメージと違う。
 脚本では「マンションの屋上から落ちる」となっている。大学は郊外に建っていて、見晴らしが良すぎた。
 街中の普通の「マンション」の屋上風景には見えないのだ。

「困ったねぇ」
 3年生が部室に戻ってきて腕を組む。当時2年だったMさんも「そうですねぇ……」と悩んだ。

 街中で、ほどよい高さがあり、映画の撮影、しかも「死ぬシーン」の許可が簡単に出そうな所──思いつかない。
 しかし簡単に妥協はしたくない。

 3年生以下みんなでウンウン唸っていると、4年の部長が「ふふふ……」と笑った。
「あるぞ、うってつけの場所が」と言う。

「えっ、どこですか?」と尋ねると、
「……俺のウチだ!」と部長は答えた。

 部長いわく。
 安くてボロい俺のマンションは、屋上へ出るドアのカギがバカになっている。うまいことネジると開く、という。

「……それって、マズくないですかね?」
 部員のひとりが言う。
「つまり、管理人さんや大家さんの許可なく、敷地内で撮るわけでしょ?」
「そうだよ」
 部長は悪びれない。
「いやぁ、見つかっちゃったら……」
「バカ。怒られるのが怖くて映画が撮れるか」
 部長は身を乗り出した。
「知ってるだろ。ゲリラ撮影、ってやつだよ……」

 ゲリラ撮影とは、ある場所で許可なくカメラを回して映像作品を撮ることである。プロの世界でも行われている代物だ。
 もちろん現行犯で見つかれば咎められるし、キツいお叱りもある。
 だが撮って撤収してしまえば、「本当に『そこ』で撮ったのか」「いつ撮ったのか」の特定が難しい。
 ゆえに、様々な映像作品で使われている。限りなく黒に近い、灰色の手法と言える。

 無許可はちょっと……と渋っていたMさんたちスタッフも、「ゲリラ撮影」という用語を与えられると「おぉ……」となってしまった。
 あの映画やあの作品でも敢行された「ゲリラ撮影」を俺たちも、と気分が昂ってしまう。たとえ古びたマンションが舞台でも、だ。

 じゃあ……やりますか? やっちゃいましょう! ということになった。


 夜のマンションだった。

 先輩の言葉通り、本当に古くてボロいマンションだった。聞けば家賃も相当に安い、という。
 最低限のキャスト・スタッフでそろり、と入っていく。そんなマンションなので、監視カメラなどはない。

 階段で屋上へ。

「ちょっと待ってろよ……ヨイショッ、と!」
 先輩がドアノブを独特の角度で回すと、カギはたやすく開いた。
「……先輩。ここのマンションの管理、大丈夫なんですか」
「大きなお世話だよ」
 言いながら屋上に出る。

 胸の下あたりまでの高さのコンクリートの塀がぐるりを囲んでいる。いささか低い。フェンスはない。
 簡単に乗り越えられるどころか、少し間違えたら真っ逆さまに落ちてしまいそうな感じだ。

「……先輩、ここの管理とか安全対策」
「うるせーよ。俺は住人だぞ。悲しくなるから言うなよ」

 現在ではまずありえないだろうが、一昔前まではこのような「ゆるい」建物はまま、あったのである。

 テキパキと準備が進められ、いざ撮影がはじまった。
 5分ほどの一場面だった。
 ちょっとしたやりとりの後、ひとりが飛び降りる、という流れだった。

 3年のメインスタッフが役者に、「じゃあ喋って、乗り越えるフリをするところまでをワンカットで」と指示をする。
「塀、どこまで乗り越えたらいいですか?」
「えーっと、『クソーっ!』って言いながら振り返って、走って、バッと右足を乗っける、くらいまでやりましょう。くれぐれも気をつけてね」
 あとはカメラ、背中にガーッと寄って、グンッとなる感じで……とこれは撮影隊への指示だ。

 そんな指示でも無事、飛び降りる瞬間のシーンまで収めることができた。
「よしOK? オッケーな。じゃあ次は下だな」
 先輩が言う。
 このシーンの後で、飛び降りた人物が下で倒れて死んでいる映像を入れなければならない。

 荷物を抱えながらMさんは、
「これ、下のシーンの方が危険じゃないですか?」と先輩に尋ねる。
「そりゃそうだよ。ここは一度入っちゃえば楽だけど、下は人通りもあるしな。特に住んでる奴に見られたらマズいぞ」

 ガーッと行ってサッと撮ってすぐ帰るぞ、と先輩はみんなに言った。
 見つかると怒られるのは先輩なので、不安も強いらしい。

 降りて、玄関前の花壇の脇に集まる。

「はいここ。ここに寝て。うつ伏せで。目は開いて。いい? はいスタート。 …………………………。はいっオッケー。撤収!」

 下に着いてから3分とかからず、電撃的にゲリラ撮影は終わった。
 早足でマンション前から立ち去りながら、Mさんを含めたキャスト・スタッフ一同は高揚と満足感に包まれていた。


 他の場所での撮影も終わり、あとは編集、という段階になった。
 部室で3年生を中心に映像素材を吟味し、削って繋ぐ計画を立てていく。

 ふと、メンバーのひとりが言った。
「あれっ、今日も部長、来てないんですか?」
 Mさんも室内を見回す。そういえばここ何日か、部長の姿が見えない。
 3年が映像素材を見つめながら言う。
「そうなんだよなぁ……いつかな? 撮影完了の少し前くらいからさ、ちょっと姿が見えないんだよ」
「就職活動ですか?」
「いや、内定はもう出てたはず。どうしたんだろうなぁ、顔出してアドバイスしてほしいよなぁ」
 確かに、助言が欲しい。しかも部長なのだからなおさらだ。
「まぁ今んところコッチは順調だから、いいっちゃいいんだけど」
 他のスタッフとの議論も交えつつ、作品は完成に向かっていった。

 部長の不在は、1ヶ月を越えた。

 4年の先輩たちに事情を聞いても、
「なんか連絡つきづらくてさ」
「電話したら1回出て、具合が悪いとか言うんだよ」
「あたしの時はちょっと風邪がひどくて、なんて言ってたよ」
「え~風邪ぇ? そんなに長引くもんか?」

 と、要領を得ない答えばかりだった。

 ともかく、体の調子がよくないことは間違いないらしい。


 さらに一週間ほど経って無事、映画は完成した。
 上映会もやった。
 内輪の集まりとは言え、それなりの好評で迎えられた。
 しかしそこに、部長の姿はなかった。
 大学にすら来ていないらしい。

 いよいよおかしい、とみんな思いはじめた。
 もしかして風邪をこじらせて、肺炎とか?
 あんなマンションに住んでるわけだから、医者にかかるお金が……?
 想像だけが膨らみ、不安も大きくなる。
 どうやらマンションにはいるらしい。
 なので後輩をメインに、Mさんを含めた4、5人で様子を見に行くこととなった。

 マンションに着いたのは、夕方だった。
 消化のいいものやジュースを携えて、別の先輩から聞いていた部屋へと向かう。
 外廊下は夕方だというのに電気も点かず、妙に薄暗い。
 部屋を見つけて、チャイムを鳴らした。

「せんぱ~い、大丈夫ですかぁ? 映像研でお見舞いに来たんですが~」

 呼びかけると中から、はい……とか細い声が聞こえた。
 部屋のドアが開いて、寝巻き姿の先輩が現れた。
 Mさんたちはぎょっとした。

 髪はぼさぼさで、顔がやつれ切っていた。
 髭は剃っているようだが雑な剃り方で、顎や唇の脇にまばらに残ってしまっている。 

「よぅ、ごめんなぁ、わざわざ……」

 先輩は無理に笑おうとした。かすれた声で、あまり眠れていないことが伝わってきた。
 そのわずかな笑顔が消えて、怯えが走る。

「あのさ、来るまでに誰かいなかったか?」
「誰か、って?」
「外廊下とか、正面玄関に」
「いえ……特には」
 そうかぁ、と先輩は再び、笑顔を作った。
「まぁ上がれよ。狭い部屋だけどさ」


 部屋は片付いていたものの、台所の隅にゴミ袋が溜まっている。
 掃除や整理はしているのに、ゴミだけ出していない。ちぐはぐに思えた。


 居間に座ったMさんたちが、
「先輩、体とか大丈夫ですか?」
「風邪って聞いて、それにしては休みが長いな、って……」
「ゼミもそうですけど、映像研にも来ないし」
 と口々に言った。

 部長は「あぁ、心配かけてゴメンなぁ」と謝ってから、こう言った。

「俺、風邪とか体調不良じゃないんだよ。ちょっとさぁ……外に出たくないんだよ。食料だけまとめて買い出しに行くんだけど」
「外に出たくないって、どうしたんですか」
 尋ねると、部長の顔が暗くなる。
「いやぁ、まぁ。ちょっと意味わかんないっていうかさ。変な女がうろついてて」
「えっ。それってあの、ストーカーってやつですか?」
「いやわかんない。けどあれ人間なのかな。でも幽霊なわけないし……あのさぁ、来たついでにさ、聞いてくれるか?」

 そうして部長が語りはじめたのは、次のような話だった。



「飛び降り」シーンのゲリラ撮影をしてから、3日後だったそうである。

 部長はその日もゼミからの映像研活動で遅くまで大学にいた。帰りは深夜になっていた。
 通い慣れて飽きつつある道を歩いていく。もう自分のマンションが見えてくる頃合だった。

「……ん?」

 マンションの玄関前に、人がしゃがんでいる。
 花壇の脇、正面玄関のライトに照らされて、黒い服の後ろ姿が見える。
 女のようだった。

 花壇と言ってもちっぽけな代物だし、こんな夜中にあそこでしゃがむ用事などない。
 どうしたんだろう、と思いつつ部長は歩いていく。

 近づくにつれて、女の細かい部分までが目に入ってきた。

 黒い服は、女性用のスーツだった。
 オフィス用のそれではない。真っ黒だった。
 喪服ではないか、と思った。

 しゃがんで、腕を前にやっている。
 肩やヒジの高さでわかった。
 女は、手を合わせている。
 足元は黒いパンプスだった。
 爪先の前に、白いものが置いてある。
 もっと近づいていく。

(あれっ……え?)

 部長は立ち止まりそうになった。
 足元にあるのは、束ねた数輪の白い花だった。

 
 花の置かれている場所。
 そこはつい先日、
「屋上から飛び降りた人物が、そこに落ちて死んでいる」
 というショットを撮った場所だった。

(えっ。えっ……?)

 部長は動揺した。
 もしかしてあそこって、本当に人が亡くなったことがあるの?

 そうだとしたら。
 本当に人が死んだ所で、人が死ぬシーンを撮影してしまったことになる。
 とんでもなく罰当たりな行為だ。

(うわぁ、ヤベぇことしちゃったのかな……)

 鈍る歩みをそれでも止めずに進み続けた。
 玄関近く、花壇のそば、女の背中がどんどん間近に迫ってくる。

 聞いた方がいいのかな、と部長は思った。
 それとなく声をかけて、どなたが亡くなったのかを聞き出そうと考えた。

 飛び降りとは限らない。交通事故や急病ということもある。
 場合によっては自分も、線香や花束のひとつも上げねばならない。


 女の背中が2メートルほど先まで来た。
 女は喪服の背中を丸めて合掌し、ブツブツと何か言っている。お経を唱えているようにも聞こえた。

 怖いやら申し訳ないやらで心を乱しながら、部長はそっと、女性の脇に回り込んだ。
 女は顔の前で手をぴったり合わせている。伏せ気味の横顔の唇がうごめいていた。

 部長は口を開いて、「あの」と言いかけた。
 その直前に、気づいた。


 伏せ気味の女の顔。
 その目は閉じられていなかった。
 異常なほどに大きく見開かれている。
 瞳は、正面や花束には向けられていない。
 目の端、真横に向けられている。

 真横──部長の立っている方。
 女は正面を向いて拝みながら、瞳だけで部長をにらみつけていた。


 ゾッとした部長は声をかけることなくマンションに飛び込んだ。
 エレベーターが来るのももどかしく階段で、自分の部屋の階まで逃げていった。

 その日はよく眠れなかった。
 女の瞳が頭から離れなかった。


 次の日の朝早く、部長は1階まで降りていった。
 何かの見間違いか勘違いだったのではないか……。

 朝早いからだろう。大家さんが玄関の内側をホウキで掃いていた。おおらかで気のいい、中年の女性だ。

「あら、おはようございます」
「おはようございます……」
 挨拶して脇をすり抜け、正面玄関を出る。

 花は、昨晩と同じところに置いてあった。
 花には詳しくないが、菊のようだった。

 背筋がぞわぞわするのを感じつつ、部長は屋内に戻る。
「あら、どうしたの?」と大家さんが手を止める。
「あの……」
 相当に躊躇したが、腹を括った。
「ここのマンションって、玄関のあたりで誰かしら、亡くなったりしてますか?」
「……え~? なぁにそれ?」
 大家さんは部長を見返した。
「全然。ないない。いっぺんもないわよ。ネコの子一匹死んだことない」
「そうなんですか……?」

 部長は大家さんを見やる。呆れたような顔をしている。ウソをついている感じはない。
「落ちたどころか事故とか病気もないし、部屋で死んだ人もいないし……なに、変なウワサでも立ってるの?」
「いえ、その。昨日の夜なんですが」
 部長は手で外を示しながら歩く。大家さんがついてくる。
 玄関を出て、花壇の脇に来た。
「こういう、花が供えてあって……」
「あら、ホントだ」
 大家さんは眉をしかめる。
「それで、誰かここで亡くなったのかな、って……」
 部長が言うと、大家さんはしかめっ面で花を取り上げた。
 怖がることもなく、まじまじと眺める。
「まぁお供えっぽいけどねぇ。菊……。いやぁ、こんな所にお花を置かれるようなことは、絶対起きてないんだけど……」
 部長は、そうなんですか……と答えることしかできなかった。


「……住んでる他の人も、花が置かれるような事件や事故なんか知らないって言うし。俺もネットで調べたけど、そんなんないしさ。
 それからも、ほとんど毎日、同じ場所に花が置かれるようになったんだよ。撮影で、死体があるのを撮った場所にさ。
 大家さんは、女は見てないって言うんだよ。でも俺はその後2回くらい、しゃがんで手を合わせてるの、見てるんだよな。
 どの時間に花が置かれるか、女がしゃがんでるのか、全然わかんねぇんだよ。朝なのか昼なのか夜なのか……
 花は大家さんが片付けてくれてるみたいなんだけど、花が数本置かれてるだけじゃ、市役所とか警察とか、相談しようがないし。
 っていうか無断で撮影したの俺らなんだからさ、そんな相談しづらいじゃん。おおっぴらに言えないだろ?
 そのうち、ワケわかんないけどどんどん怖くなってきてさ……。お前らを巻き込むわけにはいかないし……。それに、」

 部長は青ざめた顔をさらに青くして、玄関や窓の外に視線をやった。

 瞳は怯えきって、体は萎縮している。
 小さな、囁くような声で続ける。

「女がな、7日目くらいから、マンションの中に入ってきたんだよ」
「えっ……」

 Mさんたちの息が止まった。

「そうなんだよ。外廊下とか階段をうろついてるの俺、見ちゃったんだよ。喪服姿でさ、ゆっくりゆっくり歩いてるんだよ。
 部屋にいても、変な時間に外廊下や階段を歩く足音がするんだよ。ぐるぐる回ってるんだよ。ゆっくり、ゆっくりさ。 
 手は見えなかったんだけど、手に花を握ってるんじゃないか、って想像したら、俺もう、メシを買う以外は外に出れなくって……」


 部長は頭を抱えた。

「なぁ、これどういうことだと思う? 人が死んでない場所で、人が死んだシーンを撮ったら、供養するヤツが現れるとか……
 そんなことってあるのか? イタズラにしたって、こんな手間のかかることしないだろ? なぁ、どういうことだと思う……?」


 Mさんたちにもわからなかった。
 なにもかも理屈に合わないが、たぶん、撮影がきっかけなのだろうとは感じる。
 そうなると自分たちも──と考えて、みんなが顔を見合わせた時、ひとりが大きな声で言った。

「いや、でもね! 俺らが来た時、花とか置いてなかったですし!」
 恐怖を振り切るような調子だった。

 事実、花壇のそばに花などはなかった気がする。
 Mさんたちもその調子に合わせて、大きな声で言う。

「そうですよね! 花とかなかったですよ?」
「女だっていませんでしたよ!」

「そうか……?」部長が顔を上げる。
「全然! 人の気配すらなかったですよ! きちんとした服の人がいたら見逃しませんよ、こんなボロいマンションで」
「おい、ボロいは余計だろ」
 部長が少し笑った。
「それにあんまりデカい声出すなよ。隣近所に怒られるぞ」
「なるほど、壁が薄いんですね?」
「バカ!」

 場の空気がゆるんだ。
 そのタイミングで、脇に置いたビニール袋から食べ物や飲み物を出す。
「これ、差し入れ持ってきたんですけど……」
「うわ、悪いな……。お粥と、スープと、ゼリー……なんか消化のいいもんばっかりだな……」
「だって、風邪って言うから……」
「そうかぁ、そうだよなぁ」

 部屋の中がにぎやかになった。

 幸いなことにお菓子は少し買ってあったし、飲み物はたくさん揃えていた。
 テーブルの上を片付けてそれらを広げて、さっきのことは忘れて、談笑がはじまった。

「冷凍食品ばっかりだったから、あっさりしたものがありがたいな……」 
 とお粥を食べながら部長が言う。

 映画研での撮影・編集に関わる騒動を語って笑わせる。部長は1ヶ月半も来ていないので、話題はたくさんあった。

「で、映画、完成したんですよ! そういう紆余曲折とかハチャメチャがありましたけど」
 ひとりがビデオを出す。
 が、中には例のシーンも入っていることに気づいて、
「……まぁこれは、もうちょっと落ち着いてから観ましょうか」と脇にのけた。

「でも先輩。上映会やったらなかなか好評だったんですよ。OBの人も観に来て、大学の廊下のシーンのライティングがいい、とか……」
 残りの連中も部長に気を使って、大学構内でのシーンを中心に「ここが褒められた」「あそこがよかった」と話題にし続けた。

 大学生の集まりらしい、平和な雰囲気になってくる。

 そこでMさんは思い立ち、腰を上げた。
「部長、お酒とか飲んでないでしょ?」

 部長は酒好きである。しかし台所に缶やビンはなかった。
 最低限の外出で食料だけ買い込むので、酒を買う余裕がなかったのだろう、とMさんは思った。

「おお、そうなんだよ……でもまだ夕方だぞ……? いいのかな、人として……」
「こういう時は酒に限りますよ! あとツマミも買ってきますから」
「おぉ、ありがとな。頼むわ!」
「じゃあレシート持ってくるんで、後で……」
「俺の支払いかよ!」
 Mさんは笑い声がする居間から出て、靴を履いた。

 玄関のドアを開けた。太陽が沈みかけていて外が赤い。
 右に出ると同時にドアを閉めて、外廊下を歩きだそうと顔を上げた。

 目の前に、知らない女が立っていた。
 黒い靴に真っ黒なスーツだった。
 装飾品はない。
 無表情でこっちを見ている。
 目に生気がなかった。作り物の顔みたいに見えた。

 女は、胸元に白いものをいっぱいに抱えていた。
 黄色や朱色も混じっている。 
 一抱えもある花束だった。
 事故現場か、悲惨な事件の現場に供えてあるような花束だった。

 Mさんは凍りついた。
 これが、この女が。
 動かないMさんを、女は無感情に見ている。

 どうにか、喉と唇が動いた。
「おっ、お前……お前っ、何してんだよ!」
 Mさんは叫んだ。

 女の口がゆっくりと開いて、こう言った。


「 今日で、四十九日でしょう? 」





「まぁ、その直後も、後日も大変だったんですけど……」
 Mさんは言う。

「とりあえずみんなで逃げ出して……部長はあと1年も住まないのに引っ越しせざるを得なくなって……。
 映画はお蔵入りですし、映像研もまぁ活動休止と言うか、今じゃあ廃止ということになってるのかな……
 個人や数人で撮ってた人たちはいたんでしょうけどね。でも部長はもう、そういう活動は一切やめちゃいました。
 就職先もね、近場に決まってたんですけど、とても耐えられない、怖い、って言って。遠く離れた市に部長、移住しちゃって。
 連絡はできるみたいですけど、こっちの大学とか街には、もう絶対に来たくない、って言ってるそうですよ。
 詳しくは聞いてないですけど、先輩のいない大学や映像研でも、その後も色々あったらしくて……」


 色々、とは何ですか? と尋ねてみた。
 Mさんはいや色々ですよ、と言って黙った。
 沈黙があった。

 しばらくしてから、Mさんは口を開いた。


「……あのですね。その……
 四十九日が、あったわけでしょう?

 ということは、

 一周忌、というのがありますよね。
 三回忌、ってあるでしょう。
 七回忌、っていうのもあるじゃないですか」


 それに毎年、「命日」もあります。
 ……そういうことなんですよ。


 Mさんはうなだれて、あとは何も言わなかった。


 花が供えてあるということは、幽霊の仕業とは思えない。
 しかし人間だとしても、そこまでやる意味が全くわからない。

 ──因果因縁のない場所に現れるのは、幽霊ばかりではないらしい。





【完】

 


 
【 特報 】

「禍話」が、
 マンガになって、
 KADOKAWAから出ます。


 作画は「アイスの森」などを描かれた大家さん。すごくヤバい話ばかりの全11話。9月4日発売!
 大泉書店での書籍化(リンク) に続いて、マンガに…… 大変なことですよ…… 
「かたち」を変えて禍話がどんどん広まってしまう…… どえらいことが起きますよ……

●目次

(公式サイトより)

●(試し読み)大家さんの「アイスの森」「扇風機の家」はコチラ↓

☆本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」の語り手かぁなっきさんが、
 振付師でダンサーのアカネさんがDJをつとめるFM大阪のラジオ「アカネクラブ」
 ゲスト出演した際(2022年9月2日放送分)に語った話から起こしたものを、編集・再構成してお送りしました。

 なおラジオアプリradikoでの本編聞き逃し配信は終了しており、公式サイトにあるのは「アフタートーク」のみ。
「語り」の形ではもう聞くことができない、いわば幻の「禍話」となります。ご了承ください。

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