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【怖い話】 いんちょうの話 【「禍話」リライト112】

「うまく選んだつもりだったんです」
 と新条さんは語る。
 大学一年生の時の体験だという。

「入学してすぐ、いい感じのサークルはないもんか、と探してたんですよね」
 新条さんが探していたのは、
「文化系で、最低限レベルのサークル活動はしているけれど、実質は飲みサー」
 そういうものだったらしい。

 見つけたのが、【○○大 経済研究部】なる名称のサークルだった。
 お堅い名称に反して、ゆるさが全面に出た勧誘のチラシを配っていた。
 毎年一度は小冊子を出している、と書いてあった。だから一応、活動の実績はある。

 しかしサークルの部屋を覗いてみれば、専門書など誰も開いていない。男女混交でワイワイと笑って喋っている。
 誰かが仕切っている様子もなく、みんな楽しそうにしていた。

「だから、そこに決めたんです。けど……」

 春から初夏にかけては、新条さんの理想そのものの日々が続いた。

 30人ばかりいる先輩たちが飲み食いやカラオケ、小旅行に連れていってくれる。
 年上であることを鼻にかける人もいない。
 飲酒や芸を強制されることもない。
 気に障る人や場面は皆無だった。
 多少のイジりこそあれど、ハラスメントと呼べるようなことは起きない。
 ただただ愉快で楽しいサークルで、夢のような時間だった、と新条さんは言う。
 真夏のあの日までは。



 夏本番前の部屋で、新条さんは先輩たち相手にニコニコしながら語った。

「ここってメチャクチャいいサークルですよねぇ。みんないい人ばっかりで。こういうサークルでエンジョイするのが夢だったんですよ~」

 周囲の一年生も頷き、先輩たちもそうかなぁ、と呟きながら照れた顔で笑っていた。
 しかし。

「あっ。でも夏になると、アレがあるんだよな」

 先輩のひとりが言った。

 それに同調して他の先輩たちも口々に、

「あ~アレなぁ、けっこうキツいかもな」
「苦手な子もいるだろうしね」
「まぁでも、通過儀礼みてぇなもんだからな」
「私らもやったんだから、君らにもやってもらわないとねぇ」

 えーっ何するんですかぁ、と一年の女子が尋ねると、最初の先輩が答えた。

「山にある廃墟に入るんだよ。度胸試しだな」

 ヤダーッ、と女子が声を上げる。新条さんも怖いのは苦手な方だから、顔がこわばった。
 しかし先輩たちは、
「危ない場所じゃないし、俺らもちゃんとついていくからさぁ」
「サークル入った奴らはみんなやったことだし」
 と笑うのだった。

 病院の廃墟なのだそうだ。
 山の斜面にへばりつくように建っている。
 それなりの年月は経過しているものの建物は堅牢なままで、床や壁や窓ガラスもしっかり残っている。
 動物が入り込んだり、浮浪者が根城にしているなどということもないという。
 しかし、

「でもなぁ。怖いぞぉ、あそこは」
 と先輩たちは言う。
「そうそう、怖いのは怖いよな」
「怖いんだよなぁ」
「けど皆やったことだからな。こればっかりは怖くても、やってもらわないとな」
「怖いぞぉあれは。怖いぞぉ」

 一年のみんなが「止めてくださいよ~」「おどかしっこナシですよ」と先輩たちに言う。
 先輩たちは「怖いぞぉ」「怖いから覚悟しとけよぉ」と煽るような言葉を繰り返す。
 双方ともに、冗談混じりのやりとりに見えた。

 度胸試しの場所がどんな建物なのか。
 どんな因縁話があるのか。
 そこにはどういう怖い話があるのか。
 そもそも何がどう怖いのか。

 先輩たちが具体的なことを何ひとつ説明してくれなかったと新条さんが気づいたのは、ずっと後になってからのことである。



 夏になった。
「じゃあ一年生くんたち、来週の金曜、例の度胸試しの場所に行こうか──」
 先輩たちが切り出したのは夏休み直前のことだった。

 普段は酒も笑いも強制しないような先輩たちだったものの、
「いいかぁ。よほどの事情がない限り、一年生は全員参加だからなぁ」
 と言う。
 怖いのはちょっと……と告げて抜けたかった新条さんも、どうにも逃げられない感じだった。
 聞けば他の一年生も全員出る、と言う。
 仕方なしに、参加することにした。


 その日は夕方に集合した。
 最初から妙だった。
 待ち合わせ場所に並ぶ車の数が、普段より多いのだ。見慣れぬ車も多い。
 知らない年上の男性や女性に、先輩たちが挨拶している様子が目に入る。
 あれってどなたですか? と聞くと、
「サークルのさ、OBの人らも来てるんだよ」
 と言われた。

 OB──卒業生?
 わざわざ?

「そうそう。見届け人としてな。けっこう年季の入ったイベントなワケよ。新条くんもさ、ビッと気合入れて参加してもらわねーとなぁ」

 ──たかが度胸試しに、もう社会人になった人も参加する。
 どうにも腑に落ちない。
 疑問を覚えたが、先輩方の
「さぁさぁみんな、乗って乗って!」
 との声に背中を押されて、新条さんたち一年生は車に乗った。


 街から郊外を走り、山道を抜けて建物に着いた頃には、もう暗くなっていた。
 先輩たちの言葉通り、山にへばりつくような位置にその建物はあった。
 夏の夜だから、まだ空は明るい。
 ぼんやりとした宵闇の中に建つ廃墟は、重苦しい雰囲気をまとっていた。
 外壁のコンクリートは劣化していない。玄関のドアや窓は見たところ破れていない。明日からでも使えそうに見える。
 しかし、人間の生活の気配がなかった。それがまた異様さに拍車をかけていた。


 先に着いていた車から、年上の人たちが降りて自分たちを待っている。
 多い。
 サークルの度胸試しの見届け人にしては。明らかに多すぎる。
「OBの人、多くね?」
 隣の奴に言うと、「多いよなぁ……」と答えた。
 OBたちも先輩たちも当たり前の顔で、何やら準備している。
「じゃあそっちの廊下で」
「二番目の角の待っててください」
 などという声が聞こえる。

 脅かし役の仕込みでもやってんのかな──
 新条さんがそんなことを考えていた時に、
 パンパン、と先輩のひとりが手を叩いた。

「はいっ、じゃあ毎年恒例、度胸試し! 廃墟の病院巡り! はじめようと思いま~す!」

 廃墟の外にいるOBと先輩たちが、揃って一年生たちの方を向く。
 新条さんたちはどうしていいかわからず、とりあえず拍手をした。

「じゃあ順番なんですけど、ま、ちょうどよく一年の皆さん、横一列に並んでるんで、えーと、」
 先輩が右から左にスーッ、と指を流す。
「この順番でひとりずつ、入ってってもらいまーす」
 新条さんは後半だった。10人ほどいた中の、後ろから4人目だ。一番手や最後じゃなくてよかった、と胸を撫で下ろす。

「では最初のキミ! これを持ってください!」

 一番手の男子が持たされたのは、小さな懐中電灯だった。100円ショップで売っていそうなちゃちな代物だ。
 男子がオンにしてみると、弱々しい光が点灯した。
「ちょっとっ! これ電池切れかけじゃないッスかぁ!」
 お笑い芸人のような調子で男子が叫ぶ。
 仕切り役の先輩は笑わなかった。
「毎年、そのくらいの明かりで中に入ることになってるから」
 真面目な返答に「は、はい……」と男子は真顔になって答えた。

 気づけばOBや先輩たちの一部が、懐中電灯を握ってぞろぞろと建物の中に入っていく。
 怖がらせる小道具や大道具は持っていない。

「じゃあもう5分くらいして、配置が完了したら出発してもらいまーす」
 先輩は声を張り上げた。
「通路とか曲がり角に俺たちが立っているので、その指示に従って進んでくださいねー」

 ──先輩たちは、道案内をするだけ?
 新条さんはますます不審に思う。
 まるで、町の子供会の肝試しみたいだ。小学生向けのお化け屋敷ではないか。
 どうもおかしい。
 自分の中の「度胸試し」や「肝だめし」と、今夜のこれはどこか違う気がする。

 首をひねっているうちに準備ができて、一番手の男子がウワァ、怖ェよォ、とおどけながら建物に近づいていった。
 ご丁寧にも入り口の前にも人がいて、ドアを開けて手で押さえてやっている。

 ますますおかしい。
 あまりにも丁寧すぎる。
 ビックリさせるための仕込みの一部という感じもない。
 小さな違和感が積み重なっていく。

 10分もしないうちに、その男子は帰ってきた。
 青い顔でもなく、楽しんだという表情でもない。
 妙な顔つきをしていた。

「お疲れ!」
 先輩が手を出す。男子は察して、懐中電灯を返した。
「で、どうだった?」
 先輩が聞いた。すると男子は、
「怖かったですねぇ」
 と答えた。
 そう答えた顔にも、妙な感じがまとわりついている。
 新条さんはそれを言葉にしたかったが、どうにもしっくりくる表現が見つからない。
 ぼんやりしている、というのがいちばん近い。

 次は女子が行き、次は男子──
 続々と一年生は建物の内部へと消えていき、10分足らずで戻ってくる。

 怖がって出発する者、元気よく出かける者、いろいろな人間がいたが──
 誰も彼もが戻ってくると、妙な顔つきになっている。
 そうして、その顔で、
「怖かったです」
「怖かったぁ」
「いやぁ、怖かった」
 とだけ言うのだった。

 どう怖かったのか、何が怖かったのか。
 驚いたのか、怯えたのか、戦慄したのか。

 どうとも言わない。
 ただ「怖かった」とだけ言う。

 度胸試しが終了した者は反対側、先輩たちのそばで待機しているので、質問をぶつけることもできない。
 建物の中で、ネタをバラさないよう口止めされてるのか──と新条さんは思う。
 それにしては答えの濃度が低い。
「怖かった」としか言わないなら、待っている俺たちも怖がりようがない。
 度胸試しの意味がないよな──などと考えていると、
 つんつん、と袖を引っぱられた。
 隣にいる坂本という男子が、新条さんの服をつまんでいた。
 新条さんのひとつ前で、いま行っている女子が戻ってくると、彼の番になる。

「あのさぁ新条さぁ」と坂本は小声の早口で喋る。
「こういうの……チョー怖くね?」

「オレこういうの苦手でさ、あんじゃんYouTubeで。怖いのとかホラーゲームとかサッと紛れ込んでくるじゃん? オススメ動画とか言って。
 もうアレも全部ダメなんだよ。サムネイルとかでアーッってなんの。何がオススメだよ全然ありがたくねぇよ殺すぞっていっつも思うの。
 怖いモノはできるだけ避けて生きてきたんだよ。ネットで不意に怖いのとか流れてくるとキレそうになるんだよ。わかるこの気持ち?
 今日はおなかイタイつって逃げようかと思ってたんだけど、ほら、参加しないとダメみたいな雰囲気あるじゃん? 
 あと、女の子の目もあるから……そういうほら……なに……? つまりさぁ……俺だけ逃げるわけにはいかないだろ……?
 先輩たちが怖い怖いって言うから、逆に怖くないんじゃね? っていい方に考えたのはいいんだけど、ダメ。無理。この建物無理。怖い。
 新条ってこういうの平気な方? 何かおまじないとかない? えっ怖がりな方なの? なんだよ勘弁してくれよふざけんなよハーッ」


 坂本は小さな声で表情豊かにまくし立てた。
「そうなんだ」
「うん」
「いやぁ」
「そうだね」
 と生返事をしつつ、新条さんはコイツ大丈夫かな、と思った。
 俺よりもひどい。
 行く前からコレでは、中に入ってからどうなることやらわからない。
 途中で失神でもするんじゃないだろうか。

 小言を紡ぐ坂本の背後から、「坂本ぉ」と声がした。
「ハイッ!」
 坂本の声が裏返った。
「ほら、次お前だよ」
 いつの間にかひとつ前の女子が戻ってきており、「済」のグループへと混ざっている。
 仕切り役の先輩の手にはちっぽけな懐中電灯があり、坂本に差し出されている。
「いや~いやぁ~、ちょっと、あのうー」
 身をよじる坂本の手の平に、懐中電灯が乗せられた。
 先輩が優しい声を出す。
「大丈夫だから、な? 怖いけど、途中他の奴らがちゃんと立ってて、迷ったりはしないようにしてるから!」
 そういうことじゃないんですよ……と泣き顔になって、坂本は新条さんの方を見た。
 目が合う。
 新条さんは、あいまいに微笑んだ。
 がんばって、という意味を込めた微笑だった。


 先輩はし嫌がる坂本の背中を押して、廃墟の前の別の先輩に引き渡す。
 坂本は猫背で、肩で息をしながらよたよたと、建物の中に押し込められた。
 俺よりも怖がりな奴がいたんだなぁ──
 新条さんは変に勇気づけられた。

 10分経った。
 坂本は帰ってこない。
「大丈夫かなアイツ」と先輩が呟く。
 他のOBや先輩たちもスマホや腕時計に目をやっている。
 遅いな──まさか本当に失神してるんじゃ、と思っていた矢先だった。

「わ、わ、わぁ~ッ」
 声を上げながら、坂本が走って出てきた。
 右手に懐中電灯をきつく握っている。
 左手に何かぶら下げている。
 白くて大きなビニール袋だった。

「あっ」
 と仕切り役の先輩が声を上げた。
「お前なんでそれ持ってきてんだよ。持ってきちゃいけないヤツだぞ」

「いやもうホント。スイマセン本当にスイマセン。ごめんなさいホント」
 近くまで来た坂本はぺこぺこ頭を下げる。
 顔が恐怖でクシャクシャになっていて、蚊の鳴くような声量で早口なので、聞き取るのに手間取った。
 要約すると──

 怖すぎて、目的地に着くまでにかなり時間がかかった。
 到着して「見た」途端、わけがわからなくなり、袋を蹴ってしまった。
 蹴ってしまったことでさらに混乱して、蹴った袋を持ってきてしまった。
 たぶん帰り道で、道中立っている先輩たちに呼び止められたはずだが、頭がゴチャゴチャだったので止まらずに走ってきてしまった──

 目をやれば廃墟のドアの前、OBや先輩らしき人たちが困った顔でこちらを見ている。

「お前なぁ。いくら怖いからって。ダメだろうが持ってきちゃあ」
 先輩の声に坂本は身を縮める。
「それなぁ、俺たちが戻すわけにはいかねぇんだよ。お前もっかい行って、元の場所に」  
「いやァ~もう無理ですぅ」
 と坂本は首を振る。
「もう行きたくないです。こういうの元々ダメなタイプで。怖いの超苦手だったんですけど頑張ってここ来たんですけど、もう限界です」
 いやもうホントマジで無理無理、と呟きながら、坂本は強引に懐中電灯と白い袋を先輩に押しやり、しゃがんでしまった。
「おいおい、困ったなぁ」
 舌打ちした先輩の視線が、新条さんに向けられる。
 悪い予感がした。
「新条さぁ、悪いんだけど」
 懐中電灯と、白いビニール袋が差し出された。
「次のお前がこれ、戻してきてくれる?」

 断れる雰囲気ではなかった。


 差し出されたビニール袋はいっぱいに膨らんでいて、どうにか口を縛ってある。
 胴の部分を掴むと破れそうだったから、縛ってあるところを指でつまんだ。
 見た目よりも軽かった。しかしカラではない。持ち重りがする。
 重心の偏りはないけれど、均等に何か詰まっている。そういうじんわりとした重みがあった。
 中身は、怖くて聞けない。

「じゃあ新条くん、悪いんだけどヨロシクな」

 先輩に肩を叩かれて、その弾みのように足が前に出た。
 建物のそばにいる他の人たちも
「よろしくなぁ」
「手間かけるねぇ」
 と優しく声をかけてくる。

 懐中電灯を点ける。序盤より光が一段と弱々しく見える。
 夏の夜も真っ暗になって、病院の廃墟の入口が黒々と口を開けていた。その脇にOBの、年上の男性がいる。
「お疲れ。まずここを左に行ってくれる?」
 穏やかな口調と共に、左を指す。
 新条さんは袋を掴んだまま、廃墟の中へと入った。


 大きな建物だったものの、迷うことはなかった。
 辻々に、ライトを持った先輩たちが立っているのだ。

「あぁ、こっちこっち」
「ここはね、右に曲がってくれる?」
「大変だねぇ。ここはまっすぐ進んでね」

 本当に、子供会の肝試しのようにバカ丁寧に道案内をしてくれる。
 驚かせるどころか、怖がらせようという素振りすらない。

 こうなってくると新条さんは、逆に居心地が悪くなってきた。
 どんどん、引き込まれていくような──

 廃墟だというのに、廊下が妙に綺麗なのも気になる。
 隅に瓦礫が落ちていたり、壁紙がべろりと剥がれていたりはする。けれど道の真ん中は掃き清めたようになっている。アンバランスだ。

 それに、持っているビニール袋が気味悪い。
 重くもなく軽くもない、どっちつかずの重量感がすごく嫌だ。
 表面が白一色というのがまた嫌だ。いっそのこと血でもついていればドッキリだ、脅かしだ、とわかるのに。

 直線の通路にさしかかった。
 ここをまっすぐ行ってから、道なりに右だよ、と言われている。
 後ろの先輩は俺の背中しか見えないだろう。
 前方にはまだ誰もいない。

 ……これには、何が入っているんだろう。

 新条さんは歩きながら袋を持ち上げて、懐中電灯のゆるい明かりで照らしてみた。
 ビニール袋はやはり白一色で、ロゴやマークなどは見当たらない。
 ライトにかざすと、ちかちか光るものがあった。
 じっと目を凝らした。

「あ」
 声が出た。

 白一色の不透明なビニール袋だと思っていたが、それは間違いだった。
 袋は透明だった。

 白いものがみっちりと入っている。
 折り目がある。縫い目も見える。
 じっくり見れば薄い汚れも見て取れる。
 懐中電灯に反射しているのは小さなボタンだ。

 白衣と病院着だった。
 半透明のビニール袋の中に。
 白衣と病院着が絡み合って。
 みっしりと詰まっている。

 取り落としそうになるのを慌てて押さえた。
 なんだこれ──何だ?
 懐中電灯と袋を持ち直した手の平に汗がにじむ。
 仕込みではない。こんなに手の込んだことはしない。白衣や病院着だって無料ではないし、どこかで貰える代物でもないだろう。
 それに、使用感があった。
 人が何度も何度も着て、汚れてくたびれた生地だった。新品ではない。

 頭の中を不安が駆け巡るのを感じながら、新条さんは角を曲がった。30歳くらいの男がいる。
「おっ、さっき走ってった子──じゃないね」
 新条さんは首を縦に振る。
「あの、これ、さっきの奴が持ってきちゃって。怖くてもう行けない、ってそいつが言うので、次の俺が戻すことになったんです」
 中身を確かめたことを気取られないよう、新条さんは平静を装って返事をした。
「そりゃあ災難だなぁ。それな、」
 顎で袋を示す。
「絶対に、元に戻さなきゃいけないよ。でも安心しな。もうすぐだから」
 男は指をさしながら、ライトで照らした。
「ここを降りていった地下が、目的地だからね」

 ゆるやかに下っていく、横幅の狭い階段があった。
 底の方までは電灯が届かない。どんなものがあるのかまるでわからない。
 新条さんは探りを入れようと、「コレどこに戻せばいいんですかね?」と袋を掲げた。
 男性はうっすらと笑った。
「それはね、行って、見れば、わかるから」

 階段を降りていく。さほど深くはない。
 背後から男性もついてきて照らしてくれるので、足元に危険はない。
 ありがたいなと思っていると、男性は階段の途中で止まった。

 下までついてきてくれればいいのに──
 不満が頭をもたげた直後、はっと気づいた。
 この人、親切で途中までついてきたんじゃない。
 自分が逃げないよう、見張るつもりなんだ。

 ちらと振り返ると男性は、腕組みをしてこちらを見下ろしている。
 やっぱりそうだ──
 新条さんの足が、段ではなく固い床を踏んだ。
 地下室に着いたのだ。

「あ、あの」
 新条さんは振り向いて尋ねる。
「この袋、どこに戻せば」
「さぁ。どこか、ってのはわからないなぁ」
 大きな声で返事が来る。
「でも行ってみれば、必ずわかるよ」
 曖昧な返事に、新条さんの背中がぞわぞわする。

 コンクリートの床は冷たく、空気は湿っている。わずかにカビくさい。
 ボイラー室なのだろうか。広い空間だった。
 これだけ大きな病院なら、このくらいの広さはあるかもしれない。

 弱々しいライトを左右に向けても壁まで届かない。奥に向けても何があるのかわからない。コンクリート打ちっぱなしの床がずっと続いている。
 自分の周囲の他は、闇が広がっているばかりだった。

「奥。奥まで進んで」

 男性の声がした。厳しさはないのに、有無を言わせぬ感じがある。
 ほとんどすり足で、新条さんは進む。
 湿気を帯びた重い大気が、肌にまとわりついた。

 しばらく行くと光の輪の中に、なにかが入った。

 白い──
 袋?

 自分が持っているのと同じ袋が、床に置いてある。
 さらに数歩進んでみる。
 袋が複数個あるのがわかった。
 行列を作るように、左上に向かって並べて置いてある。
 どれも同じ袋で、真っ白い。
 病院着や白衣がぎちぎちに詰まっている。

 
 懐中電灯の光が、ぼってりと置かれた袋の列の上を滑っていく。
 何個か置いてあった先で、別の袋の列と合流していた。しかも流れは2つある。
 Yの字を逆さにしたような形になっている。

 何だ。
 これって何だ?

 袋の並びから距離をとりつつ新条さんは進む。
 逆Yの字の上、まっすぐ縦に伸びる袋の途中から、左右に袋が伸びていた。


 この配置、この形。
 自分は知っている。

 新条さんの頭の中で、袋の並びを描いた。
 下に斜めに2本と、支線があって、その中途から左右に2本──


 人体。
 ひとの、からだ。


 気づいた瞬間、反射的に上の方に光を向けてしまった。
 胴体と両腕の交わる部分に、ぽこりとひとつ「頭」が置いてあった。

「頭」も、白衣が詰まった袋だった。
 他の袋とは違っていた。

 真っ白な表面に。
 太いサインペンで、


   い
   ん
   ち
   ょ
   う



 と書いてあった。


 院長

 漢字が頭に浮かんだ新条さんは腰を抜かしそうになった。心臓がどんどんと鳴る。

「院長」?

 おかしい。
 こんなことをしている先輩たちも。
 これを見て来てぼうっとしている奴らも。
 これが毎年の夏のイベントにしているのも。
 すべてがおかしい。
 理屈ではない。
 異常だ。
 みんな。
 みんなおかしくなっている。

「おおい」
 声をかけられて飛び上がった。さっきの男性の声だった。苛立った調子だ。
「はっ、はい」
 新条さんは体勢を立て直す。
「戻したかあ。袋ぉ」
「いや、まだ──ちょっと待ってください」
「いつまで待たせんだよぉ」
「あの。場所がわからなくて。か、代わってもらえませんか」
「そんなことできるわけないだろ」
「でも」
「いいから早くしろよ」
「ちゃんと戻せよ」

 別の声が加わった。

「──えっ」
 新条さんは動きを止めた
 階段の上段はここから見えない。

「そろそろ戻して、早く済ませようぜ」
「ちゃんと戻さないと困るんだわ」
「代わるとかできないからさ」

 また声が増える。

「早く戻せよ、早く」
「代われとか言ってないで早くやれよ」
「簡単なことだろ」
「元に戻せばいいんだよ」
「何やってんだよ、いつまでかかるんだ」
「置くべき所に置けばいい話だろうが」

 増えていく。増えていく。

 新条さんの頭の中に、狭い階段にぎっしり横並びになった先輩たちの姿が浮かんだ。

 なぁまだ終わらないのか。待ちくたびれちゃったよ。俺たちも大変なんだから。早く戻してくれよ。袋だよすぐわかるだろ。元の位置に戻せよ。まだかよ。おい。おい。

 低い一本調子で、何人もの声が地下室に響く。

 新条さんはこわばった身体を奥へとやった。
 早く、早く戻さないと。
 戻さないと大変なことになる気がする。
 けどどこに。どこに戻せば──

 息苦しさを感じながら新条さんは懐中電灯の光で「人の形」を撫でる。
 と。
「人の形」からすると左腕に当たる方が、反対側の右腕と比べて短い気がした。
 ライトを振ってみる。やはり短い。
 ちょうど袋ひとつ分、自分の足元に近い場所だ。
 ここの袋を坂本は蹴って、持ってきてしまったのか。
 そうだ。きっとそうだ。
 新条さんは硬くなった指を引き剥がすようにして、白い袋を足元、「左腕」の先に置いた。
 再びライトを当てて比べてみる。同じ長さになった。

「あの! 置きました! 戻しました!」

 新条さんは叫んだ。大きすぎる声が地下室に反響した。

「……そうかぁ。お疲れ」

 返事は落ち着いていて、ひとりきりの声だった。


「いやぁご苦労さんな~」
 階段の途中で待っていた男性は新条さんをねぎらった。
 さっきまで声が聞こえていた5、6人は姿形もない。
 それもおかしいが。
 何故この人はこうも落ち着いているのか。
 階下までは来ていない。だから自分が袋を戻したのか、正しい位置に戻したのかは見えていないはずなのに──

 新条さんはもう、深く考えないようにした。
「……お疲れ様です」
 短く言って階段を上がる。
 上がった勢いのまま通路を、廊下を早足で戻っていった。
 幾人もの幾人もの先輩、OBたちから声をかけられたが耳に入らなかった。生返事だけをして出口に急いだ。 

 外に出ると、仕切り役の先輩が笑顔で迎えた。
「お疲れさん。悪かったねぇ、別な用事もお願いしちゃって」
「いえ」
「大丈夫だった? わかったよね、元の場所」
「はい」
「いやマジで助かったわぁ。ありがとなぁ」
「いえ。大丈夫です」
 全身が硬くなっていて、短い返事しかできない。廃墟は出たけれど、この異常な状況から逃げ出せたわけではないのだ。
「じゃあ新条くんはこっちに行ってもらって……はい、次の人お」
 新条さんのあとに控えていた女子が無邪気にキャーキャー言いながら、廃墟の中へと消えていった。

 度胸試しが済んだ側の集団に混ざる。
「……あれっ」
 ひとり足りない。
 坂本がいない。
「あの、先輩? 坂本、俺の前に行った坂本がいないんですけど」
「あぁ~、アイツさぁ」
 先輩は笑って言った。
「怖い怖いって言ってさぁ。走ってっちゃった」
「走ってって、どこに」
「山道」
「は?」
「いま車で来た、ここの道だよ」
 先輩は半笑いで、廃墟の門の外を指さす。
「すごい勢いで下りてっちゃってさぁ」

 こんな夜に、真っ暗な山道を駆け下りていった後輩を放っておくのか。危険ではないのか。
「困ったもんだよなあ。まぁもう30分もしたらコレも終わるから、帰り道に拾っていけばいいよな。だろ?」
 へらへらと先輩は続けてから、新条さんに向き直った。
「でもお前がさ、袋をちゃんと戻してくれてよかったよ」
 何故ちゃんと戻したことを知っているのか、と問う気力は、新条さんにはもうない。
「そ……そうですか」
「ありがとうなぁ」
「いえ、そんな。大したことは」
「ほら、あの人ってさ、左利きだから」
「え」
「左利きだから、あれじゃ不自由だろ? いやぁ元に戻してくれてよかったよ。あははは。ははははははは」

 返す言葉はもうなく、新条さんはあとの30分ほどずっと黙っていた。


 度胸試しが終わった。
 新条さんのあとの面々も、あれを目にしていながら「怖かったですねぇ」としか言わない。

「はい終了! お疲れ様でした!」
 仕切り役の先輩が手を叩いた。他の先輩やOBも拍手し、「お疲れ!」とねぎらう。
 新条さん以外の一年生は、なんだかぼうっとしている。
「じゃあこれから慰労会として、飲み屋に行きま~す! みんなジャンジャン飲んでくれよ!」
 そんな気分にはなれない。
 なれないが、ここからは車で帰らなければならない。
 逃げていった坂本の安否も気になる。
 満足げな先輩たちに挟まれて、新条さんの乗せられた車は一路、山道を下っていった。

「あぁほら、いたいた」
 運転席のOBの人が呟いた、
 道の先。坂本は、きつい下り坂をよろよろと歩いていた。
 新条さんが乗せられているのとは別の車が寄っていく。
 激しい拒否反応を示した坂本が、諦めたように肩を落として、その車に乗り込むまでの一部始終を、新条さんは見つめていた。

「いやぁ、彼、見つかってよかったな」とは運転席のOBの発言だった。
 助手席にいた学生の先輩が「よかったですねぇ」と相槌を打つ。
「今年はアイツがテンパったせいで結構なトラブルが起きたけど、まぁ後ろのさ、この彼のおかげで無事収まって、よかったよ」
 運転手がちらりと振り返る。新条さんは目を合わせずに頷いた。
「でもアレだな。ちょっと怖いよな」
 視線を前方に戻して、運転手が独り呟いた。
「今夜のトラブルが原因で、怒ってなければいいんだけどな。あの人」
 あの人。
「そうですねぇ、怒ると大変ですから、あの人」
 新条さんは、彼らのやりとりには反応しないようにした。


 街の飲み屋に到着してからも、新条さんの居心地の悪さは和らぐことはなかった。むしろ強くなっていった。

 あの廃墟の、あの人の形に置かれた袋について、先輩たちはまるで説明してくれない。
 一年生たちさえも、誰も突っ込んで訊かない。「あれってなんなんですか」「なんで病院の地下にあんなものが」などと。
 いつもの通りの、明るく楽しい飲み会が繰り広げられている。
 先ほどの廃墟の話をする者すらひとりとしていない。

 ──いたくない。ここにはいたくない。疲れたふりをして帰ろう。
 新条さんは酒の入ったコップを傾けて、唇をつけて飲んでいるふりをした。
 30分もしたら帰ろう、ここから逃げよう、とだけ考えながら、ウソの飲酒を繰り返す。
 OBも混じって、喧騒は普段より大きくなっていく。
 ふと、視線を感じた。
 顔を上げるとテーブルの向こうにいる坂本と目が合った。
 坂本もコップを握っているが、酒が減っている形跡はない。
 新条さんが小さく首を縦に振る。
 坂本も、うん、と頷いた。
 考えていることは同じのようだった。


「すいません、キンチョーすることやったんで疲れちゃって、なんか酒の回りが早くて……」
 周囲にそう言い、新条さんは立ち上がった。
「ちょっと今日は、もう帰ります」

 押し止められたらどうしよう、と不安だった。
 いきなり全員が豹変したら──

 しかし先輩たちも同級生も、新条さんを止めなかった。
 おうそうか、大変だったからな、かなり神経使ったよな、じゃあお疲れ、お疲れさん、今夜はありがとな。
 優しい声と共に、新条さんは送り出された。


 
 飲み屋の前で待っていると、坂本も無事に出てきた。
 ふたりで顔を見合わせた。交わす言葉はなかった。
 新条さんも坂本も、苦い表情を浮かべて、首をかしげ合った。
 それで、別れた。

 当然のことながら、翌日からサークルには行かなかった。
 サークルの部室のある棟にもできるだけ近づかないようにした。
 元々がゆるいサークルだったせいか、メンバーから「最近来ないね、どうしたの」などと尋ねられることもなかった。
 構内でメンバーとすれ違うことはあったものの、特段変わった様子もない。それがまた不気味に思えた。
 坂本とすれ違うこともあった。だが視線を交わすだけで、会話らしい会話はしなかった。
 ふたりとも、あの夜のことは忘れたかったのである。

 恐ろしい目に遭ったけれど、もうサークルとの縁は切ってある。身近で変なことも起きていない。
 記憶が薄れていって、やがて遠い過去になって、終わるはずだった。



 2年になった時。
 そのサークルがいきなり潰れた。

「不祥事」を起こしたのだという。
 病人、怪我人、死者を出したわけではないらしい。
 大きな事故や騒動があったわけでもないらしい。
 けれど一発で「廃止」となった。

 不祥事の内容を新条さんは知らない。
 誰かに聞こうとも思わなかった。

 大学の敷地内を歩いている時に棟を見上げると、サークルの元・部室の窓には、いつも分厚いカーテンが引いてあった。
 部屋が空いたら、普通は他のグループに貸し与えられるはずだ。
 しかしいつも、ずっとカーテンは閉ざされていて、使われている様子はなかった。

 
 サークルに加入していた面々、特に先輩たちの顔を大学で見る機会はどんどん少なくなり、やがて全員ぱったりと、姿を見なくなった。
 同年の面子はかろうじて来ていたけれど、以前と違って元気がなかったり、ひどくやつれていた。


「それで俺と、あと坂本も、無事に4年になって就職も決まって、卒業できることになったんですけど──」


 卒業式の当日だった。
 式が終わり、後輩や同年の友人知人とのやりとりが終わり、じゃあお別れ会は17時から、いつもの店で──と友達に告げられる。

 少しだけ、時間が余った。

「もうここには来ないんだろうな、と考えたら、ちょっとずつ、気になりはじめまして……」

 閉ざされて使われていないサークルの部屋は、どうなっているのだろう。
 1年の夏から今まで結局、あそこには二度と近寄らなかった。
 もう大学に来ることもないだろう。
 じゃあ──

 新条さんは好奇心に負けて、部屋を見に行くことにした。
 
 学生たちはホール周辺に集っていて、こちらの棟には誰もいない。
 一人っ子ひとりいない廊下を歩き、階段を上がり、また廊下を行く。
 道順、覚えてるもんだな、と感心していると、部屋の前に着いた。

 ドアはガラガラと開ける引き戸で、上部に素通しのガラスが入っている。
 中は真っ暗だった。
 カーテンの布地の波がある。
 窓だけでなく、こちら側にも厚手のカーテンが下がっているのだ。
「こっちもかよ……」
 目線を落とすと、ドアの取っ手に貼りつけられている紙が目についた。


 この部屋は諸事情により封鎖されています
 鍵を壊して入る学生が複数人いますが
  絶対に 中には入らないでください
 開けてほしい 中に入りたい との問合せ
 にも 当大学は応じておりません

 総務部


 紙は新しい。
 ドアにはテープの跡がいくつかある。
 幾度も貼りつけられているのだ。
 つまり。
 何度貼っても、開ける奴かいる──

 背中がぞわぞわしてきた。
 じゃあ、中は空っぽではないのだろう。
 一体、何が──

 無人の廊下でドアを、カーテンで閉ざされたガラスをじっと眺める。
 
「ん?」

 左側に移動してみると、遮光カーテンがぴったり閉まっていないことに気づいた。
 1センチほどの隙間がある。
 廊下の方の窓から夕方の光が強く入ってきていて、部屋の中まで届いていた。

 新条さんは左右を見渡して、誰もいないことを確かめた。

 腰を曲げて、首をねじって、カーテンの隙間から、部屋の中を覗いた。



 部屋の中には。
 無数の白い袋がみっしりと積まれていた。



 悲鳴も上げられなかった。
 新条さんは走って逃げた。
 

 それからは二度と、大学はおろか、その近くにも足を向けていないという。

 

「今度の度胸試しのスポットはさ、OBの人が見つけた場所なんだぜ」
 先輩の誰かがそんなことを言っていた記憶が、新条さんの脳裏にかすかに残っている。

 恐ろしいものがいる場所を見つけてしまって、それに引き込まれてしまった。
 だからあのような「行事」が、毎年行われるようになったのではないか。

 袋を蹴ったり持ってきたり、袋を抱えて戻したりといった「ズレた」ことをした自分たちだけが、引き込まれずに済んだのではないか。
 新条さんはそのように考えている。


「あと……室内に積んであったのはただのゴミ袋で、あそこは物置になっているんだ、ってのが常識的な判断だと、そうは思うんです」

 でもね、と新条さんは言う。 

「あの『いんちょう』が、サークルの部屋まで来て、ずうっとあそこに居座ってる、って。
 そういうことがあったからサークルは潰されて、メンバーも変になったんじゃないか、って。
 無茶苦茶でありえない話なんですけど、どうしても俺、そうとしか思えないんですよね──」

 

 場所が特定されるような情報はくれぐれも伏せてほしいと釘を刺されてから──
 こんなはなしを聞いた。





【完】


 

 

☆本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」、
 禍話フロムビヨンド 第一夜 忌魅恐NEOのコーナー
より、編集・再構成してお送りしました。なお、登場する名前は全て仮名です。


★禍話についての情報は、リスナーのあるまさんに作っていただき、現在は聞き手の加藤よしきさんが運営している「禍話wiki」をご覧ください。
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