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【怖い話】 床下の仏壇 【「禍話」リライト102】

 同じ学年だが、年が3つ上の友人がいたという。

「留年したのか浪人したのかは、ついに聞かずじまいだったんですけどね」

 白井くんはその「年上の同級生」、高山さんについてこう語った。

「まぁ、人生の先輩ってやつですから俺らは敬語で。高山さんはタメ口で話してました。でも年上風を吹かせることもなく、」

 いい人ではありました・・・・・・・よ。
 と白井くんは言った。


 高山さんはとても真面目な大学生だったらしい。
 ダルいとか面倒だという理由で講義を休んだことはなかった。
 廊下や講堂で教授に質問している姿もよく見かけた。
 飲み会や遊びにもちょくちょく顔を出した。払いを渋るとかお金に困っている様子はなかったので、
「今で言う『実家が太い』ってヤツだったんですかね。バイトしてるわけでもなかったし──」


 そんな高山さんがある時、急に大学を休んだ。
 2日くらいなら風邪ということもあるだろうが、4日、5日と姿が見えない。 
 白井くんたちも気になってきた。連絡を取ろうとしたものの、メールにも電話にも一切返事がなかった。
 返事の一本もないってのは、どうしたんだろう──
 一週間が経ってのでマンションに出向いてみても留守だった。大家さんも知らない、と言う。
 これは急病かケガか、と本格的に心配しはじめた矢先に。
 高山さんはひょっこりと大学に来た。


 最初に気づいたのは白井くんだった。
 高山さんは廊下で、いつも世話になっている教授に頭を下げていた。
 バッグを体の前に持ってぺこぺこしていたので、水飲み鳥のオモチャみたいに見えた。

「あ、高山さんじゃん」と近づいていくと、

「ホントにすいません」
「親戚がもう」
「ゴタゴタしちゃって長引いて」

 などと、きれぎれの言葉が耳に入った。

 教授も「まぁご家庭の都合ならねぇ」といった顔で頷いている。

「じゃあ高山くん、休んだ分のプリントあげるよ」
「ありがとうございます。すいません」
「いや勉強熱心なのはいいことだから。2回分ね? じゃあ次回の講義で」
 そんなやりとりを終えて、教授は去っていった。
 高山さんは踵を返した。白井くんと目が合う。
「おっ、白井じゃんか。なんか久しぶりだな」
「高山さんどうしたんスか? 一週間くらい休んでましたけど」

 会話をはじめたところに、ふたりのことを発見した別の友人知人たちが集まってきた。
 しきりに「どうしたの高山さん」「病気でもしたの?」と、白井くんと同じことを尋ねる。

 聞かれた高山さんは、
「いやぁ、親戚の集まりがあってさぁ」
 と言った。
「それがずうっと、一週間も続いたもんだから──マジで疲れちゃったよ」
 

 一週間もかかる親戚の集まり? 
 疑問が湧いたが各々、講義がある。廊下でのやり取りはそこで終わった。

 白井くんはちょうど次の講義で、高山さんと一緒だった。
 講義中も高山さんは身が入らないようで、しきりに肩をぐるぐる回したり溜め息をついたりした。いかにも疲れている感じだ。
「──いや、体はそんなに疲れてないんだけど、精神的にくたびれちゃって」
 高山さんを眺めていた白井くんに、言い訳をするようにそんなことも言った。

 そのくせ「親戚の集まりって、お葬式とかですか?」と聞くと、「ん、いや、そうじゃないんだけど」と言葉を濁す。
 話したいのか話したくないのか、曖昧な雰囲気だった。

 後で、他の講義で高山さんと一緒になった友人に聞いてみた。そっちでもそんな具合だったらしい。
 くたびれたような感じを出しつつ、
「親戚の集まりがあった」
 くらいのことしか教えてくれなかったらしい。

 ねぎらいたい気持ちもあったが、みんな「親戚の集まり」のことも気になった。
 どんな集まりだったのか。
 ──酒でも飲ませたら、話してくれるんじゃないだろうか。

 そこで。
 7、8人で高山さんを待ち構えておいて、
「お疲れさまです!」
「大変だったみたいですね!」
 と声をかけた。
「そんなに疲れてるんなら、居酒屋にでも行ってスッキリしませんか?」
「パッと飲み食いすればストレス解消になりますよ。ね!」
 高山さんも拒まなかった。


 その日の夜。
 ビルの中にあるにぎやかなチェーン店の居酒屋に、10人弱で入っていった。
 よく来る店なので勝手は知っている。
 座敷に上がって、壁際にリュックやバッグを置く。
 今日の主役ですから、とみんなで高山さんに上座を勧めた。
「そうかぁ?」と言いながら高山さんは、上座の脇にバッグを置いて苦笑しながら座った。
 適当に注文をした。
 とりあえずビールが届く。
「まぁ高山さん、なんかよくわかんないッスけど──お疲れ様でした!」
「お~、なんか、ありがとなぁ!」高山さんはビールを掲げた。
 示し合わせたように全員が揃ってビールをあおって、同時にテーブルにグラスを置いた。

 酒が進んで、座が明るくなっていく。高山さんの表情もほぐれていく。
 ここいらかな、と白井くんは狙いをつけて、尋ねた。
「あのぅ高山さん、その、親戚の集まりって、どこらへんでやったんですか?」
「ん? おお、オレの母親の実家でさぁ」
 少し遠くにある市の名前を言う。田舎の方だ。
「そこにあるでっかいお屋敷だよ。本家だよな。ああいうのを『旧家』って呼ぶんだろうなぁ」
「へぇ~。──で、どういう集まりだったんですか?」
「ん? うん──」
 高山さんの表情が曇った。しかしすぐに。
「いやそれはさておき、その屋敷でちょっと、イヤなもん見ちゃったんだよな、オレ。それが気味悪くってさぁ」
 ──話を逸らされたな、と思った。
 が、「イヤなもん」のことも気になる。
 白井くんたちは、話を聞くことにした。


 高山さんの話は、ひどく曖昧な部分も多かったが。
 おおむね、こういう内容だったという。



 ──そうだな、一週間くらい前、ウチから電話があってさ。明日帰ってこいって言うんだよ。
 本家から電話があって、ちょっと話し合うからお前、帰ってきな、って。
 
 いや、誰かが死んだとかじゃないんだよ。そういうんじゃなくて、あの──
 ま、とにかく高山家のみんなで緊急会合しなきゃいけなくなった、と。そういう感じ。

 オレ、学生じゃん? オレは行かなくてもよくね? って親に聞いたんだけど、全員参加なんだって。
 年寄りも子供も。赤ちゃんとか入院中とかは別だけど、とにかく血縁者は全員。
 そうなったらしょうがねぇから、朝イチでウチに帰ってさ。オヤジとオフクロと、車で行ったワケよ。

 さっきも言ったけど、でっかい屋敷でさぁ。そこの大広間みたいな広い座敷に通されて。
 で、挨拶もそこそこに、話し合いがはじまったんだよな。

 話し合いっていうか、言い争いみたいになることもあって。侃々諤々ってやつだよ。
 その──、何だ。アレはどうするのか、こっちはどうなるんだ、とか。
 延々とやってるんだよ。
 だいたい年寄りから中年が軸になって、どうするんだ、どうしていくんだ、って。
 オレの親なんかはまだ若いから、ちょこちょこ口を挟む程度。
 親がそんなんなんだから、オレとか、もっとちっちゃい子供なんか、完全に蚊帳の外だよ。
 ──これは、比喩だけどさ。
 所有権の浮いた土地が出てきたから、高山家の誰が引き取るのか、土地はどうするのか、って話し合いだとしようや。
 そんなの、学生とか子供とか関係ないじゃん? 無関係だろ?
 でも座ってろ、って言われんの。子供とか動き回ろうとしてさぁ、親御さん、大変そうだったよ。

 で、さすがにオレも「帰りてぇ」とか「せめて別室で」とか頼んだんだけど、ダメだ、って言われんの。
 この部屋にいなさい、って。
 小学生とかヤダヤダ言うんだけど、その子たちも「ここにいろ」って叱られてて。

 でさ、その話し合い。
 昼にはじまって、夜になっても終わらないんだよ。
 ムチャクチャだろ?

 9時だったか10時だったか──さすがに子供は、今日はもういい、ってなって。
 オレを含めた学生以下の「子供」は寝なさい、ってことになったんだよな。
 で、ここからが問題でさ──

 高山さんはふぅ、と溜め息をひとつ吐いた。
 意を決したというのではなく、呆れたような溜め息だった。

 ──風呂とか入って、こちらが寝所です、つって通された部屋が、また無駄に広いの。来客用だったのかな。
 他のもっと小さい子供たちは、親と一緒の部屋なんだろうな。
 でもオレはひとりだったんだよ。広ぉい和室の真ん中に布団がぽつん、と敷いてあってさ。寂しいったらないよ。
 おまけに話し合いをやってる座敷から、そんなに離れてない部屋でさ。
 だから内容はわかんなくても、揉めてる声はこっちまで届いてくるんだわ。
 寝れないよこんなの。勘弁してくれって思ったわ。

 それでも、仕方ないからさ。やけにふかふかな布団に入ってこう、横になってさ?
 目を閉じて、寝よう寝ようとしてたら。

 ずりずり、ずりずり、って音がするんだよ。
 枕の下。
 床下からだよ。
 オレの部屋の下だよ。
 何か動いてる。這い回ってるんだよな。

 なんだ? と思ってさ。
 ネコかな。
 それにしては色んな場所に「こすれる」んだよな。
 古い屋敷だし山の手だから、イタチでもいるのかな、って。

 その、ずりずり、ずりずり、動く音。
 全然収まらねぇんだよ。

 床下からは変な音が聞こえる。座敷では大人たちがまだ言い争ってる。
 こんなん絶対寝れねぇじゃん?

 向こうの口論は止められないけど、床下はどうにかできるんじゃないか。
 そう思ってさ、部屋から出て、玄関にあった懐中電灯を握って、外に出たんだよ。
 ぐるっと回って庭に行ったらさ、縁の下にはコンクリの外壁とかは無いんだな。柱が奥まで規則正しく並んでて。
 つまり床下に簡単に入れるようになってるわけよ。人が入り込めるくらいの広さがあるんだ。
 これなら動物が入ってもおかしくない。
 ネコかイタチでもいたら、電灯を当てれば逃げていくだろうって思って。
 しゃがんで、体を縮めて、入っていったんだよ。

 ちょっと進んだら、遠目に何か見えた。
 たぶん、位置的にオレの布団の真下あたり。
 あのさ。
 それ見た時、オレ思わずさぁ、「うわっ」って言っちゃったんだけど。

 床下だよ?
 地面に直接だよ?

 仏壇が置いてあったんだよね。



 ──白井くんは、わからなくなった。
 床下に、仏壇?
 イメージが浮かばない。
 それに、這っていた音との関係もわからない。

 ちら、と隣の友人を見る。目が合った。
 どういうことか理解できない、という目つきだった。
 そんな白井くんたちの様子を見てとったのか、高山さんは身じろぎした。
「その床下の仏壇さぁ、あんまりな代物だったから、撮ってみたんだけど」
 ポケットからスマホを出す。
「見る?」

 いや──

 声が揃った。
 高山さんは「そう?」とだけ言って、スマホをしまいこんだ。
「まぁうまくは撮れてないしな。それに仏壇なんて気持ち悪いもんな、うん」
 残念そうな素振りもなく、また語り出す。

 ──それでまぁ、その夜はどうにか寝たんだけど。
 親や親戚はいつまで話し込んでたのかはわかんない。
 翌日も、そのまた次の日も同じでさ。
 大人たちは長々とやり合ってるし、子供とか若い人の居心地は悪いし。
 結論は出ないし議論もろくに進まないし。
 それが、一週間も続いたんだよ。
 いやぁ参った。大変だったんだわ──


 高山さんは酒を飲み干した。箸を掴んで、唐揚げや野菜に手を出しはじめた。
 ──話は終わってしまったようだった。

 黙って聞いていた白井くんたちは、そうだったんですか、面倒でしたよね、などと一応言いながら酒を飲み、箸を取る。

 白井くんの頭の中にはもやついたものが残っていた。
 様々なものが引っかかったけれど、いちばん気になるのは。
 床下に、仏壇?
 どうにもイメージができない。

 飲み食いしながらしばらく考えを巡らせて、あれだろうか、と思い至った。
 アパートなんかに住んでいるお年寄りが、部屋に置いているやつだ。
 大きな辞典を立てたくらいの大きさで扉があって、中に位牌や写真を入れておけるやつ──
 ──あれって、「仏壇」って言うのか?
 またわからなくなってくる。
 そういうタイプだったら、高山さんが説明してくれるはずだ。
 それがいきなり、「写真撮ったけど、見る?」だ。
 やっぱり、わからない。

 酒は入っていたものの、何となく場は盛り上がりに欠けるものとなった。

 2時間を越えたあたりから、帰る者が出てきた。
 だいたい、さほど付き合いの長くない奴から席を立つ。
「明日朝からバイトで」「それじゃ、また明日ぁ」「お疲れーッス」
 などと言い残して店を出ていく。
 ぼんやりと落ち着かない雰囲気が嫌になるのかもしれなかった。

 3時間近くなると、高山さんの他には白井くんを含めた4人が残るばかりとなった。
 残っているのは、高山さんと親しい3人である。
 誘ったのは白井くん側なので、惰性で居残っている形だった。

 気心の知れた仲だから、先程より酒が進む。
 序盤のような明るく、軽薄な空気が戻ってきた。
 そんな折、白井くんの口からふっ、と言葉が洩れた。
 酒のせいかもしれなかった。

「あのぉ、高山さん」
「んー、なに?」
「さっきの話の仏壇のくだりなんですけど、あれ俺、イマイチ頭に浮かばなくて」
 残りのふたりも、止めるでもなく同調した。
「そうそう。床下に仏壇って、ビジュアルが浮かばないんですよ」
「パッと思い浮かばなかったんですけど──なんか、小さいヤツですか?」
 ひとりが手で大きさを示す。白井くんが想像した小型タイプのものらしい。
「ううん。違うよ」
 高山さんは首を振る。
「えーっ? じゃあやっぱわかんないッスよ」
 白井くんが頭を掻くと、高山さんは再び身じろぎした。
「じゃあやっぱり、写真で見た方がわかりやすいよな」
 スマホを出して、操作する。
「寄りすぎてピントは合ってないけど──見る?」

 白井くんたち3人の動きが一瞬、止まった。
 好奇心の方が勝った。
「見て──いいですか?」

「うん。じゃあ、これ」
 高山さんはスマホをこちらにかざした。
 3人は見た。
「──えっ」


 画面に写し出されているのは、箱だった。
 木の箱だった。

 暗い。
 懐中電灯が照らしているらしい。むき出しの地面がある。
 その上に直に、木の箱が置いてある。
 大きくもなく小さくもない。中くらいの箱だ。
 直方体で、蓋はされていない。
 紺か紫色の布が敷いてある。
 その中央部に──
 小石のようなものが幾つか入っていた。


 それだけの画像だった。

 ──数秒だけ戸惑ったあと、白井くんたちは「何ですかぁこれぇ!」と笑った。
 冗談だと思ったのだ。
「仏壇とか言うから気味悪かったですけど、箱じゃないですかぁ」
「ダメですよこういう、ドッキリみたいな」
「これのどこが仏壇なんですかぁ!」

 言われた高山さんは、表情を変えなかった。
 冗談めいたところはなかった。

「うん。そうなんだよ。そうなんだよな。だからさ、」
 頷いて、言った。
「遠目に見えた瞬間にな。これは仏壇だ、とわかったってことはさ。
 ああ、オレも高山家の人間なんだなあ、って、そう思ったんだよ」

 ──あれっ?
 今すごく気味の悪いことを言われたような、

 高山さんが急に立ち上がった。
「オレ、そろそろ帰るわ」
「えっ」
「お前らはもうちょっと飲んでていいから。ほら」
 財布から数千円を出す。
「今日はオレのためにな、こういうの開いてくれて、ありがとな」
 言い残して、高山さんは脇に置いていたバッグを持った。
 音もなく座敷を出て、居酒屋を出ていってしまった。

 残された白井くんたちは、しばらくぼんやりとしていた。
 互いに顔を見合わせたりする。
 ──意味、わかった?
 ──いや、ちょっと。
 そんな無言のやりとりがあった。

 とは言えありがたいことに、いくらかお金をもらっている。
 もう少し飲み食いしてから帰ることにした。

 腑に落ちないながらも3人でビールを飲み、つまみを食べる。
 飲み終わって食べ終わって、そろそろ──という感じになってきた時、ひとりが立ち上がった。
「あれ、何?」
「いや、トイレ」

 友達は座敷席から店内を歩いていき、出入口近くにあるトイレへと向かっていった。

 いくらも経たないうちに早足で帰ってきた。
 逃げるように座敷に上がってきて座る。顔色が悪い。
「どうした?」
「いやぁ」青い顔で首をかしげる。「あのぅ、先輩がさ、店の外にいるんだけど──」
「えっ?」

 友人いわく。
 店を出たところ、出入口からぎりぎり見えるあたりの物陰に、先輩は隠れていたらしい。
 顔までは見えなかった。しかしバッグが目に入ったので、間違いないという。
 こっちからぎりぎりで見えるあたりにいたということは。
 店の出入口を監視しているということになる。

「なに、俺ら見張られてんの?」
「いや知らん。見張るって、なんで」
「いやわかんないけど」
「でも、帰ったふりして待ってる、ってのは間違いないわけだろ?」

 ………………。

 もう少し、時間を潰してから帰ろう。
 白井くんたちはやたらに水を飲んで、20分ほど過ごした。
 酔いは醒めてしまった。

「そろそろ、いいかな」
 座敷を出て、出入口の手前まで行く。
 さっき目撃した友人がそろっ、と外を確認する。
「いる?」
「いや、もういない──」
 ほっとして、勘定を済ませた。

 にぎやかで明るい居酒屋の入ったビルを出ると、真っ暗だった。
 深夜だった。0時などとっくに回っている。
 3人とも、住んでいるアパートやマンションは繁華街の外にある。
 ここからは、歩いて帰れる距離だ。
 
 平日のこの時間、繁華街と言えども人通りはまばらになっている。
 3人で歩く。
 理由もなく横並びになった。
 高山さんの話も、箱のことも、言葉も、高山さん本人のことも、頭から離れない。
 いやな感触がまとわりついてくる。


 10分も歩くと住宅街に入った。
 夜の道には白井くんたちの他、誰も歩いていなかった。
 街灯がぽつん、ぽつん、と等間隔に点いている。

 ふと、ひとりが歩みを緩めて、わずかに振り返った。
「あ」と小さく言う。顔を前に戻す。
「ついてきてる」と囁いた。
「誰。誰が」
「高山さん、うしろからついてきてる」
「えっ──」

 確かめたかった。
 でも不用意に動いて、気づいたと知られるのはもっと怖い。
 残りのひとりも、いきなり振り向いたりはしなかった。
 歩みを止めずに黙ったまま、ペースを崩さずに進む。
 白井くんはごくさりげない風を装って顔を横に向け、後ろに視線をやった。

 街灯の光の下、一瞬だけ見て取った。
 10メートルほど後方の、無人の道路に高山さんはいた。
 背丈や服装やバッグが高山さんだと教えてくれた。
 できるだけ街の陰、暗がりを選ぶようにして、ゆっくり、ゆっくりとついてきている。
 表情まではわからなかった。

 本当に来てる──
 白井くんはぞっとして前を向いた。
 わけがわからないが、高山さんがついてきていることがとにかく怖い。
 けれど。
 もっと恐ろしく感じていることが白井くんにはあった。

 頭の中で不安がどんどん膨らんでいく。
 友人ふたりがいることはあまり心の支えにならなかった。
 暗い道はどこまでも続いている。
 家はまだ遠い。
 後ろからは高山さんが来ている。
 深夜の道には後にも先にも誰もいない。

 ──耐えきれなくなった。

「あのさ──あのさ?」
 白井くんは小さな声で、友達ふたりに尋ねた。
「あの人って──前からあのバッグで大学に来てたっけ?」

 大学の廊下でも講堂でも居酒屋でも今も。
 高山さんはバッグを持つか、手近に置いていた。
 休む前に使っていたのとはまるで違うバッグだった。買ったばかりだ。真新しい。


 あの大きさ。
 大学で使うには大きすぎるのではないか。
 ちょっとした旅行鞄くらいの大きさで。
 それに、バッグの横が。
 中身が大きくて妙な形に膨らんでいたような気がする。
 布の左右が尖って出っぱっていたような気がする。
 ちょうど、そう。
 中に四角い箱が入っているような──

 と、白井くんはふたりに言おうとした。
「それは、いいから」
 とひとりが呟いた。
 囁き声なのに、強い口調だった。
 ふたりとも「もう喋るな」という表情をしていた。
 バッグのことは、俺たちもわかってるから。
 だから頼むから、黙っててくれ。

 3人とももう二度と振り返らなかった。
 全身が硬直するような気持ちで10分ほど歩くと、3人のうちひとりが住むマンションに行き着いた。

 駆け込みたい衝動を抑えて、歩速を変えずにマンションへと入った。
 オートロックではなかったものの、高山さんはマンションの中にまでは入ってこなかった。

 部屋までたどり着くと、3人で酒を浴びるように飲んだ。
 スマホでにぎやかな音楽をかけて、ヤケになって騒ぎ倒した。


 翌日のことである。
 白井くんたちは浅い眠りから起きた。
「あー、やっべぇ。頭いたい」「さすがにキツいなこれ」などと言い合っているうちに、白井くんはまずいことに気づいた。
「あ。今日って木曜だっけ?」
「そうだけど」
「うわっ。やべぇよオイ! 一限!」
「あっ!」
 白井くんと部屋の主ではない友人は木曜、一限に講義があるのだ。
 幾度となく休んでいるので、そろそろ出席率が危険水域だ。
 タイミングが悪すぎる──と愚痴りながら、痛む頭で白井くんと友人はマンションを出た。


 ようやく頭痛が収まった頃、大学が見えてきた。
 正門に人だかりがある。
 紺色の制服を着た人たちがいて、ロープが張ってある。

 警察が来ていた。

「──へ? え。何?」
 ふたりのそばを歩く学生たちも、何事かと首を伸ばしている。
 正門の中、敷地内に入ったすぐのところに、黄色と黒のロープが渡されていた。
 その周辺には学生たち、教授らしき人も足を止めている。

 野次馬の中に、白井くんの知り合いの背中があった。肩を叩いた。
「どうしたの。なんか、事件?」
「いやぁ、俺もさっき来て、詳しくは知らないんだけどさ」
 知り合いは首をかしげた。
「あそこらへんで、何か燃やした奴がいたらしくて」

 燃やす?

 言われてはじめて、まだ微かに漂っている匂いに気づいた。
 焦げた匂いだった。

「夜中なのか朝方なのか知らんけどな。放火じゃなくてさ。あそこらへんで、何か燃やしただけなんだって──」
 ロープの中の石畳には、座布団くらいの広さの焦げ跡だけがあった。
 燃えたものは撤去されたらしかった。

「警察がさっき、燃え残りの板みたいなのを持ってったよ。ヘンな話だよなぁ。大学で木の何かを燃やすなんてさ──」

 白井くんは黙って聞くほかなかった。
 根拠はなかったが、誰が、何を燃やしたのかはわかる気がした。

 現場には、木や布を焼いた匂いの他に。
 脂か髪の毛を焦がしたような、厭な匂いもあったという。



 高山さんはその後も普通に大学に来て、トラブルのひとつもなく、白井くんたちと一緒に卒業していったそうである。

 あの夜の出来事から没交渉になったので、白井くんは卒業後の高山さんの行方を知らない。

「知りたくもない」のだそうだ。




【完】

 

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☆本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」、 
 禍話アンリミテッド 第十五夜 より、編集・再構成してお送りしました。
 なお、作中に登場する名前はすべて仮名です。

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