見出し画像

【怖くない話】激戦・二次元ドリーム文庫【「禍話」リライト番外編】




 万引きは人の心を壊す。絶対にやめよう。


 九州に住んでいたKさんが、学生時代に体験した話である。
 中学生の時分から、よく通っていた古本屋があった。さほど大きくない店である。
 在庫はそこそこ充実しているのだが、店員は中年のおじさん一人。当然彼が唯一の店員であり、店長である。客の多くないのんびりした雰囲気とは言え、たった一人で切り盛りしているのはちょっと大変そうであった。


 その店なのだが、ある時期から、店主のおじさんの様子がおかしくなっていったという。
 それというのも、どうもそこで、悪い中高生や大人らが、店の手の足りぬのをいいことに万引きを繰り返していたようなのだ。
 度重なる万引き被害に、店主の心はすさんできた様子だった。
 店に「万引き禁止!」「見ています!」などの貼り紙が増えはじめた。
 そこからどんどん、店側の万引き防止策はエスカレートしていく。とは言え小さな店であり、カメラを据えるとか店員を雇うなどお金のかかることはできない。
 どうなったか。
 本棚に、本をみっしり詰め込むようになったのだという。
 本屋や古本屋であれば、客が手に取りやすいようある程度の余裕をもって本を並べる。
 しかし追いつめられていたその店は、力を込めないと本が抜けないくらい詰め込みはじめた。ついには縦に差し入れている本の上部、数センチほどのスキマにさえギチギチに差し込むようになった。
 本棚に一切のスキマなく多種多様な本が、縦も横もかまわずピッチリ並んだ店内。それはもはや古本屋ではなく、一種の要塞のようでもあった。
 店内をそのようにして、店主は自分の精神を守ろうとしていたのかもしれない。その証拠に彼の顔も疑心暗鬼にとらわれ、客を見る目付きも異様な色を帯びていたという。
 そんな危うい古本屋ではあったのだが、家からちょうどいい距離に建っていたこともあり、Kさんはよく通っていたのだという。


 その日もKさんは、その店を訪れた。
 ……若い男のサガとして、エッチな小説を読みたい気持ちが昂る日がある。Kさんはアニメ風の挿絵が多く入った「二次元ドリーム文庫」の一角を眺めていた。
 数冊を抜き出してパラパラとめくったが、グッとくるものはなさそうだった。ピチピチの棚にいささか苦労して本を戻し、「今日はまぁ、買わなくていいかな」と出入口へと足を向けたその瞬間。

「ちょっと待て!!」
 奥にいた店主に、だしぬけにそう怒鳴られた。
「お前今! 万引きしただろ!!」

 え?

「いや、万引き……してませんけど……」とKさんは言ったが、店主はまくし立ててきた。
 自分はこの店の中の本がどこにどのようにしてあるのか全部、全て、間違いなく把握している。
 お前が今触った棚に不自然なスキマが生まれている、ここに刺さっていた本がなくなったのだ。
 さっきまでこんなスキマはなかったのだからこれはお前がカバンに入れるかポケットに入れるかしたに違いないというかそうに決まっているのだからお前は万引き犯だ泥棒だ絶対に許さない。

 Kさんが顔をしかめながら否定しても「ここの本が減っている」「さっきまではちゃんとあった」「だからお前が盗んだのだ」の一点張りである。
「カバンの中身を見せてみろ」
 店主は激昂しながらそう言う。
 仕方ない……というか、後ろ暗いところはないのだからかまわない。Kさんはカバンの中身も見せた。
 それからポケットの中も改めさせられ、さらにセキュリティのボディチェックのように全身をバタバタ叩かれた。
 服もだ、と言われたので、羞恥心はあったが上を脱いでシャツ1枚になったりした。
 それでも出てこない──盗っていないのだから当然だ──となると、店主は「靴も脱げ」と言う。
 靴の中に本が入るわけはないのだが、相手の勢いに呑まれるようにKさんは靴まで脱いだ。

 当たり前のことであるが、Kさんのカバンからも身体からも、本は出てこなかった。

「ね……? ……僕、盗んでないんですよ……もういいですよね?」
 ひどい疲れを覚えながらKさんは尋ねたが、店主はアァ、ウンなどと生返事である。自分の非も認めず、謝りもしない。それどころか「二次元ドリーム文庫」のあたりに目をやって、
「あーここだわ。ここにスキマがあるな。こんなところにスキマなんてなかったんだけどな。おかしいな」
 とKさんにあてつけるように呟いている。
「あの、もう……もう行っていいですよね?」
 Kさんが苛立ちながら再度聞くと、相手は顔も見ずにアァ、もういいよ、とようやく答えた。
 事情があるとは言えひどい店だな、とKさんが踵を返して帰ろうとしたその時だった。店主の聞こえよがしな声が耳に飛び込んできた。
「まぁ、ホントのところはどうかわかんねぇけどな」


 店の外に出たKさんの腹の底に、ぐらぐらと沸き立つものがあった。
 それは純然たる、混じり気のない、理不尽な仕打ちへの「怒り」だった。

 ここで、並みの人間ならたとえば、友達に電話して鬱憤を晴らすとか、ネットに書き込んで憂さ晴らしして済ますかもしれない。
 あるいはそのままとって返して店主を怒鳴ることも、胸ぐらを掴むこともできただろう。

 だが──Kさんは「理をもってブチギレる」「節度をもってブチギレる」とのできるタイプの男だった。

 そのことによって、話は異様な方向へとねじ曲がっていく──


 Kさんは腹で煮えたぎる怒りが全身に回っていくのを感じながら、まず最寄りの本屋に出向いた。
 カッカする頭で向かったのは「二次元ドリーム文庫」の一角だ。そこから適当に一冊手に取った。
 偶然選ばれたのは、独り暮らしをすることになった主人公の元にメイドが4人やってきてエッチなことになる『おしかけメイド隊』(真慈真雄・著)である。



 Kさんは630円+税の定価を払い、その本を購入した。
 いや増す怒りが指の先まで熱くなった血液を送り出す。エッチな小説を握りしめているのに、心の中を占めているのは猥褻な気持ちとは程遠い、耐えがたいほどの憤怒と屈辱感だった。


 Kさんは本屋を出てそのまま古本屋にとって返した。
 店内に入り店主の座るカウンターへと早足で迫った。
「おい!!」
 大声を出して本をカウンターに叩きつけるように置きながら、溜め込んだものを吐き出すように怒鳴った。
「すいませんね!!! 今さっき万引きを疑われた者ですけど!!!!!」 
 Kさんは今買ってきた文庫本を指し示して、衰えぬ勢いでこう叫んだ。
「本が一冊消えたって言うんなら!!! いま僕が買ってきたこの本を補充してください!!!!!!」

 それをきっかけに、Kくんの感情が爆発した。

 何もしてないのにカバンの中身も覗かれて、身体検査までされて。
 万引きなんてしてないとわかった後も、捨て台詞みたいにあんなことを言われて。
 どうして、どうしてたった一言でも、謝ってくれないんだ。
 しかもまだあんたは自分のことを疑っている。悔しい。あまりにも悔しい。
 そんなに疑われたまま家に帰ることはできない。
 だから、この本をくれてやるから、無くなっているという部分に補充してくれ!
 買い取るとかじゃなくて、これをやるから! その空いてる部分に詰め込めばいいじゃないか!

 普段は温厚なKさんだったが、この時ばかりは本気で怒った。
 気持ちのままに怒鳴っていると、不意に涙がこぼれてきた。
 あまりに悔しかった。あまりにつらかった。どうしても許せない。
 目から涙がポロポロこぼれる。カウンターの上にはこれ



 が置いてある。
 店主はKさんの剣幕に驚いていたようだったが、Kさんが本当に、心底怒り悔しがっていることがわかってくると、神妙な顔をして話を聞きはじめた。
 眉の間に皺が寄りはじめ、何度も小さく頷き、顔に後悔と申し訳なさが浮かんできた。
 やがて瞳がうるみ、顔が赤くなってくる。

 しばらく黙っていた店主は、Kさんの言葉がついに途切れたその時、こう言った。


「……すまなかった……」


 そして本を神妙に手に取り、続けた。

「君の……君の気持ちはよく伝わった。本当に……本当に悪いことをした。君を……君を深く傷つけてしまった」
「………………」
「ただ……いや、だからこそ、これを貰うわけにはいかない」
「いや! 貰ってくださいよ! そうじゃないと!」
「そうはいかないんだ……人として、それはできない」
「あんたに貰ってもらわないとこの話は収まらないんだよ!」
「いや、それはいけないよ……」

 しばらくの間、「貰ってくれ」「貰えない」という、男同士の熱いやりとりが、これ



 を挟んで繰り広げられた。


 だが最後は、店主がこう言って折れた。
「じゃあわかった……ウチは、古本屋だから……。だから……100円。100円で買い取らせてもらうよ…………」
 Kさんも大きく頷いた。
「…………わかりました。あなたがそれでいいんなら…………」
 店主はレジから100円を取り出し、本と引き換えにKさんに渡した。
「…………万引きが多発していて、心がすさんでいたんだが……。今日は君のようなちゃんとした人間がいることを知った。申し訳なかった……」
「……わかってくれたなら、いいんです……」
「…………また、来てくれ…………」 
 これを持ちながら



 そう語る店主の目には、確かに光るものがあったという。


……………………………………………………


「そういう漢のやりとりがね!! さっきあったんッスよ!! やってやりましたよ!!」
 勢いづいて電話してきたKさんの熱弁を聞いていた先輩のCさんだったが、話が終わってから、「君さぁ、」と言った。

「君、メッチャ語るけどさ、その文庫、700円とかで買ったんだろ?」
「ハイ! そうですね!!!」 
「それが100円だったことはさ、600円、丸損してるじゃん」
「……………………あっ!」
「いや、『あっ!』じゃないよ、『あっ!』じゃあ…………」

 

 ちなみにKさん、その漢の友情を交わした古本屋には、もう二度と行かなかったそうである。



 …………まぁ、そうですよね。





【おしまい】





☆本記事は著作権フリー・完全無料の怖い話ツイキャス「禍話」
 震!禍話十三夜 より編集・再構成してお送りしました。


禍話wiki ができたよ! タイトル検索もできます。

サポートをしていただくと、ゾウのごはんがすこし増えます。