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【怖い話】 風船の家 【「禍話」リライト 54】

 ある出来事のせいで、風船が怖いのだという。
「イベントで配ってたり、子供が持ってたりするじゃないですか。あれを見るとウワッ、ってなっちゃうんですよ」
 Mさんはそう言う。
「特に、赤い風船がダメなんですよね……」


 数年前のある夜のことだ。
 Mさんは仲間3人と共に、山奥にある心霊スポットに出向いた。 
「すごくヤバい廃墟」らしいのだったが。
 

「その建物、どういう事件や事故があったのか、全然わからないんですよ。
 それどころか民家だったのかお店だったのか、そういうことすらわからない。
 ただオバケが出るらしい、怖い目に遭う、って噂だけがある場所で……」


 山道を行き、悪路に至ると車を降りて、草をかきわけながら歩いていった。
 少し奥へと行くと、噂通りに廃墟はあった。
「これは、確かに怖いな!」
「やべぇなこれ……」
 その建物に近づいて、彼らは恐怖におののいた。

 雰囲気が違うとか、禍々しいオーラが漂っているわけではない。
 単に、ボロボロだったのである。

 ギリギリで家の形を保っているような廃墟だった。
 窓はある。しかし窓ガラスはなく、窓のあった穴だけ。玄関も一緒だった。戸がない。
 周囲は雑草にまみれ、建物は半ば草に埋もれている。
 壁もどうにか支え合っているような感じで、おそらくもう2年としないうちに強風や自重で倒れ、ぺしゃんこになりそうだった。
「いやぁ、これは怖いな……」
「中にいる時に潰れたらヤベーぞ……」
 そういう意味で怖かったのである。


 玄関からそっと中を覗いて、ライトで照らしてみた。
 うわー、と声が出た。

 かろうじて柱は残っているものの、室内の壁のほとんどが崩れ落ちている。奥までほぼ素通しだった。家というより、ひとつの広間のような感じだ。
 床は抜けて、草がぐしゃぐしゃと生えている。屋根も所々抜けていて、山の月明かりが射し込んでいる。 
 ちょっとした振動で全体が崩壊しそうだった。
 このまま帰るという選択肢もあったものの、Mさん含め4人全員が「ここまで来たら中も見なきゃもったいない」と考えた。
「よーしみんな入るぞ……あっ、壁とか柱とか揺らさないようにね……」

 及び腰で玄関の敷居を跨ぐ。
 柱には触らず、残った床板には乗らず、家屋の残骸を刺激しないようにしながら彼らは進んだ。こんな山奥で廃墟の下敷きになったら絶対に助からない。
 ヒヤヒヤしつつ家の中を回ったものの、怖気をふるうような品物は発見できなかった。人影も、声もしない。 土と草の匂いばかりである。

 …………もしかして、マジで「こういう意味」の恐怖体験ができる場所なの?

 4人は一瞬顔を見合わせたが、いやそんなはずは……と首を横に振った。
「しかしさぁ」と車を運転してきた奴が言う。
「こうボロいと、どんな家だったのかわかんねーよな。そりゃ情報がないわけだわ」
 確かに、そうだった。
 表札も看板の類もない。屋内も、経年のせいで生活臭が完全に消えてしまっている。昔を忍ばせるような家具や物品がない。
 家族が普通に住むにしては少し広いような気もする。お店か施設であったとしてもおかしくない大きさでもある。
「……まぁこの広さだし、最後に4人、分かれて探索してみっか」
 ひとりがそう提案した。
「別行動? 俺スマホの明かりしかねぇんだけど」
「足元だけは照らしておけよ……あの、揺らさないように……」 
「それさっきも言ったろ」
 4人は期待しつつ一旦分かれて、家の四方へと散った。

 Mさんもひとりで、のそのそと家を見て回った。ゴミを発見したりもしたが、以前ここに来た奴らのものかもしれない。あとはさっきと変わりない。住居者の残り香はなく、オバケも妖怪も出てこない。
「来て損したな……」
 どこが心霊スポットだよ、ただの危険家屋じゃねぇか、と心の中で毒づきながら、Mさんは家の外に出た。
 他の3人もぞろぞろと出てきた。誰も何も言わなかった。成果はゼロらしい。
 再び獣道を進み、車へと戻る。 
「完全に空振りだったな……」
「いっそクマでも出てきてもらった方が」
「それは幽霊より怖いだろ」
 そんな軽口を叩き合いながら、車は山道を下っていった。
 収穫のない心霊スポット探検はこれで終わり、のはずだった。


 Mさんはふと、あることに気づいた。
 隣にいるGさんが、やけに落ち込んでいる。元気がない。
 思い出してみれば、廃墟から出て文句を言っていたのは自分たち3人で、Gさんは「うん」「そうだね」と曖昧な返事しかしていなかった。 
 いつもはこういう場になると、率先してしょうもないことを言う奴である。
「なぁGさぁ」Mさんは車中で尋ねた。「さっきからあんま喋んないけど、どうした? 酔った?」 
「ううん」Gさんは首を振る。それきり黙ってしまう。
「そういやコイツ、あの家から出たあたりから静かだよなー」
「おいどうしたんだよ。まさかお前アレか? 怖いもん見たのか?」
 運転席と助手席にいる残りの2人も明るく言う。しかしGさんはいや、ちょっと……と口を濁すばかりだ。どことなく、顔が青ざめているようにも見える。
 車の中の空気がなんとなく、澱んでいく。
「……アレだな、つまんなかったしさ! 途中ファミレスあったろ? あそこでちょっと休んでいかね?」
 運転手の言葉にGさんは、「あぁ、助かるわ……」と小さな声で答えた。
 車は山を降りて少し行った場所にある、ファミレスに到着した。 
 時間は、深夜2時近くになっていた。



 店内に、客はいなかった。
 席に着き注文をして、フライドポテトが来てもGさんの表情は晴れない。4人一緒にドリンクバーも頼んだのに、彼は最初に持ってきた水しか口にしない。
 深夜のファミレスでゆったりしようとしていた残り3人も、居心地が悪くなってきた。
 有線だけが虚ろに鳴り響く店内が、なんとなく重苦しい。
 3人はその空気に耐えきれなくなった。
「……なぁ、どうしたんだよG。さっきから」Mさんが口火を切ると、
「そうだよ。ジュース飲まないし、ポテトも食べないしさ」
「あの家で変なことでもあったん?」
 他の2人も次々にGさんに声をかけ、尋ねた。
 彼は全員の顔をちら、と見てから、また目を伏せた。
 それから、こんなことを言いはじめた。
「あのさぁ……変なこと言うみたいだけど……お前ら、あの家の中で、妙なモノ見なかったか?」
「妙なモノって?」
「風船」

 風船?

 Mさんはあとの2人と目を合わせた。知らない、わからない、という目つきをしていた。
「それってアレか? 残った壁に描いてあったラクガキかなんかの」
「ううん、違う。本物の風船。赤い風船だよ。赤い風船が、部屋の上の隅に浮いてただろ」
 いや……とMさんは首をかしげた。あとの奴らも腕を組んだり首を掻いたりして、当惑した様子だ。
 そんな他の面子の反応の鈍さに、Gさんはため息をついた。
「最初にみんなで回った時も、バラバラで見て回った時もあったんだよ。赤い風船。誰も反応しないからおかしいなって思ったんだけど……」
 やっぱり俺にしか見えてなかったんだな……とGさんは言う。
「でもGさぁ、おかしくね?」運転役の奴が言った。
「お前、スマホのちっちゃいライトしか持ってなかったろ?」
「うん、そうだよ」
「そのライトで、天井? そこにあった風船、照らせたのかよ?」
「いや……届かなかったけど」
「じゃあなんで『赤い』風船ってわかるんだよ。あそこ真っ暗だったろ。色なんかわかるわけねぇじゃん」
「あっ」
 Gさんは数秒、言葉を失った。
 しばらく魂の抜けたような顔で、独り言のようにこう呟く。 
「そうだよなあ。なんでだろうなあ。なんで赤いってわかったんだろうなあ。真っ暗だったのになあ」
 それからスッと元に戻って、
「でも俺、赤い風船だってわかったんだよ。なんでかはわからないけどさ」
 確かな声で3人に向かって言った。

 Mさんが別のことを聞いてみる。
「その風船、俺らが最初にぐるっと見て歩いた時からあったって?」 
「うん」Gさんは頷いた。「部屋の隅の、壁と天井が繋がってる部分があるだろ。あそこにポコッとひとつ、浮いてたんだよ」
「壁と天井……上の方なぁ……」
 Mさんは家の中の情景を思い出そうとした。
 足元が危ないので、そちらに気をとられてはいた。しかし肝試しに来ているのだから、壁や天井にも注意を払っていたはずである。 
 ただでさえ目ぼしいモノのない廃墟だった。そういう奇妙なものが浮いていたら、絶対に気づくはずだ。
「いや、風船とかなかったと思うんだけど……家のどこらへんに浮いてたの? 奥? 真ん中? 玄関近く?」
「いや、ほら、おじいちゃんの部屋」
 
 ……おじいちゃんの部屋?

「……おい、あそこ、部屋の仕切りの壁もなかっただろ。家具も生活用品もひとつも残ってなかっただろ。 
 それがどうして、『おじいちゃんの部屋』とかってわかるんだよ。あそこ部屋の区別すらできないのに」
「あっ」
 Gさんはまた、言葉を失った。しばらく顔を伏せて、
「そうだよなあ。あそこボロボロの廃墟なのになあ。なんでおじいちゃんの部屋ってわかるんだろうなあ」 
 とブツブツ小声で言う。そして顔を上げてMさんを見て、
「でも俺さあ、おじいちゃんの部屋だってわかったんだよ。理由はないけどさ」
 と断言した。
 Mさんは気味悪くなって、とりあえず話を収めようとした。
「うん、わかったわかった。赤い風船が、おじいちゃんの部屋にあったんだよな?」
「そうだよ。あったんだよ、赤い風船が」
 GさんはまっすぐMさんに目を当てながら話す。
「おじいちゃんの部屋に浮いてたんだよ。家の奥の方にあっただろ。おじいちゃんの部屋」
「いや……」
「お前らおじいちゃんの部屋に入った時に見なかったか? 赤い風船、一個、天井に頭をつけてフラフラ浮いてただろ? なぁ? あったろ、赤い風船」
 Gさんの語りに異様に熱が入りはじめたので、Mさんはすごく怖くなった。
「……あの~、俺トイレ行くわ! ジュース、飲み過ぎたかな? もう膀胱がすごくて!」
 Mさんはそう言って立ち上がった。
 押し黙っていた他の2人も、なんだよオシッコかよ、その報告いらねーよ、などと言って場が和んだ。Mさんは続けた。

「まぁGもさぁ、変なの見ちゃったことは忘れて、コーラとか飲んどけって! じゃあ俺、オシッコ行くからさ!」
 Mさんは誰もいないファミレスを歩いてトイレまで行き、用を足して、戻ろうとした。
 Mさんたち4人の座っている席は、店の隅にある。
 トイレからそこへは、駐車場に面した大きな窓の脇を通る必要があった。
 Mさんは何気なく、窓から外を見た。
 駐車場にぽつんと、自分たちの乗ってきた車が一台きり、停めてある。
 車の助手席に、赤いものが浮いていた。
(えっ?)
 赤い風船が、車内に浮いている。
 天井にくっついているのか、下半分しか見えない。しかし確かに赤い風船だった。
 駐車場の灯りに照らされてぼんやりと、白っぽいヒモが垂れているのまで見える。 
 いや、そんな馬鹿な。
 Mさんは思わず目をそらした。それからそっと視線を戻す。
 車の中には、何もなかった。

(……やべ、変な話聞いて幻覚見ちゃったかな……夜中だしな……)
 Mさんはさっきのモノが、眠気と不安が見せた幻だと判断して、もう一度トイレに行った。
 手を洗い、顔も洗い、ペーパータオルでガシガシと顔をこすった。
 怯えつつトイレを出、窓の脇を歩く。
 ちらっ、と外の車に視線をやった。
 車内にも車外にも、怪しいものは見当たらなかった。

(やっぱり幻覚かよ。いやぁ、変なモン見ちゃったな……)
  Mさんは安心して、店の隅の席に戻った。

「あれっ?」
 運転をしてきた奴がいなくなっている。
「あいつどこ行ったの?」Mさんが聞くと、もう一人の友達が答えた。
「いやそれがさ、あいつ超アホでな。ほら、ここ喫煙席じゃん?」 
 灰皿を指し示す。
「で、じゃあタバコ吸うかって出そうとしたらさ……俺は持ってきたけと、あいつ忘れてきてやがんの!」
「忘れてきたって、家に?」
「いや、車の中」
「車……」
「そんで今取りにいったんだけどさぁ! あいつマジで超アホじゃね?」
 そう言って呆れたように笑うのだった。
「……おぉ、抜けてるよなぁ、あいつ……」
 Mさんも笑おうとしたが、うまく笑えなかった。さっき見たモノを思い出したからだ。
 車の中の、赤い風船。
 幻か、目の錯覚だとは思う。しかし──
 座ったMさんの隣で、友達が店の出入口の方を眺める。
「しかしあいつ、タバコ取ってくるだけなのに遅ぇなぁ。何やってんだ?」
 Mさんはそれを聞いてひやり、とした。
 運転してきた奴の姿が、さっき車の内外に見えなかったからだ。
 けど、タイミングの問題かもしれない。ちょうど窓から目を戻した直後に店を出たとか。そうだ、きっとそうだ、とMさんは考えた。
 赤い風船の話をしたGさんは、うなだれたまま座っていて、一言も発しなかった。



 5分経った。
 運転手の彼は戻ってこない。
 Mさんはさりげない口調で「遅いね」と口にした。
「遅いよな……あっ、あいつマジでアホだからさ、ここが喫煙席って忘れて、外で吸ってんじゃね?」
 友達のその言葉を信じこんで、Mさんは出入口のドアが開くのを待った。

 10分経った。
 ドアは開かず、誰も戻ってこない。
 友達は舌打ちしながら、おかしいなぁあいつ、外で何やってんだ? と眉をひそめる。
「さすがに遅すぎるよなぁ? 10分かけてタバコ2本、わざわざ外で吸うか?」
「いや、まぁ、1本吸ったら、戻るよな」
「さすがにちょっと……俺、外に行って見てくるわ」 
 友達はMさんの隣で立ち上がった。
「えっ、ちょっと……」思わずMさんの手が彼の裾を掴みそうになる。「別に、行かなくていいんじゃないかな……」
 友達は変な顔でMさんを見た。 
「いや、別に見に行くだけだし……あっ、さてはアレだな?」
 席の向かいにいるGさんを指さす。
「お前、Gの風船の話にビビってんのか? 妙なモン見たっていうこいつと二人きりになるのが嫌なんだろ?」
 まったくよぉ、風船があんな廃屋に浮いてるわけねーだろ! Gも見間違えたんだよ。おかしな奴らだなぁ。
 大丈夫だって! 呼んでくるだけだから! すぐ戻るからさ! ほら膝、ジャマ! どいて!
 友達は強引に奥の席から抜け出て通路を行き、ドアをガシャン、と開けて、出ていってしまった。 


 MさんとGさんは、ふたりきりになった。
 ファミレスの店内に他の客はいない。
 店員も厨房の方に引っ込んでいるらしい。
 ふたりはテーブルで、はす向かいの位置に座っていた。

 Mさんは黙っているのも嫌なので、当たり障りのない世間話でもしようと考えた。
 はす向かいの相手はずっと下を向いて、黙っている。時折かすかに口が動く。 
「怖いよなあ。ダメだよなあ。怖いよなあ」と何度も言っている。
 こいつと今、どんな話をしたらいいんだろう? Mさんが意味もなく店の内装に目をやりながら考えあぐねていると、Gさんが急にこう呟いた。
「やっぱりダメだよなあ。怖いよなあ。あそこのエンは」
 
 エン?

「おい『エン』って何だよ? 公園とかの『園』か? あそこって、保育園とかだったのか?」
 あれがどういう建物だったのかは、誰も知らないはずだ。
 看板も、保育施設らしき品物も、一切残っていなかった。
 それなのにGさんはぼそり、と、
「そうだよ……そうじゃなかったっけ?」
 と返してきた。
「お前、なんでそんなこと知ってるんだよ」
 その問いを、Gさんは無視する。
「夫婦がすごく頑張ってやってたんだけどさあ」 
「おい、もういいよ」
「家族経営みたいな施設でなあ」
「やめろって。もういいから……」
「でもなあ。やっぱりなあ。俺が風船の話をしなきゃよかったんだよなあ」
「もう気にしなくていいって……」
「でもあいつら帰ってこないじゃん」
 鋭い口調に驚いて、Mさんは顔を向けた。
 相手はMさんの顔を見ていた。 
 2人目が「すぐ戻る」と言い残して出ていってから、5分は経っている。  
「あいつらが帰ってこないのもさあ。俺が赤い風船を見たって話をしたからなんだよなあ。あー、大変なことになったなあ。ごめんなあ」
 Mさんの背中がゾクゾクしはじめた。体がこわばってくる。
 そのMさんの顔をすまなそうな表情で見つめながら、Gさんは弱々しい一本調子で同じようなことを言い続ける。
「俺がさあ。赤い風船とか、家の天井とか言わなきゃよかったんだよなあ。
 本当にごめんなあ。許してくれよなあ。俺が赤い風船を見た話をしたせいでなあ。
 家に行かなきゃよかったんだよなあ。行ったとしても俺が風船の話をしなければ  あっ」

 Gさんが一瞬、絶句した。
 それから顔がもっと崩れて、泣きそうな形相になった。

「あー、ほら、俺が赤い風船の話なんかしたからだよ。ああ困ったなあ。 
 本当にお前ら3人には申し訳ないことになっちゃったなあ。どうしたらいいのかなあ。
 あーどうしよう。俺、お前らにどう謝ったらいいんだろうなあ。ごめんなあ。ごめんなあ」
 Mさんは震える唇を動かして、やっと一言だけ聞いた。
「どうしたんだよ」
「だって、ほらあ、これ」


 テーブルの下。

 Mさんの膝に、とすん、と何かがぶつかった。
 それはごく軽い、空気のような感触だった。
 テーブルの下で、浮いているようだった。

 風船だ、と思った。


「ほらあ。俺が風船の話なんかするからこんなことになっちゃったんだよなあ。
 あいつらも帰ってこないし、こんなことになっちゃったしなあ。ごめんなあ。ごめんなあ。
 でもあそこの施設や家族が悪いわけじゃないんだよなあ。あーやっぱり俺が風船の話なんか」
 相手が一人で延々と話し続ける間も、Mさんの爪先やスネや膝に、とん、とすん、と風船がぶつかり続ける。
 色は、赤に違いないと思った。
 Mさんは、全く動けなくなってしまった。
 突然、似たようなことを繰り返していたGさんが「ああ、そうだ」と口調を変えた。
「あのさあ。Mって、あそこの園の名前って、知らなかったよな。
 俺、あそこの名前、ちゃんと知っておくべきだと思うんだよ。
 俺、知ってるから。今お前にさ、教えてやるから。ちょっと待ってろよ、な?」
 テーブルの端にある“ご意見箱”に刺さったペンを取る。ナプキンを一枚引き抜く。
「今書くからな。あのな、漢字が難しいんだよ。あそこって」
 ぐりぐりとナプキンに文字らしきものを書くがすぐに黒く塗りつぶす。
「違うな。どういう漢字だったかな。あんまり普通は書かない文字なんだよ」
 目の前であの建物の名前を記そうとしているGがいる。
 逃げたい、とMさんは思う。
 しかし風船が当たって足がすくむ。 

 そのうちに気づいた。
 風船はひとつではなかった。
 両足に、同時にぶつかる。
 テーブルの下には、ふたつ以上の風船が浮いているのだ。

「なぁ、やめろよ」
 Mさんはようやくそれだけ言った。
 その言葉が耳に入らなかったように、Gさんはペンを動かす。 
「ちょっと難しい漢字だからさ。あぁそうだ。仕方ないから平仮名で書くわ。ええっと……」
「頼むよ、やめてくれよ」
「………………園、ほら、これがな、あそこの園の、名前……」 
 テーブルの向こうでナプキンが反転して、Mさんの目の前に差し出されようとした。
 Mさんは叫びそうになった。
 その時だった。


 ガシャン、と出入口のドアが開いて、入店音が店内に鳴り響いた。 


「ヤッバぁ~~~! チョーお腹空いたんだけどぉ~~~!!」 
「ファミレスあってマジ助かったな~~~! やべぇな何喰う??」



 ものすごく頭の悪そうなカップルが、ファミレスに入ってきた。 
 奥から店員が、面倒そうな表情を隠そうともせずに出てきた。ダルそうに席に案内する。
「いや~、夜の運転ってつらいわ~~!!」
「今日はマジお疲れでした~~!!」

 キンキンとした大声が、店内に反響した。


 フッ、と空気がゆるみ、Mさんの体の硬直が解けた。
 テーブルの向かいも足元も見ないまま、通路へと膝を向ける。
 足が動いた。
 そのまま飛ぶように席を離れ、ほとんど走って、出入口を開けて外に出た。


 駐車場には、外に出た友達2人がいた。
「お前らどうしたんだよ!?」
 Mさんは心臓が痛いほどドキドキするのを感じつつ、夜の駐車場に向かって叫んだ。
 
 おかしなことに、2人は車の前にしゃがんで、タバコを吸っていたという。
「どうしたって……お前さぁ、叫ぶことねーだろ?」
「そうだよ。近所迷惑じゃん」
 しれっとした顔でそう言う2人に、Mさんは怒鳴った。
「お前らなんで、車の前でタバコ吸ってんだよ? 喫煙席とっただろ?」
「…………あれ? ホントだ」
「俺タバコ取りに来たんだけどな……」
 Mさんに怒鳴られて、ようやっと事態のおかしさに気づいたようだった。
 変だなぁ、と頭を掻きながら、2人は店内に戻っていく。その背後に隠れるように、Mさんも続いた。

 Gさんは、席に座ったままだった。
「おう、遅かったなあ」
 さっきの狼狽や動揺などなかったかのように、おっとりした口調で3人を出迎える。
 先頭のひとりが席に着く直前だった。
 Gさんがナプキンをクシャッと片手で丸めてポケットに入れるのを、Mさんは見た。
 最後尾にいたMさんはそれとなく腰を曲げて、テーブルの下を覗いた。

 そこには、風船の影も形もなかったという。



 その日以来Mさんは、Gさんとは距離を置いて付き合っているそうである。

「あの廃墟の家のことですか? いや、調べてないです。
 もし調べて、あそこが託児所か何かで、名前が『××園』とかだったら……
 想像するだけで怖いんですよ。だから、調べてません」

 だからMさんは、風船、特に赤い風船が、とても苦手なのだそうだ。






【終】




☆本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」、
 シン・禍話 第七夜 より、編集・再構成してお送りしました。


☆☆「寝る前のBGMに重宝しています!」「聴きながら寝たら悪夢を見ました!」など称賛の声が続々!
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