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【怖い話】 祭り覗き 【「禍話」リライト④】


大学で民俗学をやっていた、Gさんの体験。もう20年も前の話だという。 



 Gさんはその日、ある地方に出向いていた。資料館巡りや現地調査を終えて、帰ろうとした。帰って提出用のレポートをまとめるのだ。そう考えた。だがこの土地をこのまま離れるのも勿体なく感じた。 
 行き先もよくわからない電車にふらりと乗り込んだ。気まぐれに全然知らない駅で降りてみよう。大きくて立派な駅では面白くない。しばらく揺られてから、山陰地方の名も知らぬ小さな駅で降りた。


 昼の2時。誰もいない、たいそう静かな駅だった。めぼしいポスターもなく、観光用のパンフレットやチラシの類もない。こんな土地もあるんだな、と感じ入りながら、Gさんは駅を出た。
 民家と生垣ばかりの道を進む。驚くほど人がいなかった。誰も歩いていない。車も通らない。地方の町というのはどこもこんな具合なのだろうか。民家と民家の間から幾度か海が見えた。港町であることだけはわかった。  

 しばらく行くと、こんな雰囲気の土地には似つかわしくない大きな建物が見えてきた。5階以上はありそうだ。箱モノというやつか。誰もいない町にひっそりと、一種の虚しさをたたえて建っている。白い建物かと思って近づくと、壁が腐食して白くなっているだけだった。入り口にかすれた文字で「 × × マリンタワー」とあるのがかろうじて読み取れた。最上階が展望室になっている、とも書いてあった。  
 時間もあったので、Gさんはそこに入ってみることにした。


 入り口を押し開けたが、無人であった。受付にも誰もいない。掲示板にポスターが貼ってある。だが色褪せて、「○○開催」の日付は数年前のものだった。通路の脇にはゴミ袋らしきものが積んである。ほとんど廃墟のような寒々しい空気が立ち込めていた。  
 観光を当て込んで作ったはいいが見込み違いで、とりあえず最低限の管理だけはされている。そういう建物であるようだ。  
 Gさんはエレベーターを見つけた。乗ってみる。8階、展望室、直通と書いてある。何かめぼしいものがあるかもしれない、とボタンを押した。エレベーターは古い型で動きは緩慢だが、ちゃんと動くのだった。


 展望室に到着したが、当然のように一般人も係員もいない。360度、ぐるりが窓ガラスになった階だった。そこからは海が見えた。海のはるか遠くに、島の輪郭がある。それ以外に面白そうなものはなかった。 
 そこをしばらく歩くと、窓際に双眼鏡が立っていた。観光地によくある、100円で1分ほど眺められる、大きくてごついタイプのものだ。「ここから 島が見えます」と書いてある。数字の部分に目を止めれば、100円で3分。  

 Gさんはフィールドワークの道具として、自前の双眼鏡を鞄の中に入れていた。この図体ばかりでかい双眼鏡よりもそちらの方がよく見えるだろう。だがこの、展望室の閑散とした様子である。よほど人が来ないのだろう、といささか同情して、Gさんは寄付するつもりで100円を投入した。 

 島を見た。だが、ただの島だ。「島だなぁ」と思っただけである。海を見た。だがやはり単なる海である。何も面白くない。  

 双眼鏡は、首の部分がかなり自由に動かせるタイプだった。Gさんとしては、海の風景よりも山に惹かれた。グッと双眼鏡を回転させて、山の方に向けた。集落がある。緑の山並みがある。よく見えるな、と思った直後、何かが視界に飛び込んできた。興味の虫が騒いだので100円の双眼鏡を放棄し、自前の双眼鏡を取り出して、改めて覗いた。

 


 そこでは、奇妙な祭りをやっていた。   
 山の中腹に、少し開けた箇所がある。そこに神社がある。境内に紅白の幕を巡らせて、十数人の男たちが円く座り、笛を吹いて太鼓を叩いていた。  
 奇妙なのは、彼らが取り囲んでいるものだ。 
 それは、人間の形をしていた。  

 全身が真っ白だった。男のようだった。背丈がおそらく、10メートルほどある。手足が異様に長細く、胴体に比して明らかに小さすぎる頭がついていた。顔は、あちらを向いていてよく見えない。長い腕をぐにゃ、ぐにゃ、と動かしながら、境内をウロウロ動いている。 
 その足元、白い巨人を追い立てるように、獅子舞らしきものがまとわりついている。獅子舞ではない。「らしきもの」だ。頭部についているのは獅子を思わせる獣の首ではなく、真っ白でのっぺりとしたものだった。
 むやみに伸びた、胴体部分の布。そこから十数本、人間の白い足が出ていた。獅子舞を動かすなど2、3人の仕事だろう。6人も7人も入って動かす、顔も体も真っ白で、目も鼻も口もない獅子舞らしきもの、あれは……なんだろう。

 こんな祭りは見たことも聞いたこともなかった。

 そもそもあれは、あの巨人は、どうやって動かしているのか。Gさんは思った。  
 しっかり歩いているのだから、張り子ではない。着ぐるみか何かの類であろう。しかしあの大きさである。どうやって操作するのか。しかしそれにしては、手足の動きが生々しすぎる。まるで本当に生きているかのようだ…………

 



 その祭りの様子を、Gさんはじっと見ていた。じっと見ていると、だんだんと胸騒ぎがしてきた。理由はわからない。わからないが、恐ろしいものを見ているような気がした。そしてとんでもないことが起きるような気がした。焦燥が高まる中、はるか遠くで行われている音の聞こえない奇妙な祭りは佳境に入ったように思えた。  

 と、突然。
 車座になっていた演奏者たちの陣形が崩れた。太鼓や笛を放り出しウワァッ、と人々が逃げ出す。
 肩のあたりに寒気が走った。すると先程まで所在なさげに動いていた白い巨人がぴたり、と止まった。そしてぐ、ぐ、ぐ、と顔を正面に曲げる。

 その顔の真ん中で、何かがうごめいていた。

 顔が見たい。Gさんは双眼鏡の倍率を上げてから、巨人の顔に向けた。
 不幸というものはあるものだ。双眼鏡を向けて覗いた瞬間、偶然合っていたピントが、偶然振り向いた白い巨人の顔面をモロに捉えた。Gさんはうッ! と双眼鏡をそらした。
 真っ白な巨人の顔。そこには、子供の落書きのように乱暴な線で描かれた目と鼻があった。その下にある口。黒い口が、 アゎ アゎ アゎ アゎ とアメーバのように動いて、開いたり閉じたりしていた。

 この顔を長く見てはいけない、反射的にそう思った。


 地面に目を転じた。獅子舞らしきものの内側から、全身を白塗りにした男衆が何人も駆け出してくる。白い頭と布はその場に投げ捨てられていた。
 参加者の悲鳴が聞こえる気がする。恐慌が吹き荒れている。混乱が渦を巻いている。その真ん中であの、巨大に真っ白なモノが、口を アゎ アゎ アゎ アゎ と言わせながら動き回っている。いやよく見れば、それまで楽隊や獅子舞がいた場所を念入りに踏み潰しているようだ。


「“祭り”が、失敗したんだ」


 Gさんはそう直感した。

 直感した途端、それは自分が祭りを覗き見ていたせいではないか、との不安に襲われた。まさか。いやしかし。
 その瞬間、今まであちこちを見ていた真っ白な巨人がグルッ、とGさんの方を見た。
 偶然ではない。確実な意思を持っている動きだった。
 あれは自分が覗いていることを知っている。
 あれは自分がどこにいるのかを知っている。

 Gさんは望遠鏡から目を離し逃げ出した。向こうからあれが、真っ白いあれが迫ってくるような気がした。そうでなくても危険なものに触れてしまったことは確かだ。逃げなければいけない。とりあえずここから出なくてはいけない。

 箱の中に飛び乗ってボタンを押す。動きの鈍いエレベーターがもどかしい。8階から7階、7階から6階、6階から5階、来たときよりも遅く感じる。階数のカウントダウンがあれとの距離を示している、との考えがよぎってゾッとした。
 1階に着いた。ゆるゆると開くドアの向こうには、誰もいなかった。何もいない。ホッとして走り出した。一息で建物から出る。駅は向こうだったはずだ。このまま一気に戻ろう。


 と、そこに人がひとり歩いてきた。いかにも港町に長年住んでいるといった容貌の老人で、ゆったりと動いている。
 この町に降り立ってから、はじめて出会う人間だった。Gさんは老人にすがりつきたくなった。今おかしな祭りを見てしまった。あの祭りは何なのか。あの真っ白な巨人は何なのか。どこから切り出そうか迷ったままだったが、とりあえず話しかけずにはいられなかった。

「あの、」と、Gさんが切り出す前、声すら出さないうちだった。

 老人は出会い頭にこう言った。



「あかんかったんは、あんたのせいじゃあないよ」



 Gさんは息が止まった。そしてそのまま駅まで走った。
 もうこの町にいたくなかった。



 幸運にも、もう10分ほどで電車が着く時間だった。いや、おかしい。次の電車まで1時間半はあった。あそこに1時間以上いたのか? あの祭りを50分も眺めていたのか? そんなはずはない。だが実際、時計はそのようになっている。
 今にもあれが来るのでは、との恐怖に怯える10分が過ぎ、ようやく電車がやってきた。
 電車に乗ってすぐ、Gさんは山側の窓の遮光スクリーンを下ろした。あれが自分を追って、山からのっそりと降りてくる様子が頭に浮かんだからだ。

 電車は、無事に出発した。

 Gさんは山側の窓のスクリーンすらも見ないよう、反対側の海の景色を見つめながら、電車に揺られて運ばれていった。



 …………帰ってから、あれがどこの駅だったのか思い出そうとした。しかし何も、何一つとして思い出せなかった。建物の名称、駅の名前、だいたいの場所、記憶の欠片すらない。脳が記憶することを拒否したのかもしれないと思う。
 あの町は、あの祭りはなんだったのか。あの真っ白い巨人はどうなったのか。Gさんは今でもわからないでいる。







(終)




本記事は、無料ツイキャス『禍話』の「真・禍話 激闘編 第5夜」より、再編集してお送りしました。


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