【ゲームレビュー】ある一人の恥とトラウマと、その価値と。-”彼は私の中の少女を犯し尽くした - HFTGOOM”
はじめに
どうもdonsukeです。最近稼ぎ(仕事)が上手くいかなかったり、もやもやの絶えない所。でも色々ゲームを触る日々であります。
さて、今回は表題の作品、”彼は私の中の少女を犯し尽くした - HFTGOOM”のゲームレビューをしていきたいと思います。
ですが、予めいくつか断っておきます。
・(人によるとは思いますが)かなりショッキングな内容を含む作品です。
・センシティブ、特に性に関する問題に触れています。
・あくまでもいちゲーマーとしての視点で書きます。”私”の感想です。
・作品の特性上、ネタバレになる話が多めになっています。
この時点で、ブラウザバックの判断は委ねます。
と、珍しく注意書きをさせてもらったのには訳があります。
「作者さんが本作を公開した、という行為とその背景に礼節を欠きたくない。」と思ったからです。
では、本題。
ゲームの概要
作品の形態としては、”ゲーム”というよりもビジュアルノベルです。
プレイ時間の目安としては1時間程度です。
作者さんの経験した事柄、そしてトラウマを回想するという内容になっています。
概略としては、トランスジェンダーの学生である主人公が、その友人である”アン”の紹介によってセックスワークに従事することになったという話です。
では、”私が何を思った”かについて書いていきたいと思います。
貸し借りの目の話
まずこの話から。
主人公と”好きになった人”と二人でいるシーンから。
「私はこの人に○○だけの借りがある。だからそれに応えなければならない。」
日々生活していく中で、誰かに貸しを作ったり、誰かに借りを作ることは多々あると思います。
それ自体はごく自然なことなのです。
交友関係なら特に起こり得ることです。
ただ、その貸し借りが”目”のフィルターのようなものになって、その人をガチガチに固め上げて、自由意志が消える。そんな状態。
道理としては、受けたものを返すことができるということは美徳であり、一種の前提として機能しているように思えます。
社会を一つのシステムとして考えた時の”プロトコル”といっても過言ではないほど、根付いている考え方でしょう。
とはいえ、主人公のように”好きと感じる存在”との関係性の中でさえ、このフィルターに縛られてしまうのは、それはなんとも空しく思えるな、と。
決して”勝手であれ”という意味ではありません。
関係が壊れてしまうことを考えてしまいますから。
ただ、その”返す行為”で、自分がすり減り続けるとするなら、
やっと見出した好意の関係の中とはいえ、”心を休ませられる・満たされる”と感じられるのかな?
私はそうは思えないんです。そう思いきれない。
多分とても寂しい気持ち、孤独感を感じる。
少なくともそう感じているように見えた場面でした。
恥と殻の話
”恥は消えない。ぼんやりとしていくことはあっても、それ自体が取りされることはない。
そして、時として恥は咎になり、恐怖という形でまとわりついてくることにもなり得る。”
作品を通して、主人公は自分がセックスワークに従事したこと、拒み切れなかったことに”恥”を感じている様に見えます。実際そういった表現も出てきました。
そこで思ったのが、上記の内容です。
無論、その行為が”社会的に見てどう”という話は関係なく、個人の考えとしてそうなっている。そういった受け取り方をした方がいいと感じました。
人によっては時間で解決することももちろんあるとは思います。
ただ、主人公の場合はそうはならなかった。
誰かに話すこともできない恥となり、自分の中での咎となってしまったのだと思います。
”人間誰しも何か後ろ暗い。”と何かで読んだ気もします。
ただその暗い何かを表に出さないための”殻”、
自分(の何か)を守るために作った殻に閉じこもっていればいるほど、
自分を傷つけてしまうのかもしれません。
また、プレイしながら、私自身も恐らくそういったものがあるんだろうとも思いました。
主人公のように経験というものではないでしょうが、言えない黒さというものを日々感じることがあります。
出ることはできるのか、出していいものなのか、正直に言えばわかりません。
トラウマの話
本作は概要でも触れましたが、主人公のトラウマとなった経験が主題になっています。恥を背負うこととなった出来事。先ほど述べた話はその中で生まれたもの、その一部と言えるでしょう。
でも、最終的に作者さんはそのトラウマを一本の作品として公開することにしたわけです。その形態として仮想世界であるゲーム(ビジュアルノベル)をとった。
誰かが演じるドラマでもなく、文字だけの文章でもなく。
トラウマを誰かに伝えるということは、実体験から言えることですが、非常に難しいことだと思っています。
”拒絶されないか”、”自分自身がそれを伝えられるだけの言葉を持つか”、”そもそも理解されるのか”。
そして、”自分が自身のトラウマに触れることに耐えられるか”という問題。
「それでも作るしかなかった。」んだろうと思います。
恥の苦痛から少しでも解放されるために。そして自分にとって無理やりでも進むために。
恥とトラウマをずっと自分の中だけに抱え続けることは、きっとできない。
身近な存在でなくてもいい、どこかの誰かわからずとも、それをオープンにすること。
もっといえば、その覚悟と決意をもつことが、向き合い方として必要なのかもしれないと思いました。
さいごに
では。そうして明かしてくれたこと自体をどう捉えるのか、受け手としてどう言葉にするのか、言葉にする必要なんてないかもしれない。
ただ、あえて記録として残すとしたら?
もしかすると、その事実は当人に伝わるかもしれない。
と考えながら書かせていただきました。
いつもながら読みにくい部分が多かったかと思います…m(__)m
では最後に、一言。
”私はこの作品を最後までプレイしました。”
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