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『とりあえずやってみる』が減ってきた

小学校低学年だった頃、家から学校までの通学路は約1時間の長い道のりだった。
途中、瀬戸内海へ繋がる大きな川を3回超え、最終的に山の上にある学校へ向かう。
行きは集団登校だが、帰りはバラバラ下校。
当時ビビりだが好奇心旺盛だった僕にとって、下校の道のりは、幼いながらに大冒険の毎日だったことを記憶している。
基本的に親や先生から「やってはいけないよ」と言われると全部やりたくなるので、最低だが、やってはいけないことを、漏れなくやっていた。
本当に両親には迷惑と心配をかけただろうなと、自分が父親になった今なら理解できる。


◇日々が冒険◇



当時、僕にとって数か所、最高にハラハラするポイントが通学路にあった。
潮が引いたら降りてカニやアサリが取れる浜辺や、漫画やエッチな本が落ちている竹やぶ、なぜか小銭が落ちまくっている芝生ハナムグリやクワガタが沢山いる森折って吸ったら酸っぱい草が生えている原っぱ。
これらを含む全ての世界が、当時の僕の好奇心をくすぐっていた。
毎日1時間で終わるはずの帰路は、2時間になることもざらにあったと親から聞いた。

そんな魅力にまみれた通学路には、川を遠回りで回って渡らないといけない箇所があった。
こちらの川岸から対岸の通学路を見つめて、
「ここに橋でもあれば真っすぐ渡れて楽なのに」という話を、年上の子たちと毎日のように話しながら通学した記憶がある。

そう、子供はいつだって楽をしたいもので、
ある日、4学年上の子が「ショートカット出来る道、見つけたぞ!」とはしゃぎだした。
その道は、一見しただけでおぞましく、「あー、これは恐怖と引き換えに時間短縮を手に入れることが出来る道」だと、幼いながら似たような理解をしたことを覚えている。

この写真をご覧いただきたい。

出典 全てGoogleさま

そう、写真にある山陽本線の線路脇を赤い矢印のように進めば、
通学時間を大幅にカット出来ると、先輩は僕たちにのたまったのだ。
ちなみにそこは、もちろん歩行用の道ではなく、(大人になってわかったのだが、)線路の修繕を行う人が命綱を付けて渡る箇所であった。
当時一度だけ、僕の好奇心が恐怖に打ち勝ち、無謀にもこの道ではない道を進んだことがある。
今でもたまに夢に見るのだから、相当に怖かったのだろう。
踏み出す前の一歩は軽快で、最初の数歩は、なんてことはなかったことを記憶している。
10歩くらいだろうか、歩いた時に、下を見てしまった。
先ほどまで踏みしめていた足元の鉄板はなぜか、網目状に変わり、いらないのにやけに見晴らしが良くなった眼下には、白波が渦を巻いている。(引き潮の時に、海と川の間は波がぶつかる時がある。)
そこでこれまでに感じたことが無い恐怖心を覚え、足が動かなくなってしまった。
落ちたら死ぬ
絶対そうなると、小学校2年の自分にも理解できた。
「ちなみにこれ、横に電車来てしまったらどうなるんだろう」
とか、
「もう親や友達には会えないかもしれない」と思うと、涙があふれてきた。
行くも地獄、戻るも地獄。
結果、四つん這いの格好になりながら、慎重すぎるくらい慎重に1歩ずつ歩を進めて、なんとか渡り切った。
普通の通学路で渡った方が早かったことは言うまでもない。
帰って泣きじゃくる僕に理由を聞いた母。
正直にこの事を話したら両親からボロクソに怒られて、先に感じた恐怖と相まって、「あぁ、もう二度とこんなことはしないでおこう。」と心に決めたことを覚えている。


当時は、橋の上から下を見ると
死ぬ程高く感じた
今でこそ線路脇に壁あるけど、当時は無かった
水が引いてたらこんな感じ。満ち潮や、引き始めの時の水量はまあまあえぐい。

改めて表題の件だが、「とりあえずやってみる」ということが、昨今減ってきたように感じる。
上記した様な、道じゃない道を渡るなんてことは、勿論過去も今も、やってはいけない。
ただ、「とりあえずやってみる」を疎かにして、最近やれていない自分自身もそうだし、自分の子供にも普段何気なく「とりあえずやってみる」をさせれていない自分を反省しないといけない。

「とりあえずやってみる」減少の理由はいくつかあるのだろうが、一番はネットの発達だと思っている。
今は「とりあえずやってみ」なくても、ネットで検索、もっと言えばスマホに質問すれば答えを教えてくれる世の中だ。

僕たちが幼かった頃は、
浜辺のカニをどのようにすれば、巣の穴から誘い出せるのかは、先輩や親から聞くよりも、まず自分で色々試してみたし、
竹林で雨に濡れてかっぴかぴに引っ付いた漫画やいやらしい本をなんとかして読めないものかと格闘したし、
なぜか小銭が落ちている芝生では、一度見つけた箇所から法則を自分たちなりに考えて新しい小銭を探したし、
ハナムグリ(コガネムシみたいなやつ)は捕まえた後に、図鑑で名前を知ったし、
基本的に通学路に生えている草(今思えば雑草)は手あたり次第口に入れて食べられるかどうか試したりしたものだ。

今考えたら、さっきの線路脇を無謀に横断したことも、上に列挙した謎の「とりあえずやってみた」的な行動も、今、日常生きる上で胸を張れるほどの経験や知識では無いのだが、今の自分自身や、自分自身の好奇心の核を作っている原体験だったと思っている。

なのに自分は子育てで、
あれは危ないからやめとき!
これはこうした方が上手くいくで!
子供の「とりあえずやってみる」力(りょく)を削ぎまくっているんだから、終わっている
でもケガとかはしてほしくないんよな。w
その思いとも上手く向き合いつつ、
子たちがさまざまなことに好奇心を寄せ、
いかなることもまずは自分で「とりあえずやってみて」確かめては学ぶ人間になって欲しい
なあと、
ふと思った11月月初であった。


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