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「距離が近い」から妬ましい

私は動物の動画が好きです。
SNSや動画投稿サイトで、動物の動画が流れてくると気分が上がります。

動物の飼い主さんが「私のかわいい~ちゃん!」とハートマークいっぱいのコメントをつけて載せていても、「うわー!本当だめっちゃかわいい~!」と愛でることができます。

それが、子どもの写真に変わると話は一変します。
「私のかわいい~ちゃん!」なんてコメントが流れてきた日には、死んだ目になって、そっとミュート機能を押してしまうでしょう。


この違い、「私が妊活中だから」と言ってしまえばそれまでなのですが、もう少し掘り下げて考えるに、「距離が近すぎるから」かな?と思いました。


1つ目は、その「事柄」自体との距離です。

動物に対して、私は久しぶりに遊びに来た孫を見守るかのように、無責任に、ただ可愛がりたいという感情だけで関わっていられます。

これが、もし動物を飼いたくて飼いたくてたまらないのに親に飼うことを許されない中学生だったら、悔しくて動画を消してしまうかもしれません。
あるいは、動物とお別れしたばかりの人だったら、涙が止まらなくなってしまうかもしれません。

いずれも「動物」に対して、怒りや悲しみといった感情が沸き上がるほど距離が近すぎるのです。


妊活がうまく行かない今の私にとって、「子どもとの幸せな生活」は、それはもう真横にあるといってもいいほど近すぎる事象です。

毎月の生理に落胆し、友人は次々と子どもが生まれ……という、小説やネットでいくらでも見聞きするような状況が、今まさに重みを持って両肩にのしかかっています。


2つ目は、その「事柄」を持っている人との距離。

数年前は、「婚活」で同じ状況に陥っていました。
結婚生活の話なんて、子どものころは聞いたところで何も思わなかったのに、いざ自分が婚活の戦いに放り込まれると、途端に劇薬にチェンジ!

特に、身近でそういう話を聞くと厄介で、劇薬の威力は何倍にも膨れ上がるのです。

ネットの見ず知らずの人の話でさえ、もやもやするのです。
身近な人ともなると、もう万倍辛い!
あまりにその人との距離が近すぎて、リアルな「幸せな結婚生活」像が想像できてしまい、ぐ~っと実体を持って押し寄せてくるからです。


そういうときは、距離をとるようにしていました。

向こうにどれほど悪気がなかろうと、距離を置かなければ保てませんでした。
そのまま放っておくと、「結婚」へのマイナス感情が「その人自身」へと移ってしまうことに気が付いたのです。
「幸せな結婚をした人に対して突然距離をとるなんて、人間ができていないな……」と思ったりもしたのですが、距離が近すぎて良いことなんて一つもありませんでした。


私には学生時代からの友人がいるのですが、先日、彼女からめでたく授かったとの報告がありました。

祝福の気持ちと同時に、「これは距離をとらないとキツイな」と思いました。

同時期、不妊治療を乗り越えてようやく子どもを授かった先輩に対しては祝福の気持ちしか湧かなかったのですが、彼女に対して私は「キツイ」と感じてしまいました。

なにせ彼女との距離が近すぎたのです。
報告は結婚と同時でした。
昨日まで、私にとって「友人」として話していた彼女が、「私は手に入らない幸せを難なく手に入れた友人」に、準備期間もなく一瞬で早変わりしてしまったのです。

私は正直に自分の状況を打ち明け、彼女もまた納得して、十分に配慮をしてくれています。
それでも彼女のSNSを見続けるのは辛い!

表立って「何か月目~!」とか「ベビー用品ゲット~!」といった写真があるわけではないのです。
ただ、たまに「おなかが痛い」や「具合が悪い」といったコメントを見るだけで、彼女の生活が容易に想像できてしまう距離にいる私は、邪推をしてしまうのです。

これは懺悔になるのですが、彼女のSNSをミュートにしてしまいました。
この距離にいるのは辛すぎると判断しました。

もちろん会えば普通に話もしますし、向こうからの仲を維持しようという健気な努力にも感謝の気持ちでいっぱいです。
けれど、この距離にいたらきっと、彼女自身をマイナスのカテゴリーに移してしまう。それが一番駄目な気がしました。

ミュートにしてからは、心が穏やかになりました。
元気ハツラツなときには彼女の更新を覗きに行って、応援したりもしています。
意外なことに、それくらいなら続けられるのです。
身近でずっと見続けなければいいのだな、と学びました。


そう考えると、距離を取るのは悪いことだと感じなくてもいいのかもしれません。
むしろ、距離を取ったり取られたりすることにも、相手への思いやりがある場合も?

ただのフェードアウトということもありますが、取りようは自由ということで。

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