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嫌な予感

お久しぶりです。約二ヶ月ぶりの投稿となりました。新曲をボカコレに間に合わせようと苦心したのですが、新学期が始まってしまい如何せん学業で手一杯で、惜しくも間に合わせることができませんでした… 次こそはボカコレに必ず参戦したいと考えております。

また似たようなテーマで曲を書いてしまいました。自分は明るかったり優しい曲を好んで聞くのですが、どうしても自分の性質には逆らえないようでして、暗く低音が強い曲ばかりできてしまいます。何度か明るい曲を作ろうとしましたが、作曲は何番煎じかもわからないフレーズばかりが浮かび、作詞は歯の浮くような、俗に言う「クサい」ものばかりが出て、全く筆が進まないので泣く泣く断念いたしました。より力をつけた時にまた挑戦してみたいと思っています。

恐る恐る処女作を投稿したのですが、定型文でも貰えるコメントやいいねは非常に嬉しかったです。広告で広めてもらった事を知った時はもう欣喜雀躍したのですが、それと同時に何か申し訳ないというような気持ちも起きてしまいました。なんかこんな状況、ツイッターで回ってきたのを見たことあったような…
↓このことでした。
太宰治 自作を語る-青空文庫 12段落目
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/42366_15876.html

曲の解体新書を作るのは野暮なことだと感じてはいますが、所詮読者の少ないnoteであること、胸中を何処かで開放したがる自分の性、備忘録も兼ねて少し記そうと思います。後に書いてあるのは陰キャが如何にも早口で言ってそうな文章だけになっておりますので、忙しい人は飛ばしてしまって大丈夫です。

新曲が出来る少し前に太宰治の「駆込み訴え」が元ネタになっているのでは?と言われているボカロが発表されました。そこで気になって聴いてみたところ、とても面白く、曲と照らし合わせてみたりして「あぁ、なるほどなぁ」と一人楽しんでいました。そのボカロは大好きな曲の一つとなったのですが、何故か自分はその「駆込み訴え」に奇妙な程に傾倒しました。作品を何十回も読み、それまで少し避けていた朗読も聞くようになりました。とある朗読動画の概要欄にこんな記載がありました。

      「推し活の果てを描く太宰治の傑作を朗読します」

そうか、これなのだ!!! 自分は心情を上手く言語化出来ず四苦八苦することが度々あり、似たような境遇の方のブログや掲示板にある上手く言語化された心情の書き込みを見るたびに溜飲が下がるという経験が何度もあったのですが、今回も「それ」でした。推し活。私はかなり保守的な考え方を持っており、所謂懐古厨であります。その性故に思うことが再三ありました。
私はとあるボカロPが大好きなのでありますが、最近落ちぶれてしまう怪しい兆候を見出してしまうのです。度重なるミクではない本人歌唱の歌に、リプ欄にて見る回数の多くなった女のリアコ勢の増加。某元ボカロPに対するアンサーソングと矛盾しているのでは?というような影。そんな姿勢に対する異論に中指立てるような歌詞。元々そんなかませ犬のような姿勢に惹かれてはいたのですが、その対象が変わり、愈々鬱屈とした気持ちが目の前を真っ暗にしてしまいました。いや、仕様がないのです。「私達リスナーは井戸が枯れたら、遊牧民のように次なる安息の地を見つける他ないのです!」という正論右ストレートが聞こえてきそうですが、それでもこの胸の蟠りは消えないので曲にしてみようというのが今回の新曲の解体新書です。こんな事をいたずらに書き綴りましたが結局そのボカロPはずっと好きでしょう。ライブも行こうと思います(観客、リアコだらけだったら嫌だなぁ...)。

こんな曲の作り方では似たようなつまらないものばかりが出来てしまうのでいつかは直したいです。そのためには勉強、勉強、勉強! 学問に王道なし(但し王道進行は存在する)。

それでは次の砂場で。またこんど!


話に出てきた出てきた朗読動画↓

【朗読枠】駈込み訴え/ 太宰治【にじさんじ/ジョー・力一】
https://www.youtube.com/watch?v=LuR7DVOspmw

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