ゲンロンSF創作講座 便乗小説#2 「ダークフォトンの水底で」(3)

3 サウンド・オブ・サイレンス

 <(1)「水」は世界相対的であるが、その意味においては一定である、(つまり、語は一定の相対的意味をもつ)と主張される。この理論では、「水」はW1とW2で同じものを意味するのであって、まさに、水はW1ではH2O、W2ではXYZである。 (ヒラリー・パットナム 「意味」の意味)

 ……この理論を、我々は前提から変形させる必要に迫られたのだった。すなわち

(2)しかし、W1(すなわち地球)でH2Oであったものが、W2(すなわち双子惑星ユクス)でXYZと言明されたとき、言葉の差異によって意味が変化してしまったと考えられる。ユクスにおいては、概念「水」が物質の内包や外延に先立つという転倒が発生する。

 ……という仮説が確実であるように思えるのだ>

 熱帯はお好きですか? 熱帯は好きです。 リゾートはお好きですか? もちろんリゾートが好きです。定番だろうけどセブ島が最高だった。観光客少ないオフシーズンでさ、でも、あいつはもちろん紫外線に弱いから、日中はずっとホテルでダラダラし、夜になったら月灯り星灯りの下、海岸をどんどん歩いて、1000回くらいキスして、「音葉なんていらないね」って笑いあった。あいつは夜の海を愛した。おれの足音がいつでもよく聞こえるし、波とか風とか、ユクスには無い優しい音があふれてたから。つば広の帽子が風で飛ばされて、月の下の真っ白いあいつはこの夜の存在と思えないほど美しかった。でも、どこか遠くにも思えて、おれは叶わないと思いながらも、太陽の下で日焼けするあいつをみたいと願ったのだ。いい話でしょ、はい、ハンカチやるから涙拭きな。
 そんなわけで、リゾートといえば、ジャングル、熱帯、スコール、海である。ところがユクスのジャングルは、寒い。この惑星の気の狂った水は、寒暖差の激しい地域でもくもく霧になって、雨を昇らせる。木はなるたけ多く雨を捕まえるため、ねじくれた枝を好き放題に伸ばしてる。光合成の必要がないのだから、当然葉は一枚も無い。
「このジャングルの木々は、苦しみにのたうち回る聖人の姿、って言われています」
 へぇ、おれには昼寝して、好き勝手身体を伸ばしてる連中に聞こえるね。のんびりリゾートライフって感じでいいじゃんか。へっくしょん。霧に体温を奪われて肌寒い。おれの先を歩くのは「魔術師」。オカルティックな二つ名に反して、聞いた感じはいかにも普通。中肉中背ちょっとお腹が出始め。こんな密林なのに律儀にジャケット着てる。へっくしょい。単に寒さ対策なのかもしれない。ほかの連中は、近くの町に生存者探しに出かけてる。
「もうすぐ到着ですよ」
 言われなくても、少し前からおれにはその建物が聞こえていた。ていうか、ここ何なの? そろそろ種明かししてよ。
「ダイジは地球人の研究グループに加わる予定だったんですよね? ここが、その研究所のある町です。ユクスでも最大級の学術都市ですよ」
 うええ、マジで? 地球で言えばボストン的な? いやいや、言っちゃ悪いけど、リゾート地にしか聞こえないんだけどな。ていうか、なんでわざわざジャングルの中につくったのよ。ああ、やっぱこの星でも水が多い場所は大切なのね。そういや地球人が取り組んでたのも水の研究だったよな。それでか。
 おれたちはようやく森を抜け、ログハウスの立ち並ぶ広場に着く。円形に並んだ建物。広場の中央に集まった人々が何か奇妙な音を立てている。なんじゃ、あれは。
「ユクスの科学者たちですね。ついでに言うと、私もその一人です」
 枝でバシバシ樹を叩きながら、ぶつぶつ変な音葉を繰り返してる……野蛮人にしか聞こえねぇんだけどな。あ、いや、悪かった。そんなピリピリした音を立てんなよ。
「普段なら、今の失言だけで訴えられてるとこですよ」
 今が普段とは違ってラッキーなことで。なあ、魔術師よ、それじゃああいつらも、共感の力が足りない冷たい人間なのか?
「そうでしょうね」
 そっけない音葉。挨拶もせずそいつらの横を通りぬけ、舗装された道をゆく。ジャングルから響く雨音、コウモリやヨタカの羽ばたきがうるさくて、補聴器を調整して聴覚を絞る。地球人の研究所にはすぐ到着した。つっても、これもちょっとデカいログハウスにしか聞こえないんだけどな。

<……最初の事例が報告されたのは117日前のことだった。「トゲの木」によれば、鳴き声の直下にあった町では、地球人を除く全員が即座に自殺を試みたらしい。われわれは、これまでユクス人の自殺について耳にすることはなかった。言葉の力が過剰なこの惑星では、死について語ることが現実の死を招き寄せる結果にもなりかねないからだ>

 日付を聴くと、今から2か月前。「最初の事例」とやらは、半年ほど前に起きたことらしい。おれは、懐かしい地球製のノートパソコンを音声入力で操作する。巻き舌を多用する語り手は、ユクスの研究者チームのリーダーだ。出発する前、彼の研究テープを何時間も聴いたから間違いない。

<……我々は、ユクスのそれを「ミズ2」と名付け、地球の「水1」と区別した。ユクスの様々な物質を地球に送り、それらを分析した結果、ミズ2以外の物質は全く同じ化学組成を持っていることを確認した。しかし、ミズ2だけは、地球のそれと比べてきわめて特殊な組成である。彼らはこれに、H2Oではなく、XYZという意味の記号を当てはめている>

 ログハウスの中が几帳面に整頓されてんのに対し、パソコンの中のデータはバラバラだ。ほら、デスクトップがファイルだらけになってる奴いるでしょ? 音声操作してるもんだから、余計ひどい。おれはかたっぱしからそれらしいデータを再生していった。

<……ユクス人の科学者たちが研究する最大の分野が「言語科学」である。にわかに信じがたい現象ではあるが、この光の無い世界で彼らが文明を築き上げることが出来た理由はほかに考えられないだろう。地球であれば魔術・呪術の類と呼ばれるに違いない。言語が行為そのもの、現実へ変わってしまうなどということは>

 ていうか意味不明だなこれ。おれ、こんなの研究するために呼ばれたわけ? 職につけなくてよかったのかもなぁ。いや、こんな話はどうだっていい。今おれが知りたいのは、ユクスがおかれている状況だ。最初に聴いたファイルの続きはどこだ。と、ようやく日記フォルダに行き当たる。

<……ひと月ほど前から集団避難が始まり、すでに地球人の97%がこの惑星を脱出した。連鎖自殺は伝播し続けて、犠牲者―こう言ってよければ―の数は、全人口の五割を超えたらしい。宇宙クジラの断末魔はついに隣町のシューデにも届き、私と付き合いのある数人が早くも命を絶った。数日前、私は友人の「疑問符」と話していた。耳の良いかれは、既にその悲鳴が自分の耳に届いていることを告げた。想像できるかい、と彼は聞く。想像できるかい、朝起きてから、夜眠るまで、絶え間なく死の嘆きを聞かされる気分を。もし地球人にあてはめるのであれば、ひっきりなしに殺人の映像を見せられるようなものだろうか。いや、「疑問符」はそれを、現実として、直接の振動として聞くのだ。現実に、目の前で、罪なき人々が苦しみながら死んでいくのを延々と「見せ」られたとき、地球人のどれほどが狂わずいられるだろうか。
 実際には、一日中声が響いているというわけではない。しかし、ユクスの人々は、一連の音声をイメージとして記憶する。例えば、数分間の文章を読み上げたとする。ユクス人なら誰でも、それを一度で完璧に覚え、一言一句間違えずに繰り返してみせる。研究室に出入りしていた14歳の少年は、退屈だという理由で、音声版聖書を(新約・旧約併せて)3日で丸暗記してしまった。今回ばかりはその能力が災いした。「疑問符」の頭の中で、嘆きは何度も繰り返され、新しい悲鳴が聞こえる度に次第に積み重なっていくという。そうして、体の中に絶望があふれて最初の誰かが死ぬ。出来る限り静かに。けれど、だれかが耐えられなくなって悲しみの叫びをあげる。そうなればもう連鎖は止まらない。ユクスの町はそれぞれが小さく1000人ほど。互いの声を知らない人はほとんどいない、一つの家族のような共同体だ。再び地球にたとえよう。家族の自殺した場面をじっと「見」続けなくてはいけないとしたら、どれだけの者が平静でいられるのか。
 言葉を重ねたとしても、地球に住む人々には、その信条は理解されないだろう。ここにいる学者たちでさえ首をひねっているのだ。しかし、私には痛いほどに分かるのだ。私は失明するずっと以前、環境保護団体に属しており、日本の調査捕鯨に反対するキャンペーンに参加したことがある。南氷洋の凍てつく大気の中、頼りないゴムボートに乗って、捕鯨船からの放水に耐えながら、小さな横断幕を振りかざした。私たちは海洋生態系の破壊という観点からキャンペーンを行っており、彼らの仕事、捕鯨という行為、その伝統にも敬意を持つべきだと考えていた。実際に、捕鯨船の一部の人々から理解を得られ、ほとんど報道はされなかったがなごやかなコミュニケーションもあった。私個人にも、動物愛護的な思想はそれまで全く無かった。しかし、あの日、キャッチャーボートに追われ、私の乗るゴムボートの真下をジグザグに泳ぐミンククジラの声を聴いたとき、もはや平静ではいられなくなった。捕鯨砲の轟音が空気を引き裂いたのと同時に、私は慟哭していた。私の頭の中は、これまでに見た様々な戦争映画や報道のイメージ、誰かが殺されるときの恐怖や悲しみによって満たされていた。振り向けば、海面を赤くそめながら、まだ息絶えていない7メートルの身体がのたうっている。私たちのボートの邪魔がなければ、即死にしてやれたのかもしれない。船首で銃身の長いライフルを構えた砲手が、とどめの一発を放ち、クジラはもう動くのをやめた。
 その後も私は肉を食べ続けた。多くの命を奪って生きているのに、ただ一度の漁を特別視するのは欺瞞に他ならない。頭ではわかっている。しかしあの時のこと、悲鳴と銃声、そして恐怖のイメージは、光を失ったいまでもありありと思い描くことが出来る。クジラややイルカには共感能力がある、その歌にはテレパシー的な力がある、といった怪しげな研究結果を聞くたび、私は科学者としての自分を忘れ、それを信じてしまいたくなる。
 昨日になってようやく、すべての研究者がこの場所を出た。「我々地球人はユクス人のような共感能力を持っていないのだから、残ってこの現象を見届けるべきだ」という声もあった。しかし私は彼らに帰還を命令した。彼らは気が付いていないのだ。宇宙クジラは気まぐれに死んでいるのではない。もっと大きな何かがこの後にやってくるだろう。 
 私の訪問が終わってすぐ、「疑問符」が毒を飲んだことを知った。最近出回っている「サイレンス」という毒薬は、確実に彼らの息を止めてくれる。一人で静かに死ぬことは、誰かが後を追うことを防ぐために重要なことだ。遺言も残さない。だが、「疑問符」の死を聞いてから、私の内側にあの南氷洋のミンククジラの断末魔の声が聞こえだした。やがて空からの嘆き声が加わり悲鳴は二重奏になった。私は今日まで耐えてきた。もう家主のいなくなった「疑問符」の部屋に行くと、貸していた地球の音楽プレーヤーの上、一粒の錠剤が指に触れた。「ハロー、暗闇よ、私の懐かしい友よ」私は古い歌の一説を口ずさんだ。反響する悲鳴のループが頭を見たしている。私はいま、沈黙を聞きたい。それだけだ>

 なあ、魔術師、この星ってなんなん?
「地球に、オイディプス王ってのがいたでしょう?」
 唐突だな。いや、いねーから。あれ神話だから。
「王は最後に自らの両目を突き刺し、地球を追われる。そうして流れ着いたのがユクスなんですよ。私たちはその末裔なんだ」
 無視かよ。ていうか詩かよポエムかよいい年して中二病ですか? まあ魔術師って二つ名の時点で察するべきだったよな。ところでさ、こいつら……あ、いや、この研究者のみなさまって何してるの? つーかこれ、もしかして、水なのか?
「ええ、『水1』ですよ。組成はH2O。当然気体よりも重いので、こうして溜めることが出来る。本来はユクスに存在しない物質」
 一人の研究者が水筒をさかさまにし、ほかの数名がそれに向かって何かをつぶやいている。「お前は沈む、お前は空気より重い」とかなんとか。ぽとり、と水滴。続いてちょろちょろ、水筒から水(?)が滴り落ちる。
「言語科学です」
 おれが聞くよりも先に解説がきた! それも「ハンドパワーです」ばりの有無を言わせぬやつ! 科学! 科学ばんざい! 再現性は? 反証可能なの?
「サンタクロースの不在は証明可能だと思いますか?」
 地球文明に詳しいなこいつ! そういうんじゃなくてさ、だってこれ、物理現象でしょ?
「地球に『ブラッド・ミュージック』という興味深いSF小説がありますね。ユクスにも音声データで広まりました」
 わー、こいつ、人の話を聞かないやつだ!
「血液の中で思考する、微小な『バイオAI』のアイディアが印象的で、後半にある奇妙な理論は忘れられがちです。端的に言えば、『観測することが遡及的に物理法則を決定する』というものだ。シュリーマンが発見するまで、トロイアの遺跡は神話の中の存在だった。だから、オイディプス王の実在だって決して否定しきれない。物理法則でさえもそうだ。粒はバラバラに存在し、あいまいな『もや』のように確定しきっていないんです」
 馬鹿を言え。宇宙開闢の瞬間から、保存則は本質的に絶対的に同じだ。説明する言葉が変わっただけだ。宇宙人だろうが宇宙クジラだろうが、重力にはしたがってもらうからな!
 おれがそう叫んだとき、どばしゃん。さっきの水筒に残っていた中身が器へと落ちた。
「よくできました。あなたも立派な言語科学者ですね」
 ぱんぱん、と魔術師は手を叩いて聞かせた。やばい、こいつすっげえ嫌い。
「ね、ダイジ。ダイジがこの星に呼ばれた理由は聞いていますか?」
 気付けば、おれたちの周りを十数人のユクス人が取り巻いている。肩に担がれた大きな何かは、まだうまく聞こえない。おれは音柱の反響に耳を澄ませ……それがカヌーだと確認した。しかし、この星の海ははるか空の上だ。そのオールは何を漕ぐというのか。
「知らないのなら、教えてあげますよ。その代わり、ダイジには少し協力してもらいたいんです」
 協力? 嫌な予感しかしねえな。
「今から1つの儀礼をするんです。ダイジと、私とで」
 
 ヒラリー・パットナムはアメリカ言語哲学の重鎮の一人。映画『マトリクス』のネタ元と言っても通じそうな「桶の中の脳」など、SF的な思考実験が良く知られている。「双子の地球」もそうしたものの1つで、1975年に書かれた論文「『意味』の意味」の中に登場する。宇宙のどこかに、地球と同じ規模の惑星があると仮定する。その星にあるものは、ほとんど何もかもが地球と変わらない。同じ国家、同じ言語、同じ文化、あなたと同じ名前で同じ人生を歩む人間をそこに置いても構わない。ただ1つの違いは、双方の惑星で「水」と呼ばれているものの化学組成だ。地球では当然「H2O」のそれが、双子の惑星では非常に複雑で、容易に示せないような結合をした分子である。仮にその組成を「XYZ」としよう。さて、問題となるのは言語だ。地球に住んでいる青年、ダイジ1が「水」と言うとき、それは「H2O」を意味している。ところが双子の惑星に住むダイジ2が「水」というとき、それは「XYZ」を意味している。ここで、時間を17世紀に巻き戻し、まだアボガドロとアンペールが分子説を提唱する以前の時代を考えよう。この時点では、二つの星の「水」という発話と、それが示している意味を区別することは出来ない。よって、言葉の「意味」は単に人間心理の中だけに存在するのではなく、人間を取り囲む世界、社会、知識体系の中にも埋め込まれていることが証明される。
 結論文として述べられる「要するに、意味は頭の中にはないのだ」という言葉を、若き水基大事は幾度も眺めた。はじめはそれこそ意味が分からず首を捻りながら。次第に理解を深め、うなずきとともに。論文単体を切り出したとしても、時代背景を知らなければ、このことの何がそれほど重要な話かはピンとこないだろう。誤解を覚悟で単純化すれば、それは「哲学」への疑いから始まった。もっと限定すれば、「言語で本質を定義しようとする行為」に対しての疑念だ。哲学はものごとの本質を始め様々な事象を論じるが、実際にそれが記述・描写されるとき、主に媒介として用いられるのは言語である。カント、デカルト、プラトン、誰でも良い。我々はそれらの哲学を学び、何かを「理解」した、と感じる。しかしそれは、例えば【2+2=4】という数式を「理解」する体験とは比べ物にならないほど曖昧なものだろう。真実について語ろうとしているのに、それを媒介する言語はあまりにもファジーではないか。その問題意識から、「言語それ自体を思考・検討の対象にすべきである」という大きな流れが20世紀哲学の中で巻き起こった。
 「言語が現実を構成する」というのは、「言語論的転回」と呼ばれたこのムーブメントの合言葉だった。それはもちろん、人間の認識について言ったものだ。しかし、視覚を持たず、音と発話こそが現実の大部分を構成する惑星ユクスでは、それが物質の、具体的なレベルにまで及ぶようになる。

<呪術は人に自然力を支配する力を与えるものであり!
 四方から人間に襲い掛かってくる多くの危険に対する武器と甲冑なのだ!>

 「言語行為論」とは、言語をメッセージの媒介物としてではなく、発話することそれ自体が意味を帯びているような状況について考えたものだ。キリスト教の「アーメン」の発話や、仏教の念仏。文化人類学が対象としてきた「呪術」はその極北だろう。ユクスの「言語科学」とは、言葉によって現実を変化させようとするもので、その実際は実行力を持った呪術に他ならない。

<おお、木よ! 木は飛ぶ!
 木は風の息吹のようになる!
 木は蝶のようになる!
 木は綿毛のようになる!>

 いま、二人を取り囲んでいる言語科学者たちは、ばしん、ばしん、カヌーを枝で打ち据えながら、パプア・ニューギニアの群島でかつて用いられた呪文を高く、低く繰り返している。地球人が「野蛮人」と表現したその身振りこそ、ユクスでは最先端の科学なのだった。
 ダイジは戸惑う。彼は「哲学的探究心」といった強烈なモチベーションで言語哲学を志したのではない。「言葉の力」どころか、21世紀の地球では言葉のインフレーションが起こっている。インターネットを介してやりとりされるテキスト情報は、それまで交換されていた情報量を何十倍にも跳ね上げた。仮に、電波の伝える情報をそのまま可視化できるデバイスがあるとすれば、視界は文字情報の海で満たされるだろう。その大海に、ねこ画像や歌い手動画が島のように浮かんでいるかもしれない。

<どこに呪術の本当の力があるのか?
呪文のなかに!
どこで人間は呪術を見つけたか?
すべての呪術は、地下の世界でむかし発見された!>

 だがそれは、言語科学のほんの僅かな、米粒のような発露にすぎない。あらゆる情報から閉ざされた惑星ユクスは、かつてはあいまいで、あらゆる可能性が重ねあわせの状態で存在していた。1970年代になり、地球でダークマターの立証が行われた際に、ユクスは1つの形を取り始める。同じ頃、言語学者パットナムの論じた「双子の地球の水」論文が、ユクスに異なる形を与え、それは過去へも波及する。現在という1点を基準に、未来と過去の双方向へと伸びる双子の世界樹。認識されたその瞬間になってはじめて、ユクスは「過去から現在までずっと水がXYZであった」世界の形を取る。それはまるで「セカイ系」めいた状況だ。『新世紀エヴァンゲリオン』のラストのように、認識が世界そのものを遡及的に変革してしまう。富野や宮崎がその世界観を鋭く批判し、作品と結び付けられ語られたオウム真理教の記憶が風化しても、「セカイ系」は未だ、いやむしろ潜在的にはより強く、物語の想像力の中に埋め込まれている。
 人間の意識が、物理法則や時間に対しても影響を与える。それは量子レベルでは実際に起こっていることだ。EPRパラドクス、さらにホイーラーの遅延選択は、人間の観測が過去を遡及的に決定する可能性を示唆している。仮に正しかったとしても、もちろんそれはミクロの世界の出来事だ。現実世界の歴史全てが、あるいは法則の全てが、他者の観測で措定されるなどということは考えられない。だが、もしも、暗黒物質に沈んだ、原理的に観測が不可能な惑星世界があるとしたら?

<私は自分のカヌーを、そのまんなかの部分で、呪術を施して扱うだろう
 私はその胴体を扱うだろう 
 私は自分のかぐわしい花の花輪を取るだろう
 私はそれを自分のカヌーの頭につけるだろう>

 地球人は、科学的解明という御旗をユクスの大地に突き立て研究を開始した。彼らはポストコロニアリズムとの誹りも受けなかったし、また自分たちでも、それが「イラクの自由作戦」のような「文明の押し付け」だというような疑問は抱かなかった。それとこれは全く違う。例えどれほど伝統文化に根ざしたものであっても、少女割礼、復讐の首狩り、人肉食等はひとつの暗黒であり、撲滅されるものだ。いや、百歩譲り、それらの価値を掘り出し立ちふさがる文化人類学者の顔を立ててやっても良い。それでも、これは違う。我々はただ、この「ミズ2=XYZ」なる奇妙なありえない組成を分析し、我々の科学の体系に組み込みたいだけだ。ユクスの人々へ不利益を与える要因は何もない。そして、研究の結果ユクスに有用な理論が発見されれば喜んでシェアしよう。(おそらく特許料を頂くことになるとは思うが)

<私のカヌーよ、なんじはつむじ風のごとく、消えゆく影のごとくである
 遠くに行って姿を消せ、霧のごとくなれ、行け!>

 科学という営みは、この世界をより深く理解するために進められる。そこに善悪の価値観は介在しない。それは明白な天命である。かつての宗教家たちが、どのような苦難にも神を見出すミッションを背負ったように、我々はどのような結果にも原因を見つけ出してみせよう。我々はどのような神秘も余さず観測し分析する。言葉や概念でさえも例外ではない。言語哲学という分野はやがて「分析」哲学へと発展する。科学者たちは制約の多いこの星で、着実に実験と観測と記録をつみあげ、「ミズ2」の性質を分析しはじめた。観測を経てみればそれはH2Oそのものであり、一度結果が出れば、もはや異常気体の中へ浮かび上がることは無かった。分析が進むほどに、ユクスのミズ2は減少し、科学者たちの町の傍には湖さえ出現した。それは当然の帰結だった。気体よりも、液体の方が密度が低くなる物質などというものがありえるだろうか?
 そんなもの、存在するはずがない!
 地球人なら誰もがそう答えるだろう。もちろん、ダイジもそう叫んだ。

<私のカヌーの胴体を持ち上げよ
その胴体は漂う蜘蛛のごとくだ
その胴体はかわいたバナナの葉のごとくだ
その胴体は綿毛のごとくだ!>

 科学者たちはやがて、ユクスにおいては、任意の言明が科学的観測と同じ効力を持つことを突き止める。それは地球人が到着したその日からユクスの人々が「言語科学」として差し出してきた体系に他ならない。最初、地球人はそれを迷信と嗤いはねのけた。それは単に彼らが愚かだったからではない。まず理論を征服し、自分たちの体系の中へ組み込む必要があったのだ。その後に、盲目の言語学者、言語哲学者、言語人類学者などなど……を地球から招集する。効果は絶大だった。初級の論理学と三段論法、それからオッカムの剃刀で少し削いだだけで、ユクスのミズは連鎖的にH2Oへと変わり始めた。

<サイディディ、タタタ、ヌムサ
 カヌーは飛ぶ! 
 カヌーは朝飛び! カヌーは日の出のとき飛ぶ! 
 カヌーは空飛ぶ妖術師のように飛ぶ!
 サイディディ、タタタ、ヌムサ!>

「ありがとう、ダイジ。あなたの呪文で儀礼は完成しました。ユクス人の言語科学だけでは十分ではなかったんです。認識というのはかくも世界に埋め込まれたものですから。私たちは、まだ、地球人の観測していない場所へと向かいます」
 少し前から、空の高くで水音が聞こえていた。いや、そんな生易しいものじゃない。何万トンの水の塊がぶつかり流れる轟音だ。おれの補聴器が、空から地表に襲い掛かる津波のイメージを与えてくる。天を猛スピードで駆け巡る龍のメタファー、おれたちを中心に渦巻く流れが次第に狭まっていく。しぶきが顔に感じられるようになった。かすかな反響音から、ユクス人たちが抱えていたカヌーを水面へと下ろすのが分かった。水面だって? すぐに音量が増し、おれは耳蓋だけでは足りずに両手のひらをしっかりと耳に当ててうずくまった。
「はじめに言葉ありき――」
 その中で、魔術師の最後のひと言だけが、なぜかはっきりと聞こえてきたんだ。


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