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『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』フィリップ・K・ディック◆SF100冊ノック#20◆

■1 あらすじ

 未来。地球は戦争によって荒廃し、太陽も刺さない放射能の灰が降る死の大地となっていた。賞金稼ぎのリック・デッカードは、主人を殺して火星からやってくる逃亡アンドロイドを殺す刑事。でかい賞金首を殺して、本物の動物を飼うことを夢見てる―もうペットが電気羊とバレるのに脅えたくはない。
 アンドロイドを人間を見分けるためには、共感する力を測定するフォークト・カンプフ検査しかない。アンドロイドは個人主義的で、孤独の寂しさを感じないから。ある日、地球へと逃亡してきた6体の最新型アンドロイドを追え、という命令が下される。この最新型は人間そっくりで、感情も兼ね備えるという―デッカードは、まず感情テストが有効なのかを調べるため、アンドロイドのメーカーへと向かう―

■2 アンドロイドという存在は電気羊を望むのか

 本作の原タイトルは "Do Androids Dream Of Electric Sheep?" なんですよね。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は最強かっこいい邦題だと思うのだけど、一方で英語のニュアンスを損ねている点があると思うんですよ。まず、アンドロイズと複数形なので、これはアンドロイドたち一般を指しており、ある特定の一人、またおそらく、敵となる「ネクサス6型」だけも指してはいない。それから、Dreamはもちろん起きてみる夢、つまり「望み」も指すのであって、どうも小説を読み終えると、こっちの意味を感じる。というわけで、「アンドロイドという存在は、電気羊を欲しいと望むのか?」みたいなニュアンスを感じるわけです。なんか作者はインタビューで違うっぽいこと言ってるそうだが。

 ただ、このなぞめいたフレーズは割と大事なんですよね。アンドロイドってのは動物に共感する能力がないとされてる。その欠落をテストすることで、人間ではないと識別される。なので、動物を求め、愛そうとするアンドロイドはもう人間と変わらないわけです。ただ、主人公含め人々は「電気動物」というレプリカではなく、より高価な「本物の動物」を望んでいる。そこでまた色々解釈が出てくるわけ。電気羊を所有しているのは主人公のデッカードで、彼は実は記憶を埋め込まれたアンドロイドじゃないの? って思われるような場面がある。結局否定されるのだけど。彼はむしろ共感能力がかなり強力で、賞金稼ぎで殺す相手のアンドロイドに共感してしまったり、救世主と精神的に同化してしまったりする。

 それとも、アンドロイドというレプリカの存在だから、同じようにレプリカの電気動物を「本物」として望むということか? そもそも、この物語に登場する動物というのは、実はすべてレプリカなのではないか。いや、動物だけでなく、地球に残されている人間はすべてアンドロイドではないのかーー?

 とまあ、そんなわけで、この小説の大きなテーマは「模造品と本物」というところにあると感じるのです。二項対立は執拗に繰り返されます。いま挙げたような、「アンドロイドと人間」「電気動物と本物の動物」「本物の警察署と偽物の警察署」「本物と偽物の記憶」「救世主は本当はいかさまだった」「レイチェルとプリス」「健常者とスペシャル」そして、対立があるようなこれらは、結局のところすべて対立の意味を無くしていく。アンドロイドたちの仲間との絆は強く、誰とも共感をしないレッシュのような人間がいる。デッカードは最後に、電気動物にも生命があると告げる。救世主がいかさまであろうとなかろうと、それはイジドアやデッカードにとって本質であった。

「これまでにあらゆる人間の考えたもなにもかもが真実なのだ」

 解説には、そうした対立のこともかかれているが、ディックの言葉である「親切であること」「人間であること」をそのまま信じるというのは、また一つの罠のようにも思える。なにか一つの言葉・価値基準を定めること、それ自体がナンセンスであることを伝えているような作品だから。

■3 映画版『ブレードランナー』

 本作には、おそろしく有名な映画版、『ブレードランナー』が存在する。始まった途端に、恐ろしいまでの映像美の世界。テクノロジー世界と、荒廃したスチームパンク世界、さらに役者たちの表情をガシガシとらえていくクロースアップと、素晴らしい映画なのだけど、ストーリーは大きく変化し、テーマも変わっている。いや、その本質的な部分は割と変わっていないと思わされる。映像のまとう雰囲気に領域では―

 それでも、アンドロイドたちの行動指針は「より長く生きたい」というシンプルなものとなり、アンドロイドたち―誰よりもリーダーのロイが明確な「悪役」という役割を帯びた。この映画は彼の物語、と言ってもいいくらいに。

 そこで、逆に思わされた―原作では、アンドロイドたちが殺戮をしたというほのめかしはあるものの、実際に誰かを殺すシーンは描かれていないことに。敵役としての彼らの存在感はあまりにも薄っぺらい。影法師のように。彼らの方こそ、不条理に迷い込んだ人間のようにも思えてくる。

#アンドロイドは電気羊の夢を見るか #ブレードランナー #フィリップ・K・ディック アンドロイド ハードボイルド




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