ゲンロンSF創作講座 便乗小説#2 「ダークフォトンの水底で」(6)

6 「大切なものは、目には見えない」

 アカリ、お前はアカリではない。
「ダイジ、あなたはダイジじゃない」
 アカリ、おれはお前を愛していない。こんなにもアカリそのものであるお前を。
「ダイジ、私はあなたを愛していない。こんなにもダイジそのものであるあなたを」
 そういって、握っていたこのアカリの手を離して、だからこそおれは、かけがえのないあいつを、あのアカリを愛していることを、こんなにも強く感じることが出来る。

「うきゅーーーーーう! きゅーーーーう!
 ひときわ大きな鳴き声が響き、とうとう天の水が崩れ落ちてきた。空から押し寄せる巨大な津波。ミズ2がXYZである性質を失うと同時に、ユクスを満たしていたダークフォトンの生成も止んで、いま空は恒星の光に輝いていた。見える。おれの視力はいつのまにか回復していた。天使が癒してくれたのだろうか。それとも、本当はただ、ヒトミを失ったときから、ずっと目を閉ざし続けていただけだったのだろうか。
「これが、見えるってことなんだね! これが、光なんだね!」
 ロケットが叫ぶ。こいつは地球人のアカリの子だ。他のユクス人とは異なり、視覚を持って生まれていたんだ。空の海を泳ぐクジラが、空中で静かに分解されながら、キラキラと黄金に輝きながら舞い落ちている。世界の終わりにふさわしい景色だ。
「さあ、行こう! ユクスを脱出して、地球へ行こう!」
 走りだしたロケットの背中を追って、おれは裏庭に飛び出す。少年の組み立てたロケットは、はりぼてだった。アルミをあつめて、むりやりに溶接しただけの、不格好なオブジェ。地面から1ミリたりとも飛び上がらないことは一目で分かった。いや、おれはこの家に着く少し前から、一耳で気付いていたのだ。
「ほら、乗ってよ、ダイジ! 早くしなくっちゃ!」
 ま、旅の終わりとしては、こういうのも悪くないだろ。おれはもうすっかり覚悟も決まって、はいはい、それではお邪魔しますよ、とタラップを上がる。船内には様々なガラクタが詰め込まれ、むき出しのケーブルが壁と床を這いまわっていた。操縦席についてるあれは……レジカウンターか? どこから拾って来たんだか。おっかしいよな。な、アカリ、と振り向けば、宇宙船のハッチが外側から閉じられるところだった。ばたん。          
                 
<おお、ロケットよ! ロケットは飛ぶ!
ロケットは空の水を切り裂いて飛ぶ!>

 壁の外からそんな声が聞こえてくる。ロケットの床が振動を始めた。ぴぴぴぴ。動作音がして、様々な機器やディスプレイに次々光が灯っていく。アカリの音葉は続く。

<ロケットは宇宙クジラのように空を泳ぐ!
 ロケットは地球まで、遥かなる宇宙を横切って飛ぶ!>

 なあ、アカリ、すごいじゃないか。お前も言語科学が使えたんだな。これならきっとたどり着ける。だから早くロケットの中に入って来いよ。どうしたんだよ。どうしてハッチが開かないんだ? なあ、まだ音葉が足りないのか? それならおれも手伝うよ。おれだって、魔術師に太鼓判を押されたんだぜ。
「ダイジの言語科学はね、分析と解体しか、出来ないから」
 ああ、そうだったな、役立たずでごめん。じゃあ、ほら、あとは内側からやればいい。来てみろよ、さっきまでのガラクタが、今はまるで一級の宇宙船だ!
「だめよ。行けない。私も解体されはじめてるの。最初にダイジが私をアカリだと認識したときから。だから、ハッチを開けないでね。もし観測されたら、私、もう死体になってしまってる」
 それじゃあ、全部、おれが悪いんじゃないか! おれがユクスを滅ぼして、おれがお前を殺しちまうんじゃないか! 
「滅びるのは、そんなに悲しいことじゃないよ」
 ふふふ、とアカリは笑った。おれは泣くばかりだ。
「それに、ダイジはいろんな人を幸せにしてるよ。きっと気づいてないだけで。魔術師も、天使も、それに私も、ダイジに感謝してるよ」
 でもおれは、ヒトミを救えなかった! 本当は、死ぬためにこの星に来たんだ! そのおれが、これ以上、なんのために生きればいいんだ!
「ロケットと一緒にいてあげて。私の代わりに」
 操縦席を振り向くと、そこに座り、コントロールレバーを握るロケットと目が合った。あいつと同じ、真っ白い髪。おれと同じ黒い瞳。おれはゆっくりとうなずいた。それで十分なのだった。アカリはどんな小さな動きでも聞き取れるのだから。
「ありがとう」
 宇宙船はもう一度大きく震えると、急速に上昇を始めた。よろめくおれの手をロケットが引き寄せ、副操縦席に座らせる。胸が苦しいのは、きっときつく締め付けてくるシートベルトのせいだろう。どこまでも、高く、早く、ごうごうと唸る水の音。それもやがて遠ざかる。
「うきゅーーーーう! きゅーーー!」
 宇宙クジラの最後の一頭の悲鳴がかすかに届く。その声はおれの耳の中でいつまでも反響して、アカリの最後の「ありがとう」の音葉と一緒にもう消えることはないだろう。おれはロケットと手を繋いでじっと待った。疲れ切ったおれたちは、少しだけうとうと眠ったりして、けれど半日も経たないうちに、宇宙船は速度を落とし、着陸態勢に入る。地球に着いたっていうんなら、超光速どころの話ではない。どこか別の惑星にでも到着したんじゃないかと焦る。けれど、アカリは言った、ロケットは地球まで飛ぶのだと。機体はゆっくりと下降し、懐かしい重力を捕まえる。パラシュートが開いたのか、風にふらふら揺れる鳥かごの中でおれたちは小さな悲鳴や笑い声をあげながら、抱き合ってそのときを待った。とうとう、どしん、宇宙船は地表にたどり着いた。ざわざわ、外からの声で、おれは間違いなく地球へと帰ってきたことを知る。ハッチが開けば、そこは真夏の太陽が照らす都会の交差点だ。銀色にきらめく宇宙船を取り囲む人々の表情には、戸惑いや恐怖が浮かんでる。それにしてもこの星はまぶしすぎる。溢れる光の中では、また何かを見失ってしまうかもしれない。ロケットと目を見合わせて、それから二人でゆっくりと目を閉じた。懐かしい暗闇。もう二度と、この瞳を開くことはないだろう。おれはロケットの手を握ると、地球の音の海の中へと一歩を踏み出した。

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