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JaponiséeとFrançisée

オテルドミクニの三国清三シェフが店を閉めてこじんまりとした居酒屋風のレストランを老後の新たな挑戦として始められたことを知った。私は若い頃、大阪阿倍野の辻調理師学校の辻静雄校長に感化され、身の程知らずにもグルメ爺を目指していた。フランスの三つ星レストランを食べ歩いて喜んでいたが、まぁ、当然ながら財力が続かず、断念した。それから何十年を経てようやくそれがなんとかできそうな気がするようになった時にはそれを共に楽しんでくれる家内がいない。まぁ、人生ってのは大抵そんなものだなと思うことにしているが。まっ、そういう経緯があって三国さんの話が記憶に残ることになった。

今はすでに無くなっているリオンの伝説的レストラン、ピラミッドのオーナーシェフ、フェルナンポアンの孫弟子に三国さんは当たる。大阪の料理学校を日本を代表する料理アカデミーに育てることを目指されておられた若き辻静雄さんも奥様と一緒にリオンに行かれ、亡き夫の味の記憶を頼りに店の切り盛りをされていたマダムポアンの計らいでフランス料理の真髄を学ばれた。三国さんの師匠達はポアンのお弟子さん達で、辻さんの場合と同様にこのような粋の中の粋、黄金の中の黄金という環境で学ぶことができたのである。これは当に人の縁を司る見えざる手のおかげであろう。しかしフランスでの最後の師匠であるアランシャペルから自分の作った料理を洗練されていないとダメ出しされて、三国さんは帰国された。三国さんの凄い所は師匠のキツい言葉を叱咤激励と受け止められたことだ。日本で生まれ育った人間はどう足掻いてもフランス人にはなれない。三国さんは日本人でしか作れないフランス料理を目指されたのだ。これはフランス人が俳句をフランス語で作るような作業であろう。俳句の本質はどんな言語でも表現できると私は勝手に信じている。しかしそれは文化の単なる融合ではない。本質を保ちつつ、その具現化の多様性に向けての困難な作業だ。俳句のフランス語化は日本人ではなくフランス人でしかできない、それと全く同じでフランス料理の日本化は日本人にしかできないのだと思う。辻静雄さんはフランスの超一流シェフをよく吉兆に連れて行かれたという。ヌーベルキュイジーヌはそんな交流の中から生まれたと聞くが、三国さんはそれをより根源的に推し進められたのであろう。

生粋の京都の方で京料理の女将さんを勤めておられるチャーミングなお母さんとちょっと議論になったことがある。女将さんは京料理は京都で生まれ育ったもんやないと作れまへんと仰る。私は京都京都とお高くと感じたので意地悪に、瓢亭さんのご主人の高橋さんらが作った料理アカデミーを通じて何人かのフランス人が京都の一流料亭で修行されていることを告げ、やがて京料理は国際化するのではないかと、生意気で浅はかな返事をした。しかし女将さんはそんなもんは京料理やあらへんと頑なである。フランスの三つ星には必ず日本人シェフが働いており、そのおかげで日本は世界で2番目のフランス料理大国になったことが頭にある私は、釈然としないまま議論は終了となり、年月が過ぎた。

三国さんの成功を見届けに来た師匠のアランシャペルは三国さんの料理をJaponiséeと評した。これは三国さんにとって最大の褒め言葉となっている。私はアランシャペルがフランス料理の新しい一分野の確立を承認したのだと思っている。確かに三国さんはフランス人が作るフランス料理は作れない(超一流の水準で)。しかしながらフランス人が作れないフランス料理を作ることができるのだ。これで長年燻っていた女将さんへの返事ができるようになったような気がする。京都の料亭で修行をされているフランス人の料理人は京都の人間が作る京料理は作れない。女将さんの言われる通りだ。ただし、京都の人間が作れない京料理、つまりCuisine de Kyoto Françiséeを作れるようになれるかもしれない。それくらいは認めてあげても良くないですかと。