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成長って、しなきゃダメ??


みたいな言葉を最近どこかで見た気がする。Twitterだったっけな。多分Twitterかスレッズ。文章で読んだ気がするから。


平日の仕事が割と暇な時間が多いのでその間よくいろんな人のnoteを読んでいるんだが、皆さん大なり小なり仕事について悩みを吐露している。
人間関係のいざこざから、自分の仕事の能力の差、実力不足など。


この“仕事でいかに成長できるか?”“成長して当たり前!”みたいな風潮って日本人が昔から仕事に対して真面目過ぎるといわれる所以でもあるよなぁと思う。


私としては全員が必ずしも成長しなくていいのでは、と思う。
なぜなら生き物は基本、どこかで頭打ちの状態になると思うから。

身長だって10代まではぐんぐん伸びるけど、どこかで止まるでしょ。それと同じ。
もちろんそのあとの生活習慣で1~2センチくらいまだ伸びてる人とかいるけど、それでもその程度。
精神的な部分だってそうだと思う。


もちろん成長自体はいいことではある。そこから得られる成果もあるだろう。
上昇志向の強い人や血気盛んなうちは存分に上を目指せばいいと思う。

ただ今の企業が人に求める“成長”って毎年のようにつぎつぎとレベルを上げさせようとしているように見える。あくまで私から見た印象だから正しい実態ではないかもしれないけど。


でも本来人の成長って、人それぞれタイミングも形も違うと思う。日進月歩で1ミリ1ミリ進む人もいれば大きな進化をどん!とした後しばらくスリープ状態になる人もいるかもしれない。もしくは全くない人もいる。毎年のように事がうまく進む人なんていない。
傍から見たらそれって成長?と思われても実はその人にとっては大きな進化だったりするかもしれない。これは客観と主観で違うから仕事としての側面だけではわからない難しい問題でもある。


人によって違うものを画一的にみて成長を促す企業の体制って、結局は人を人としては見てないよな、と思う。
言われないとやらないタイプの人もいるから半強制的にそういう仕組みを作って成長させることが結果よくなる場合もある。でもそれは全体の何割かの人たちだけだ。
ただ限界が見えている人は苦痛でしかない。
自分はこれ以上伸びない、伸ばしたくても体力がない人はしんどさしかない。
noteやSNSを見ていると仕事で精神的に病んで休職した、という人の多さに驚かされる。
かくいう私の友人も(業務内容が重労働だったのもあって)休職していた。

そのうちの何人が社会からの「成長圧」に屈したのかはわからないけど、これ以上もう進化のしようがない(もしくはそのタイミングではない)というときに催促されてもどうしようもないと思う。


成長は、気づいたらしていた、くらいでちょうどいいのではないだろうか?
ぜーんぜん去年から変わってなくても、いい。仕事ができていれば、それでいい。
そんな風にならないだろうか。
すべての職種において日本は、仕事というものに多くを求めすぎだと思う。
失礼な態度さえとらなければOK!くらいにならないだろうか。

私も自分が客としてサービスを受けた時、思ったのとは違う対応をされた時に少しイラっとしてしまう瞬間もある。
でもそのときにハッとする。自分のその「思っていた対応」こそが相手に多くを求めすぎている証拠だし、その期待はいずれ自分自身も締め付ける、と。

だから今まさにその自分の中での“当たり前”をゆっくり壊しているところだ。
商品さえ手に入ればそれでいい。それくらいの気持ちでいる。
もちろんその商品も、当たり前にあるものじゃない。
それらは全て人が作ったものであることを忘れてはいけないと思う。



話が逸れてしまったが、そもそも仕事で成長したとしてその先に行きつくのって何?どこ?
わかりやすい形だと昇進、とか役職に就くとか、それこそ社長とかのポジションになるか独立するかだと思う。
でも、みんながみんな偉い人になるのが果たしていいことなのか?とも思う。

窓際族のような人がいていいし、会社というのは一つの役職につくのは一人か二人でそのほか多くは平社員だ。
ということは平社員たちがいないと仕事は回らないし、その他大勢の平社員がいてこそ仕事って成り立つものである。
仕事の能力の差はそりゃあ、出る。でも全員仕事がバリバリできる人しかいない企業は安泰か、伸びるかと言われればそうではない。むしろ仕事ができるがゆえに衝突するかもしれない。

ずーっと同じところにとどまる人間がいていい。堕落さえしなければ。
現状維持だって立派な一種の成長だと思う。
年齢を重ねれば重ねるほどそっちの方がよほど大変なことだ。


様々な特性を持つからこそ社会は回る。
この世の中は全部動物園みたいなもので、たとえそこに人間しかいなくても、いろんなタイプの生き物が好き勝手にやってる方が均衡がとれる。
自分ではどうもできそうにない事案は、自分とは正反対の人間がカバーできるかもしれない。逆もしかり。
人には絶対に他人より苦じゃなくできる事があるはずで、それを何の疑問も持たずやり続けていけばきっと誰かの助けになったりする。そこには無理した背伸びもない、上からの圧もない。ただのびのびと自分にできる事をしただけ。



この世におけるものは全部変化がある。いい変化も悪い変化もあるが、
変わっていくものを全部無理やりプラスの方向に繋げなくてもいいと思う。
そう思わないとやっていけないというのもあるかもしれないが、それは前向きな気持ちになれた時にそう思えばいい。嫌だー!!としか思えないんならそれでいい。
余力があればそれをエネルギーに何か創ったり進めたりすればいいけど、何もできないくらい嫌な気持ちに支配されているときは支配されたまま一日を終えていいじゃないかと思う。それが何日も続いてそれにうんざりするならしかるべきところに行って診てもらえばいい。

私もそうなんだが、こうでなきゃいけない!!みたいな考え方はやはり苦しくなる。自分が。
なぜか人に対してはまぁそれもありだよね~~という気持ちでいられるのに自分の事はそう思えない。クソまじめすぎる。
別に仕事急にやめたっていいのに、続けてることやらないときがあってもいいのに。不安になってしまう。


これに対して今のところこれ!という解決策はまだ見つかってないが、
「ま、いっか」という言葉をおまじないのように唱えている。
人に対しても自分に対してもこう思うことでギチギチに張っていた紐がすこし緩むような感覚になる。
これをちょっとでも続けていけば、まじめすぎる性格も少しは柔らかくなるかもしれない。もちろん生まれ持っての性格もあるかもしれないので完全に不真面目になることは無理としても、少し余裕を持つことで新たな視点を持てるようにはなるかもしれない。

今はそんな自分との闘いをしている。
同じように悩んでいる方がもしおられたら、同じように唱えましょう。
ま、いっかって。
それかほかにいい考え方や解決方をご存じでおられればぜひ教えてください。



このまま自分の仕事歴に対しても書こうかと思ってたけど長くなりそうなのでまた次回にします。



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