【129】ペット①

癒しを求めることはないだろうか?
私の癒しは休日に
好きな音楽を聴きながら
まったりと過ごしたり
温泉やスーパー銭湯に行って
ゆっくりすること。
人によって癒しは様々だ。

そんな中
ペットを癒しとしている人間は
この世に数多存在する。

私も幼少期に
祭りの金魚すくいで
手に入れた金魚を
水槽を親の金で購入し
命の尊さを学ぶ活動を
ペットの癒しと変換して
生きていたことがある。

そんなペットの中でも
よく見るペットが
「犬」である。

街中を首に命の契約をして
散歩させている犬や
公園を走り回る犬
様々な犬を目にする機会があるが

私はその犬を飼うのは
断固として反対だ。

なぜなら
メリットデメリット時代において
犬を飼うことはデメリットしかないからだ。

ペットに癒しを求めるなら
犬という選択肢は
1番の反対セレクトである。

私は小学生の頃
公園で遊んでいた際
ペットの犬が首の自由を無くして
走り回っていた。

当時私は幼かったこともあり
同サイズ感のある犬が
公園で走り回っていることに
多少の恐怖を覚えていた。

すると、放し飼いされた
犬が私に近づいてきたのだ。

私は恐怖心から
犬から逃走を試みた。

しかし当時の脚力は
現在のものと
比にならず
鈍足であったことから
すぐに犬に追いつかれたのだ。

すると犬が私の膝に
噛みついてきたのだ。

突然のことに
気が動転し慌てふためいた。

膝からは流血が発生し
私は泣き喚いた。

すると飼い主である
存在の人間が私に近付き
顔面蒼白で
慌てふためいていた。

泣き喚く私に飼い主も
正気を持っていない。

地獄絵図の状況で
私の友人が
公園最寄りの我実家に
駆け寄り
親に連れられて病院へ向かった。

応急処置を施され
流血は止まったのだが
最悪なことに
私の膝には歯形のような
3本線の一生残る傷跡が
発生しまった。

後日飼い主が
謝りに実家にやってきて
謝罪したことは
今でも鮮明に覚えている。

大人になった今でも
全裸になるイベントである
入浴行事でも
膝の3本線を見る度に
犬に噛まれた
あの瞬間がフラッシュバックするのだ。

冒頭でも記載したが
ペットとは癒しを求めることが
主なのにも関わらず
人に一生の傷を負わせる存在でもあるのだ。

今一度
ペットのセレクトを
見直して
犬という選択を
じっくりと見極めて
癒し活動に励んでほしい。

ペットというテーマだが
犬について
ペット③まで続くので
明日も明後日も
イライラを書いていこうと思う。

ペット①について
正当化し
論破できる方は
かかってきてほしい。

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