【307】初めて喋った言葉

生命を宿す。
私は生命の誕生を
何度もお祝いしてきた。

仲の良い友人や
会社関係の人々。
そのお祝いが
返ってくるのかは
謎だが何度もお祝いしてきた。

確かにめでたいという
感情がメインであるが
リターンあるの?
という感情が
1割でもある私は
狂っているのだろうか?

お祝いというのは
その瞬間は
感情的にあるが
数日後には
リターンを考えている
感情になっているのが
ほとんどだろう。

生命の誕生を
純粋に祝えるような
道徳心を
身に付けれるような
脳内に変わりたいものである。

そんな生命の誕生だが
1年ぐらいすると
こんな問題が浮上することがある。

それは本テーマである
「初めて喋った言葉」
である。

これは
「ママですよー」
「パパですよー」
などと自分本位で
初めてワードを
己に変換したい
気持ちあるあるの
描写にあるように
自身の存在を証明したいのが
人間模様としてあるのだが
よくよく考えてほしい。

初めて喋った言葉というのは
「オギャー」や「ワー」
ではないのだろうか?

実際にこの文章を
入力する際に
「オギ」まで
入力すると
「オギャー」が
予測として登場するぐらい
有名なワードである。

とすると
初めて喋った言葉は
「オギャー」や「ワー」が
正解ではないだろうか?

言葉の定義は
人それぞれだが
泣いている間に
「オギャー」という
ワードを繰り広げている時点で
単語として成立しているのだ。

このことから
初めて喋った言葉論争は
完全に破綻しており
初めてではないことは
明らかとなってくる。

新生児の成長を
楽しんでる夫婦に向けて
謎のママパパ問題を
無くすように
なんかしらに
申請したいものである。

初めて喋った言葉について
正当化し
論破できる方は
かかってきてほしい。

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