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【ほぼ日ブログ】高校時代の甘酸っぱい思い出を振り返る〜恋愛編〜
思い出すと、苦くて甘酸っぱいな〜ってなる学生時代の恋愛経験って誰しもありますよね。私は滅多に好きな人ができないし、恋愛に対してもすごい奥手な人間なんですが、そんな私にも「大好きだぁぁー‼︎」って思える男の子が高校2年の時にいました。
卒業から10年経ち、当時の親友から結婚式に呼ばれる機会が増え、最近そんな高校時代の思い出に浸ってしまうことが多くなったので、日記みたいにここに綴ってみようかなって思います。
※先に結論から話すと、密かに思いを寄せていた野球部の男の子がいたけど、突如野球部女子マネのマドンナが立ちはだかり、告白できずに終わったという、笑
なんとも情けない話なので、
「私は狙った獲物は逃がさない💕」
みたいなTHE☆肉食系女子には全く共感されない内容ですので、ご了承ください、、、
野球部くんとの出会い
「野球部くん」とは高校2年の時、クラスが一緒になったのがきっかけで出会った。
当時、私の高校では男子の間で腰パンが流行っていた(特に体育会系のイキッた男子の間で)。見たくもないガラパンを毎日見せつけられ嫌気が差す日々の中、野球部くんはしっかり制服を着こなしている✨
(好感度が一気に上昇したのだった。)
マラソン大会ではそんな腰パン野郎どもがチンタラ走ってる中、後ろのランナーを気にしながらゴールテープに向かって一生懸命走ってる姿がめちゃくちゃカッコ良かった、、✨
また都会出身者が多い母校で、「甲子園に出たいから⚾️」という理由で地方から上京してきて野球に取り組む姿勢が、他の男子と違って素朴で純粋に見えた✨
頻繁に言葉を交わすことはなかったけど、私は野球部くんがいつの間にか大好きになっていた。
それでも途端に意識しだすと上手く話せなくなってしまうのが奥手な人間の悩み…。そこから特に目立ったアピールを繰り出すこともできず、高校3年の春を迎え、あっけなくクラスは離れ離れになってしまった。
伝統の体育大会‼️、、そして現れた美人女子マネ⚾️
5月の体育大会が終われば、大学受験に向けて勉強一色となる我が母校。
それでも最後の学校行事となる体育大会では、代々受け継がれてきた伝統があった。
体育大会の最後の演目は、高3全員が浴衣を着て笠を持ち、母校の音頭を踊るのが最大の見せ場となっている。
私が所属していたハンド部ではみんなでお揃いの浴衣を着て、笠は部活のジャージのプーマをメインにしたデザインがお決まりなのだが、そのプーマの部分には、彼氏もしくは好きな人にメッセージを書いてもらうというのがハンド部の伝統になっていた。
そう、プーマの部分は我々女子高校生にとっての聖域なのだ‼️
笠の裏や表に部員や親友、お世話になった先生からのメッセージが着実と埋まっていく中、私は聖域を守り続けた。
「プーマの部分は野球部くんに書いてもらうんだ‼️」
しかし、私はそんな密かな決意を決して周りには言わなかった。小学生の頃からクラスのムードメーカー的な存在だったが、好きな人を打ち明けた翌日にはすでにクラス中に広まって冷やかされ、恥をかくという経験を高校生になってもトラウマにしていたからだ。
なので相談相手はいつも行きつけの20代後半の美容院のお姉さん。
「恋愛はバカ正直になるのが一番よ」というお姉さんのアドバイスに後押しされ、野球部くんが一人になる瞬間をアンテナを張り巡らせて待っていた。
しかし、そんなある日、帰り道に部員同士で恋話で花を咲かせていた時。恋愛情報通のハンド部マネの友人の口から飛び出した言葉。
「てか、野球部くんって、野球部マネ(超絶可愛いマドンナ)のことが好きって他の野球部員が言ってたんだけど、もう付き合ってるのかなぁ」
ズドーーーーン。
一気に地面の奥に突き落とされたような気持ちになった。いやもはや、日本の裏側のブラジルまで行くんちゃうかってぐらい突き落とされた。
、、、ハンド部の顔面真っ黒日焼け女子が、野球部の美人マネに敵うはずがない。しかも野球部と野球部マネが付き合うとかもはや定番すぎて部外者が入る隙が一ミリもねぇ、、。
完全に私の心はリングに立つ前に砕け散っていた。
結局、野球部くんが野球部の美人マネと付き合っているという確証は得られなかった。そんな中、たまたま部活着を忘れて誰もいない教室に戻った時、一人廊下で笠を描く野球部くんの姿が。
なんとなく今が最後のチャンスだなと確信はしていたものの、やっぱり勇気が持てなくて笠のプーマの部分を書いてもらうことはできなかった。
その後、「まぁ一応書いてもらうか」程度で、職員室で顧問の教員に笠を回した数時間後。
「プーマの部分、空いてたからそこに書いておいたぞ」と満面の笑みで笠を返された。
あまりに衝撃的な思い出として、その時の顧問の笑顔は今でも脳裏に焼き付いている。
今でも実家の机の横に飾ってある笠。プーマに書かれた顧問の「健康第一‼️」というコメントを見るたびに、「お前じゃねえよ、、」(口が悪くてすみません)という甘酸っぱい思いと笑いがこみ上げてくる。
当時は「傷ついたら怖い」って思ってたけど、「傷ついたからこそ前に進めることもある」って今は思う。
あの時、行動してたらどうなっていたか。っていうのは、あの時でないと答え合わせはできないから。
大丈夫!ブラジルまで突き落とされそうな失恋や挫折経験があっても、10年経って大人になれば、飲み会の笑いのネタになるから。
一番寂しいことは、失恋や失敗経験がないことだよ。って当時の自分の背中を押してあげたい。
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