アニメ『ダンジョン飯』20話「少しの面倒に負けて迷子にならないでね」
優秀で柔和な同級生や社交的な兄弟姉妹を横目に、私はひきこもった。
「学校に行きたくなければ行かなくていい」という母が、
本当の本当に、今の私にがっかりしていないか?
「やりたいことをすればいい」という母が、
本当の本当に、何も価値観を押し付けたりしてこないのか?
理解ある親の下、何不自由なく好き勝手に生きてきた、私のような子どもが、いじめや身体的な苦痛などのわかりやすい理由も何もなく、やりたいことも特になく、
それでも、学校に行かない
という謎の事態が、自分を更に押しつぶし、身動きが取れなくなっていた。
『星の王子さま』の、自分が恥ずかしいからお酒を飲み、お酒を飲むから自分が恥ずかしい、と泣き続ける星の住人の話を読んで、これが私だ、と思っていた。
母はなかなかにクレバーで、
そんなハリセンボンのような私を刺激しないようにしつつ、
自分が好きな単館上映のナイトショーや作家の講演会に連れ出したり、
若い知り合いに預けて、バーベキューやらドライブやらの(今思えば)リア充集団に放り込んだり、
妹と3人で東北JR乗り継ぎ一周の旅に出たり、
古い友人の家に遊びに行くのに連れていったり、
自分の会社でアルバイトをさせてみたり、
私の本棚に太宰全集と芥川全集と『チボー家の人々』を並べたりしていた。
後から聞けば、それなりに悩んだりもしたそうだ。
母自身は、若いころ、大学に行きたかったが時代の中でしかたなく就職し、
やっぱり諦められず短大に行ってみたり、
子どもが3人も生まれた後、託児しながら社会人大学に通ったりと、
学ぶことにとても貪欲な人だったようだ。
そんな自分語りを当時の私にはいっさいせずに、ただただ、
私が勉学のチャンスを自らどぶに投げ捨てていく(ちなみに私は大学も2年で中退した)のを見守ってくれていた。
自分と他人への苛立ちを抱えて、目の前のことから逃げ続け、何にも手を伸ばせず、学ぶことも人と繋がることも拒絶してひとりで転げまわっていた私が、やっと初めて外に繋がったのは、20歳になって、好きだった劇団の制作ボランティアに自分から参加させてくださいと声をかけてからだった。
私の「変人さ」は、20歳までの、
鬱々とした、静かな、拗らせまくりの、実になることをなにひとつせず、ひたすら多読な、じめついた繭の中のような日々に作られたものだ。
もしかしたら母が私に対してほんのり夢見ていたかもしれない、
学者や、官僚や、作家や、国際人や、社会的に輝き広く貢献する人間にはなれず、身も心も小さくぼんやりとした輪郭の、ただの人になった。
ひきこもりも不器用な青春も、今は遠い昔のものとなり、記憶という「大事なもん入れ」のすみっこのほうに入れてある。ただの人(ただの変人)として年をとり、どうにかこうにか、自分と折り合いを付けられるようになり、子どもと、数人の友人と、仕事と、趣味と、好きなものが少し、手の中に残っている気がする。まあ、悪くない。
とは言え、
アニメ『ダンジョン飯』20話の「少しの面倒に負けて迷子にならないでね」の言葉は、さんざん迷子になったなれの果てのアラフィフの胸に刺さる。
泣きそうだ。
なんて遠回りをしたんだろう。そして結局どこにもたどり着けず、何も大きなものを掴むことができなかった。自業自得だ。
母は、そんな私に対して、こう言う。
「今からでも、やりたいことをすればいいよ」
「そういう貴方を見るのが私も楽しいよ」
やっと、この言葉は母の本心だったんだなあと、思えるようになった。
母の変わらなさには本当に感心する。
アラサンジュの母にも、まだまだやりたいことをやってほしいし、
そういう貴方を見るのが、私も楽しいですよ。ありがとう。
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