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僕は「働かない」。

 大学二年生。周りからはざわざわと「就活」という声が、雨後の筍みたいにニョキニョキ聞こえてくる。しかし、私は働かないことを既に決めている。それは、考え抜いた結論なのだ。私は、働かない。

 「働く」という言葉にネガティブな意味が付随し始めたのはいつからだろう。思えば、僕の周りは草臥れた大人ばかりであった。小学生、父と夜ご飯を共にしたのは幾度か。僕が眠ってから帰って来て、僕が目覚める頃にはスーツを着ていた。たまの休日には大鼾をかいて昼頃まで寝ていた。夜は、自分を刺すように酒を呷っていた。働くとはここまで過酷を極めるものかと、大人になるのが怖かった。姉。姉は昔から頭がよかったが、大学受験に失敗して浪人した。浪人生の姉は毎日血眼だった。蕁麻疹で顔が真っ赤になっても、マスクをして予備校に足を運んでいた。僕が部屋で笑っていると、壁をゴンと殴った。その血みどろの努力の甲斐があって、姉は志望校へのリベンジに成功した。家族は泣いて喜んだ。しかし、姉は就活で苦しんだ。母親とも揉めた。「何の為に良い大学に入ったの!」「お母さんが入れっていったから入ったのよ!」しばしば怒号が飛び交った。僕は、あれほど頑張って大学に入ったとしても、この先にこんな試練がやってくるのかと身震いをして、大学受験学年へと進んだ。

 僕が親・そして先生の言うことが全てではないということに気付いたのは、ひとえにAO試験で大学に合格したからだ。僕は、洗脳と同義なほど親や教員から勉強を頑張れ・勉強を頑張れば大丈夫だと諭されてきた。だから、姉と同じ地元の国立大学を目指した。記念受験で受けたAO試験であっけなく合格してしまった。姉が藻掻く姿をまざまざと見せつけられた教訓のおかげで、比較的早くから勉強はしていた。だから、「一般」入試で大学に合格することを信じて疑わなかった。しかし、受験要項を見ると「AO入試」という枠があった。条件を満たしていたので、記念受験のつもりで出願した。親や先生は強く反対した。〝中途半端にAO試験を受けると「一般」入試に影響がでるから。〟そう言われたのだ。僕が受験したAO試験は、小論文+面接という内容だった。「一般」入試受験科目にはない小論文の対策を熱心にするのは効率が悪いから、二週間ほど対策をして試験に臨んだ。結果は上記の通りだ。

 青二才だった僕は、そのことで悩みさえした。自分だけズルをしたような、えも言われぬ罪悪感をひた感じた。しかし、親や先生は手を叩いて喜んだ。そのギャップに随分悩み、一時は仮面浪人も考えていた。(第一志望に合格したのに、仮面浪人を検討していたとは滑稽である。)しかし、この煩悶は僕にひとつ啓示をもたらした。それが、「自分の信じた道を進めば良いんだ」ということだ。

 親も先生も、AO試験という「一般」入試に比べたら特異な入試に拒否反応を示していた。「一般」的な方が扱いやすいからだ。ただ、結果をだせば過程はチャラ。僕は僕の思う道を進めば良い。そう思うと、心の枷パカリと外れた。自分の気持ちに正直になって、能動的に情報にアクセスするようになった。すると、次から次へとやりたいことが見えてくる。自分の好きなことが生まれてくる。

 僕は、「働く」を「酷使される」と定義している。つまり、僕が「働かない」というのは、「やりたくないことをやらされない」と同義だ。「やりたくないこと」を「やらない」と言うと、世間はネガティブな視線を僕に浴びせるだろう。しかし、「やりたくないこと」=「(感情的に)嫌なこと」では決してない。自分が信じた道の先に転がっている、「やりたくないこと」は何とか乗り越えていこうと思う。価値基準を自分に置きたいから、帰属意識は余り強くない。だから、自分が信じた道を突き進むだけだ。

 「好きなことで、生きていく。」中学生の時、このフレーズを見て僕は腹を立てていた。勉強もしないで、働かないで、好きなことをして生きていくなんてずるい!夢に溢れているはずの中学生が、こんなことを本気で思っていたのである。「一般」からみたら、中学生の頃の僕が「大人」で、今の僕が「子供」なんだろう。でも、僕は好きなことで生きていこうと思う。「働く」ことがサイコーにかっこいい時代を思い描いて…。

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