見出し画像

ヨロイマイクロノベルその31

301.
古い籐椅子が死ぬ。長く共に暮らした女が裏山に埋めた。夜、狸が掘り起こすが、椅子はすでに消えている。その代わり、縁側に半透明のそれが現れる。女が恐る恐る腰を下ろす。身体に馴染んだ座り心地を感じるのは一瞬、籐椅子が更に色を失う。女は咳き込み、腰からゆるりと落ちていく。

302.
残念なことにカキ猿の姿は我々には見えない。山の気温が下がり始めるころ、木に飛び移り、まだ青く硬い柿の実に囁く。さまざまな言葉や声色で辱め、あるいは激怒させる。にわかに実は赤みを帯びる。中には無反応な柿もあるが、それらは本物の猿がもぎ取り、主に蟹に向けて投げつける。

303.
除夜の鐘くんが各家庭を回っているらしい。音は遠くから聞こえてくる。響き方が少しずつ変わる。寺町の甥が玄関先で坊さんに拳固でどつかれる鐘くんの動画を送ってきた。いつの間にか鐘が止む。音の余韻が残る中、鐘くんが警察に捕まったと甥から続報が入った。大晦日は一週間も先だ。

304.
市民プールは一気に凍る。泳ぐ爺は固い氷に閉じ込められたが、毎年のことだ。むしろ氷上の舞踏団のほうが問題で近隣からの苦情が役所に届く。渋々注意に出かける新米の役人は氷の爺に声をあげて驚く。たたんたん。飛び上がる動きが前衛的で、いらっしゃい、と愉快そうに舞踏団が笑う。

305.
初夢を正夢にしてくる。娘が家を飛び出す。夫のゴルフセットを持ち出したようだ。長らく連絡がつかなかったが、夕方、無事に戻った。ホールインワン、初めてでもちゃんと出せたよ。娘は疲労をにじませつつも満足げに笑う。天才かもね。ひとしきり褒めてから、わり算の宿題をやらせた。

306.
ラ・マルセイエーズが流れるとうっかり幽体離脱してしまう。フランスに愛情も憎しみも抱いていないのに。フルバージョンで流れるとどんどん上昇していく。まるで国旗掲揚みたい。それなら、とちゃんと赤青白の服を着てみたらロシア国歌でも浮くようになった。それもちゃんと横向きで。

307.
「これ以上は高く飛んだらいけない」。制服姿の男に注意される。けれどここはわたしの夢の中だ。「随分物騒でなのでね」。上空には大小さまざまの分度器が大量に浮かぶ。「図っちゃいけない、決して」。男がぴしゃりと言う。何を図るのかどころか、わたしは使い方自体も思い出せない。

308.
魚が空を埋め尽くす。「いいか。一言でも声を出したら降ってくるぞ」。男の声が聞こえてくる。僕らは黙ったまま明るい空を見上げる。魚の種類が全然わからない。それがすごく悲しい。一人の男だけが喋り続ける。青や赤、緑やオレンジ、それにピンク。僕らの頭上で鱗がきらきらと光る。

309.
遂に平和が訪れ、不要になった戦車を母はマイカーとして乗り回す。銀婚式には旅に出る予定も立てた。残念ながら当日は大雪だ。それでも操縦席に母が乗り込み、父は砲手席に座る。出発の合図に空砲を三発鳴らす。山奥の温泉宿に向けて勢いよくキャタピラが回り、わたしはそれを見送る。

310.
夜には南天の実が音もなく弾ける。小さな赤い粒は一度、円形を作る。そこから長い列になり、浜辺へ向かう。ひたすら回転して進む。やがて冷たい潮風が吹いてくる。煽られつつも長い坂道を転がる。冬の海に次々と飛び込む。夕焼けのオレンジに染まる波の中、赤い点々が散らばっていく。


おまけ(ブンゲイドンジャラ2用ー喜怒哀楽)

喜.
最後の願いが叶い、朝方に時間も凍った。空き地には薄い氷が張っている。えいや。半透明のわたしが踏んでもぱきぱき心地よい音が響く。夢中で氷を割り続けた。遠くから電車の音が聞こえてくる。世界は再び動き出す。破壊の余韻が足裏に残るまま、真冬を駆ける。スキップすらしている。

怒.
合成術師の俺はしりとりに弱いが負けもしない。「る」攻めをされてもルンポやルイギーニ、るるる鉄など新たな物体を作ればいい。この夜も決着はつかない。寝ぼけた友が「ん」で終えたのに、うっかり、んじ玉を生み出してしまった。部屋はがらくただらけだ。きっとまた大家に怒られる。

哀.
地図の弔いに出かける。案内の葉書に経路は記されていない。三日迷って大学の跡地に辿り着く。すでに地図は燃えていた。弔問者は無言で涙を零す。赤黒い炎が不安定に揺らめく。鈍色の煙は球体として浮かび、中空に留まり続ける。火が消えて皆が帰る。次に向かう先が私にはわからない。

楽.
俺たちは泥酔したままビリヤードを始めた。球を撞くごとに身体が縮む。それがおかしくてたまらない。最後はキューを抱えて突撃する。無様な軌道で的球がポケットに落ちる。勢い余った俺はグリーンに倒れた。ファウル。けらけら笑い合う。孤高の9ボールがすぐそばで月のように浮かぶ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?